五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

何を受容するの?

2013年02月28日 | 第2章 五感と体感
「自分を受容する」ということは、どういうことなのでしょう。

「自分を赦すとか、これでいいんだ、と自分に言い聞かせることとか」と、言われがちですが、

この言葉は、少々誤解を招く言葉かもしれません。

これでいいのだ、とか、赦す、というのは、自分の中から湧きあがってくる感情を赦すことであり、湧きあがってくる感情をそのまま湧き立たせることです。

自分を許すのではなく「赦す」です。
ありのままの感情を自分自身が意識化することが「受容」なのです。

受け容れがたい相手を、嫌々受け容れところで何も解決しませんし、許したくない相手を無理して許そうとしたら、嘘をついている自分に益々ストレスが強まります。

自分から湧き出す感情を湧き立たせることを自分自身が赦すことを「赦し」と、解釈したほうが自然です。

無理やり自分自身を可愛がるより、嫌な自分をそのまま受け容れることのほうが、自分の本音にうんと近づきます。

自分の本音に近づくことのほうが、表層的に美化した考え方を押し付けることよりも大事なことなのです。

自分の本音に近づくことを受け容れるには、吐露する言葉をありのままに否定も肯定もせず、聴いてくれる相手が必要です。

その相手は、人間かもしれないし、仏様、神様かもしれないし、海や森かもしれないし…、人それぞれでしょうし、時と場合によると思います。

受容するタイミングは、自分がそれを望んでいれば、きっとピタッと腑に落ちる時がやってくるはずです。

そのためには、「自分に受容する時が訪れること」を信じることが大事なことかもしれません。

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自分の人間観

2013年02月27日 | 第2章 五感と体感
道徳教育が教科化されることが決まりそうですね。そのことから、私の思いをちらりと書いてみます。

宗教法人が母体となっている学校には必ず「宗教」に該当する授業が組み込まれ、通知表でも評価されています。
私はキリスト教の学校での経験しかありませんが、ある一定宗教の教義を教えることはあっても、その宗教を信じなさいとまでは、勿論教育していません。

一定宗教や一定の考え方のアイデンティティを建学の精神に掲げている学校は、その宗教や考え方を大切にしている先生が大多数を占めている割合が高いはずです。
つまり、生徒は「人間とは」という「人間観」をどのように考え、捉え、自分のアイデンティティとしてそれを大切にしながら教育する教師に育てられていることになるわけです。

人から醸し出る「人間観」瞬時に察知する能力が高いのは子供のほうかもしれないと、常々思います。

どんなに経験の浅い年齢でも、親から育てられる家庭の中で、何が良くて何が悪くて、何が嫌で何が好きかという根本的な原初感情は育まれているはずです。そして、それぞれの環境の中で、喜怒哀楽を感じながら自分がどのように生き延びていくかを自ずから学んでいるのだと思います。

「人の自由意思を大切にしていきながら子供達が大人になり、ふと振り返る機会があった時に、こんなことを毎日言われてたなぁ~と、思いつつ、自分を大切に見守ってくれていた先生に対し、急に恥ずかしさが混み上げてきたりしながら人生の経験を積んでいくこと」を前提に、我が子の教育を含めた私の人生の過程で、教育者という職業に生き甲斐を持っている先生方に何人もお会いしました。

信じて

愛して

望みを持つ

つまり、それを受ける側が、「信じられて、愛されて、期待されている」ということに、段々と気付いていくと、自ずから湧き出す信頼感が、自分の生き延び方を自らの力で育んでいくのです。

箱の中に納めることのできない人の「感情や思考や行動」を共に歩もうとするのなら、教育に携わる人自身が、自分の持っている人間観を改めて思索し、意識化することから始めていただきたいと切に思います。

私は教育者ではありませんが、「信じて、愛して、望むことを本当に大切にすると、人は、必ずその人にとってよき方向に向かっていく」ことを常に大切にしています。
大切にしてはいても、できないことも多いですが反省しながら、この人間観にいつも私自身腑に落ちながら生活しています。

信じられて、愛されて、望みを持たれていることをジワジワと感じたら、私自身、こんな嬉しい事はありませんもの…。

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月を愛でドラマ見る

2013年02月26日 | 第2章 五感と体感
年明けから仕事が立て込み、なかなか立ち止まることができませんでしたが、何とか無事に月末を迎えられています。
今週金曜日3月1日は、卒業式です。

卒業式が終われば、試験があり、あっという間に春休みです。私の学校での仕事も落ち着き、新年度に向けての準備期間に入ります。

昨日は保護者の皆様と2012年度最後の勉強会で一日過ごし、心地良く締めくくりができました。一年間通ってくださり、ありがとうございました。来年度も引き続き学び互いに深めることができますよう願っています。お疲れ様でした。

学校帰りにあちこちと用事を済ませ日が暮れる頃に帰宅しました。薄暗い路を歩きふと空を見上げるとまん丸の月が既に上っていました。東の空にぽっかりと浮かぶ月は、まるで仙台銘菓の萩の月のようでした。

ツイッターでも多くの人が月の美しさを呟いておられ、それぞれが違う場所に住んでいても呟きたくなる心が同じであることに何か癒されるものを感じ、夜はサスペンスドラマ天河殺人事件を見て楽しみました。

台風の被害があった天河村ですが美しい渓流の風景に安堵しました。
私の行きたい場所リストの一つでもある天河神社を詣でたい思いが改めてふつふつと湧き、しかも能楽宗家の跡継ぎ騒動というドラマの内容にも突っ込みを入れながら(笑)

まだ少し、忙しさが続きますが、謡いを謡う呼吸を整えることで、乗り切れそうです。

天河の「気」は、テレビ画面からも伝わり、体感が爽快な朝です。心穏やかな一日でありますよう。。。

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学年末の徒然

2013年02月25日 | 第2章 五感と体感
卒業式が近づいていきました。今年も旅立つ生徒さんを見送ります。
あれやこれやと思い出し、感慨深い思いが湧き出しています。

学校の保護者勉強会は、本日が2012年度最終回です。

保護者の皆様との勉強会は、勉強会に参加されている方々だけでなく、学校全体に温かみが繋がっていることが感じられるようになってきました。

一年やるだけでは成されないことだと思います。

学校の役割と各先生の各々の役割

保護者の役割

生徒さんの役割

私達の役割

それぞれの役割の中で誠意を持って自分の役割を遂行していくと、不思議な信頼感が生まれてきます。

この信頼感が、解決をもたらすきっかけになっていくことが一番多いかもしれません。

「信頼感」を自らが感じるに至るまで、共に歩んでいくことが、私の役割かな、とも思います。

自分の心と身体に信頼感の体感が自然と湧き出してきたら、きっと自分の内にある答えが自ずから導き出されていくはずです。

自己受容と他者受容が自分自身で体感して初めて「答えは自分の内にある」ことに腑に落ちるのかもしれません。

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二月堂の祈り

2013年02月24日 | 第2章 五感と体感
今年で1,258回目の(1259?間違っていたらごめんなさい)のお水取り(修二会)がいよいよ始まります。(実際には20日の別火から始まっております)
3月1日から始まる本行は、1日から14日まで二月堂に掲げられる松明の火の粉を浴びると無病息災が叶うと云われ、全国から多くの方がやってきます。

奈良時代から休みなく続けられてきた修二会のほんの数十年が自分の人生ですが、自分の生きる軌跡と重なることを考えるだけでも尊さを感じ、安定感を得、有難いと思うのです。

二月堂から正倉院や転害門方面に抜ける小路は私の魂の故郷ですし、同時に自分自身の遺伝子の連鎖を感じる場所でもあるので、時々、その場所を歩くだけで「陽の気」を吸収している自分を感じます。

馬酔木の花に包まれながら奈良の春を体感したい気持でうずうずしています。

四旬節の時期でもあり、二月三月は新しい命を迎えるための儀式の時期です。

頭(こうべ)を垂れ、自らの行いや思いを、ほんの少しの時間、静かに巡らしてみるだけでも、心と身体と魂が自分の身体の中で浄化しながらぐるりと廻る体感を得られるかもしれません。

糺す時期に習い、自らを糺すことは、人間の生きる術であるように思います。


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自分の役割と木のイメージを合わせてみた

2013年02月23日 | 第2章 五感と体感
昨日の東急セミナーBEたまプラーザの勉強会では自分が属するグループがいくつあるか数えてみることから始めました。

私自身というグループ

私が現在作っている家庭

私が育ってきた環境における家族

私の仕事

私の趣味等。。。

ぱっと数えられる「自分の属するグループ」を数え、書き出し、

その中から今日の講座内で思索してみたい、又は一番気がかりな「私の属するグループ」を一つだけ選んで頂きました。

具体的な内容を言う必要も無く、自分の属しているグループで「私の理想の私の役割」と「私の現実」、そして、私の理想と私の現実のギャップの感情や思考をじっくりと時間をかけて言葉にし合っていきました。

つまり、フォーカシングを利用した内容展開です。

講座終盤には、一つのグループにおける自分の役割を「一本の木を想像し、自分がその木のどの部分なのか」という問い掛けをして終了しました。

他者からの「問いかけ」というのは、きっかけを作ります。

答えは自分の内にあるはずなのですが、一人で悶々と考え巡らしても、同じパターンの思考の中から湧き出てくる感情は、すぐにドウドウメグリになっていきます。

自分の内にある答えを自らの生育史の中から求めていく作業に「コツ」も必要だと思います。

毎回私自身も自分の問いかけに自問自答しながら皆様と一緒に言語化しながら講座を進行していくわけですが、昨日の「木」の言語化には、ハッとしました。

季節の移ろいと同じ落葉樹を想い、秋になれば葉を染め、風に吹かれてハラハラと落ち、冬になれば寒さと共に過ごし、空気が緩んでくる頃に芽を出ししていく木でありたい、という事を話すと、「西行のようですねぇ」と仰る方が。
「なるほど。。。」
多分、私自身のセルフイメージとは違う自分の理想のイメージは、いつも背中合わせで持ち合っているものなのかな、と。
表を知って、裏を知る。。。ということもあるわけです。
自分は裏と表が繰り返しが起こるというよりも、常に両方表出しているのかもしれません。
徐々に自分自身の表と裏にいちいち疲労感を感じなくなったのも、この学びのお陰のようです。

自分の変化に、改めて気付いた昨日の講座は、私にとっての宝物となりました。

だから、学びは面白い、と思うのです。

日々の修行はまだまだ続きます。

西行も、良寛も、森羅万象に含まれている「人」を見てきたのでしょう。
自然に含まれるヒトを想うと慈しむ情動が湧いてくることと、普遍的な魂を感じる事は同じであろうと、思うのです。

表を出し裏を出して散る紅葉(良寛)

講座で共に学び合う皆様に心から感謝いたします。

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どうしようもなく湧き出す感情

2013年02月22日 | 第2章 五感と体感
どうしようもなく湧き出してしまう感情を自分が自分自身をどう取り扱うかで自分の行動が変わってきます。

でも、その前にどうしようもなく湧き出してくる感情を自ら湧き出すことを抑えてしまったらどうなるでしょう。

湧き出す感情すら自ら押さえることを続けていると、段々とストレスが蓄積し、自分のストレスを意識できなくなっていくようです。

湧き出してくる感情は、自分の正中線を成り立たせるために必要なものだと思っています。

そして、その湧き出す感情をどう表出させるかは、その人によって違いますし、時と場合によっても違います。

湧き出す感情を自分の何らかの防衛機制で表現しているとすると、それは一体何の防衛機制によるものなのでしょう。

自分の感情の取り扱い方法を今一度意識化してみると、どんな方法で自分が生き抜いてきたのか、どんな方法で生き抜こうとしているのかが、みえてくるように思います。

否定も肯定もせず、ゆったりと自分の心に湧き出す感情を自分自身が労わり聴くことから始めていきたいものです。

今日は、東急セミナーBEたまプラーザでの勉強会です。そのようなことを話題にしながら、勉強会を進行していく予定です。

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雨水が過ぎて学年末

2013年02月21日 | 第2章 五感と体感
中学受験が落ち着き、高校受験は真っただ中。そして、大学受験は私立の大学は後半戦で、これから国公立の受験ですね。

今年も寒さが厳しく、受験生だけでなく、保護者の皆様も体調管理に万全の態勢をとっていらっしゃると思います。

二十四節気の雨水が過ぎ、寒さは当分続きそうですが、日が延び梅が咲き、春の予感は確かに感じます。

そして、来週は関わっている学校の卒業式です。私自身、毎年感慨深い思いを過ごすのがこの週です。

新たな季節のちょっと手前のこの時期こそ、少しばかり気を締めて過ごしたいものです。

涙じゃなくて、風邪で鼻をすすることだは、避けたいし…( ^ ^;)

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自分を成り立たせているもの

2013年02月20日 | 第1章 意識と知覚
自分の育ってきた環境における風習や習慣、そして時代背景、祖先の歴史、親からの教育は、自分自身による学習、解釈となって、「私」を成り立たせている一つの要素となっています。

他者との違いは、他者と関わることによる違和感によって、敏感に感じ取ることができます。

その違和感は、時によってはストレスとなったり、幸福を感じたりと、自分を刺激していきます。

違和感による刺激と自分自身がどう付き合っていくかによって、自分自身の暮らし方も変わっていきます。

今日の某場所での講座テーマは、「日本人のアイデンティティ」です。去年の10月から一カ月に一度の講座で本日は5回目となります。
自分がどんな環境で生まれ育ってきたかを自分自身が意識化することによって、他者とそれと向き合うことが、自分のアイデンティティを思索する上で、とても大事素材となっていくのです。

自分自身を成り立たせているもの

五回目の講座は、改めて自分を成り立たせているものを意識しながら講座に臨みたいと思います。

昨日の四ツ谷勉強会では、室内が寒く、体力も消耗した事と思います。春はもう少しですが、寒さはラストスパートです。お身体ご自愛ください。

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ワンパターンの話題と人間観

2013年02月19日 | 第2章 五感と体感
私は、いつもどのくらいの種類の話題を他者に提供しているだろうか?

ロバートキャパ/ゲルダタローの写真展を一緒に観に行った中学時代から尊敬する先輩との会話の中で、ふとそんな思いが湧きあがってきました。

私自身も似たような話題しか提供していないような気もするし、特に昔から持っている自分の理想と現実のギャップにいつも同じような不安感を抱えているとも云えるし。。。

ゲルダタローが戦場で亡くなり、それ以降キャパがベトナムで地雷を踏んで亡くなるまでの18年間、彼は戦場で何を撮ってきたのか、ということを固執するように昨日も思いを巡らしていました。

確かに、美容や痩身の話題は、付き合い程度で充分だし、ファッションも嫌いじゃないけど突き詰めているわけではないし、昔は固執するほど聞いていた音楽も、今ではラジオから流れてくる音楽で満足しているし。。。

でも、今の私の公私の生活に関して言えば、提供する話題は森羅万象のことに繋がっていくので、特に自分が持っている興味を惹くものに関しての好奇心と深く繋がっていることは事実です。

毎度毎度、誰かのの関係を話されると、話題の提供としてはワンパターンですし、毎日美容の話題に包まれようものなら逃げ出したくなります。

「話題」というのは「媒体」であるわけで、「その人がいったい何に対して興味を持っているのか。不安感を持っているのか」は、案外その人が提供する話題を通して見えてくるのです。

つまり、何かの理想と、何かの現実に満足できず、理想と現実のギャップを何らかの媒体を使って他者に伝達したくなる、ということです。

ロバートキャパが撮ってきた人々。
ファインダーを通し、キャパがシャッターを押してきた戦場に居る人間は、私達が街で出会う人々と同じであり、私自身でもあるのです。
キャパが提供してきた話題は、一貫して彼の人間観であったことも、展覧会鑑賞の日から二晩寝て、私自身言語化できたように思います。

人は心と身体と魂で成っています。

どれが欠けても人は生きてはいけません。

戦場では、それが如実に表現されます。

人を愛すること、人に愛されること、自分自身を愛することは、心と身体と魂を通して、個人の個性、、行動、傾向として表に表われるのです。

多くの心と身体と魂を撮ってきたロバートキャパのファインダーには、一貫した人間観に統合されている自分自身が居たのかもしれません。

戦争映画好きの先輩が映画の中で見えてくるものも、きっとそこから一貫した何かを捉えているのだろうなぁ、と。

そんなわけで、今朝は昨日と違う爽快感で目覚めました。いつもこのブログを読んでくださっている先輩もきっと写真展で物凄い疲労感の日曜日だったと推察しています。

ワンパターンの話題でうんざりしたとき、「あなたの人間観は?」と、聞いてみると、その人の不安感が見えてくるかもしれません。
尋ねるには勇気がいるかもしれませんが^^;


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ロバートキャパの写真展

2013年02月18日 | 第2章 五感と体感
現在、横浜美術館で行われている「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー二人の写真家」展を見てきました。

スペイン内戦の写真から始まるロバート・キャパと、彼のパートナーであるゲルダ・タローは、公私共のパートナーであり、33年前に日本で開催された回顧展では、ゲルダ・タローをクローズアップすることはありませんでしたが、ゲルダが活動中に亡くなるまでの写真は、見事に二人で一つ、と言えるものでした。

33年前は、私自身まだ海外の経験が無く、人生としての経験も少なく、知識も薄くかったことを改めて意識化しました。

ただ、キャパの写真見た33年前に、ピカソのゲルニカを見なくては、と、思ったことだけは覚えています。

人間が起こす戦争の意味をあれこれ思い巡らしながら、重たい思いが、目覚めてもまだ残っているような感じです。
しかも、昨晩の大河ドラマ「八重の桜」が重苦しかったことも重なっているかもしれません。

自分の「普段通り」という概念が、「平安感」であることに奇跡的なものを感じた日曜日。
砂漠の荒地に住むアルジェリアのテロリストの実家で息子を案ずる両親の哀しげな表情も重なり、「人間とは」を考えざる得ない気分です。

1954年、キャパがベトナムで亡くなる年に日本を訪れた時に撮った写真が、とても印象的でした。
東大寺を訪れた際、彼が撮ったのは、盧遮那仏でもなく、本堂でもなく、それらを見つめる人の表情でした。

キャパの目を通して表現してきたものは、「身体だけでなく、心と魂で成り立っている人間」であることをしみじみと感じています。

33年、、、イエスキリストが生きた年月だということも象徴的ことだな、とも思い、人の人生の尊さを週明けの朝から思っています。

今日の保護者勉強会のテーマは「自分の生育史の解釈」です。少々重たいけれど、こんなところから繋げてゆきたい、とあれこれ考えています。

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父のパン

2013年02月17日 | 第2章 五感と体感
成るべく週に一度は、実家で食卓を囲むことを目標にした今年。
母の具合も段々と良くはなってきても、無理をすればまた悪化するので、それを戒めに行くのも娘達の役目のようです。

父は、高度成長期に、我が家を顧みず働いてきた典型的な企業戦士でした。
もともと物が捨てられない傾向にあり、父の書斎と周辺の部屋には、学生時代収集していたシダの標本やら本やら、短波放送の歴代機械、パソコン関係で埋まっており、整理整頓ダンシャリ好きな母は、父の知らぬうちにせっせと捨てておりました。そんな母が10年前に大腿骨骨折してから色々な痛くなり、それでも頑張って整理整頓ダンシャリを遂行していたわけです。
しかし、いよいよ頑張っていた身体が悲鳴を上げ、昨年末に腰の痛みでダウン。
初代秋葉系?の父も、自分以外の事に目を向けざる得ない環境に。。。

もともと家電好き、新し物好きな父ではありましたが、母のテリトリーであるキッチンにも浸食が進むことに拍車がかかったようです。

最近は、パンを作るためのゴパンのようなパン焼き機を購入し、自分でブレンドした粉でパンを焼きご満悦。
そして、昨日実家に行くと、新しい圧力鍋が。。。どうもそれで、自分だけが食べる玄米を炊いているようです。

そういえば、先週、父との会話で、私が仕事から帰宅し、急いで食事を作る時に圧力鍋がとても便利だと云う事を話したことを思い出しました。レンジでチンよりも健康的だという見解にヒットしたようです。

母のお城であるキッチンに父の物欲が浸食し出し、あれまぁ~という状況が目立ち始めましたが、これもまた、互いを補う健やかな傾向であると、私なりに納得したわけです。

できることなら、そろそろ年齢を重ねるごとに、物は少なくしたいと決意はしていますが、物が欲しくなる気持は、生きるエネルギーであることも忘れてはならない、と、しみじみ思います。

適度な物欲で整理力は身につけていきたいものです。

そして、今朝は父のパンを頂きました。ブレンドしてボタンを押すだけではありますが、とりあえず父が作ったものを頂くのは、40数年前に母が風邪で寝込んだ時に、缶詰のカレーでさえ鍋に入れて焦がした父との夕食以来だと、にやりとしている娘です。同時に妹と二人で、なんとなく哀しい気持で焦げたカレーを頂いたあの時の空気感を思い出しています。

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自分の役割

2013年02月16日 | 第2章 五感と体感
昨日は東急雪谷セミナーBEでの「生き甲斐の心理学講座」でした。

色々な悩みを抱えることや不安感が湧きあがることは、健やかに生きている証拠だと思います。

解決しなくてはならない問題があっても、不安なことが続いていても、問題についての意識化や不安感が意識化されていないほうが、悩みが深いかもしれません。

自分の身の回りに起こることに過剰に反応して、返って事を大きくすることも私自身何度も経験していることです。

昨日の講座では、自分のあらゆる人間関係をグループに分けて、書き出してみました。
私の場合、「自分の現在の家族、自分の実家の家族、仕事、友人」大きく分けると、ざっくりこんな感じです。

そして、「書きだしたグループのなかから一つのグループだけのことに関して考えてみると、自分はそのグループの中でどのような役割を担っているか。どんな立場か。」ということを問い、そこから展開する、という内容で行いました。

自分のグループにおける役割をあれもこれも一色単にしていたら、どうでしょう。

自分の役割、自分の出来ることを今一度意識化してみると、自分の身の丈が見えてきます。

そこからもう一度、自分の役割について考えてみると、自分の立ち位置や役割が整理されて見えてくるはずです。

自己開示訓練(エンカウンター)の項目にある「役割遂行」を一番最初に意識化しておくと、地に足のつく安定感がえられるように思います。

できることなら、他者に振り回されず、自分を見失わず、固い自己概念から解放されつつ、暮らしていきたいものです。

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春の装い

2013年02月14日 | 第2章 五感と体感
梅の花が咲き出しました。

寒い季節は、目的地にまっすぐ向かいどうしても早足で歩いてしまいます。

でも、昨日の湘南、横浜はぽかぽかと暖かく、梅の花を探す余裕もありました。

仕事を終え、気持が緩んだ帰り道、こんなに梅が咲いていたのね。。。と、気付きました。

湘南のほうが横浜よりは気温が高いので、梅の開花も早かったのでしょうが、中学受験の時期を終え、久しぶりに歩いたいつもの路は、冬のグレーから解き放たれて、木々の芽もほわほわと色づいて見え始めていました。

進級したり、卒業したり、入学したり、色々な思いが湧き出す季節でもあります。

春の装いは、気持も晴れやかにしていきます。

花粉も心配な頃でもありますが、春の景色の微妙な変化を愉しみたいものです。


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立春で体感を意識する

2013年02月13日 | 第2章 五感と体感
節分と立春を迎えると「終わりと始まり」を体感します。

横浜に住んでいると中華街で行われる2月10日の春節祭が身近です。

12月31日から1月1日の大晦日から元旦も、身体と心に清浄感が与えられ、清々しい気持で元旦を過ごしますが、身体を気候に委ねて暮らしていると、私の気が陰から陽に入れ替わるような体感を得るのが春分なのです。

私の場合、大寒の時期から陰が深まり、身体もこわばってきます。寒さにも弱いので、一層気を張って過ごすわけです。
この時期を体調崩さず無事に過ごすことに気遣いし、呼吸を整えることを意識します。まるで冬眠している蛙のような気分だなぁ~と思う事もあります。(昨日のブログにも似たようなことを書きましたが…;)

しかし、

立春を境に、底になった陰の気に段々と新しい空気が入り込んだ体感となり、今朝の目覚めは久しぶりに陽の気を感じるすっきり感を得ています。

暦を眺め、大寒あたりから「気」が下がるカーブと立春あたりから「気」が上がるカーブが、自分の体内に起こっていることを改めて感じ取っています。

身体は正直です。

春分の季節を過ぎた頃の復活祭や花まつりに向けて、寺院や教会は深い祈りの儀式が始まります。修二会や四旬節では、それらの儀式や修行の中で自分を悔い改めていきます。

私にとって、この季節は精神的に一番満たされる時期であるかもしれません。

ともかく、春分が過ぎ、陽の気が身体に廻ってきたことを感じると、また元気が戻ってきました。

季節と気候に身を委ねて、今日も無理せず過ごしていきたいものです。


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