五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

食べる時は食べる

2012年05月11日 | 第2章 五感と体感
答えは自分の内にあるけれど、周りからあれこれ言われているうちに、何となく自分の中にある解決方法が見えにくくなっていることがあります。

あやふやな自分に困り果てた時、

とりあえず、食べる時に食べ、寝る時に寝る、というように、自分の日常をひとつひとつ丁寧に扱ってみると、ほんの少し余裕が感じられてきて、自分の中に持っている解決方法が見えてくるかもしれません。

今の自分に必要なやるべきことを大切にしていると段々と将来に繋がっていくようにも思います。

今日から、宝塚の勉強会です。ブログは日曜日までお休みいたします。
久しぶりに再会する皆様と、和気あいあい、楽しく学んで参ります。

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自己主張の仕方

2012年05月09日 | 第2章 五感と体感
自己主張の仕方で損することを私自身、何度経験したことか…。

自分の不安感を正直に相手に伝える事が出来ず、もしくは、自分の防衛機制から解き放たれず、自分の意固地な言い方が相手に不快な思いをさせることもあります。解っちゃいるけど、反省だらけです。

逆に人との関わりの中で、他者が「人との関わり方において自分が正しいと言わんばかりに強く迫ってくる傾向の人」に「不快感」を感じたりするのは、私の傾向でもあります。
色々な場所で生活し旅を経験してきた私は、現象の違いを比較する傾向にあります。受容することとはちょっと違います。物心ついた頃から、ある所では正しいことでもある所では正しくないことを沢山見てきました。歴史書や古典文学を読むことも同じです。多様性と変化と普遍性が見えてきます。私の場合、多様性に身を置くことで自分のアイデンティティを育んできたようにも思います。つまり「私は私であって私以外の何者でもないこと」ということです。

上記二つの事柄は、自分の中にある「ある傾向」に対するプラスの部分とマイナスの部分が表出された結果の「自己の感情」です。良くも悪くもどちらとも「自分」なのです。
対局するものが無くては比較考察することもできません。

生き甲斐の心理学の学びの中で、変わることの無い自分の傾向を爆発させずに、静かに湧き出す感情を受容する訓練は多少は出来てきたように思います。
自分が「嫌だな」と思った他者の言動や行動に対して、いちいち声を荒立てず、聞き流し、見て見ぬふりをし、相手の傾向を受容しながら静かに通過することがストレスを最小限にしながらできるようになってきたような気がします。

「解っちゃいるけどやめられない自分の傾向」や「自分がカチンと来る時のタイミング」が、自分自身そのまま受容できてきたときに、相手に対しても多少の寛容さが芽生えてくるわけです。

さて、「自分の自己主張の仕方」に特徴があるとしたら、どんな特徴があるのでしょう…

自分の特徴は、自分の傾向です。性格にも繋がりますが、持って生まれた特徴だけでなく、生まれてから今日までの生育史から育まれた自分の傾向が、自分自身を損な状態に陥らせていることもあり得ます。

親からどのように育てられ、友達とどのように付き合い、どのような人を好きになり、自分は何を相手に求めているのか。
それらのことを丁寧に意識化していくと、自分の自己主張の仕方が見えてきます。

自己主張の仕方で自分は損してるな~~と、思ったら、反省することも必要です。

反省しながらそれでも自分を卑下せず、「私らしさ」を出してこそ、生き甲斐ある人生を送ることができるように思うのです。

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広場に集まる

2012年05月08日 | 第2章 五感と体感
フランスの大統領選挙。
オランド氏の勝利、17年ぶりに社会党が勝ちました。
サルコジ氏とは競り合いながらの戦いでした。

戸籍上「妻」ではありませんが、奥様のバレリーさんは政治ジャーナリスト。奥様が歌手からジャーナリストに変換というのも興味の対象です。

「サルコジ氏が勝てば、コンコルド広場に人が集まり、オランド氏が勝てばバスティーユ広場に人が集まる」ことにフランスの歴史背景がそのまま積み上げられながら時を刻んてきたことの象徴として、はてさてどちらになるかを注目してきました。

結果、バスティーユに勝利を祝う人々が集まることとなったわけです。

東京では、関ヶ原の戦いから明治維新。そして、第二次世界大戦での敗戦と大きな歴史の流れはあったとしても、広場を埋め尽くす人の波といったら60年代、70年代安保の頃以来、記憶に無いように思います。

もともと「広場」という場所はあっても、広場の使用方法は、フランスとは大きく違うのです。

東京駅から皇居までの大通りはあったとしても、人が集まるための放射線状の中心の場というのは東京にはありません。
行幸を見送るためのまっすぐな通りとは、使い方は違うわけで、せいぜい日比谷公園の広場くらいでしょうか。
日本の場合、広場は路には無く、路から逸れた場所にあるのです。
ヨーロッパの小さな村に行けば明らかに解りますが、教会とその広場を中心に放射線状に路が広がり、広がった路を中心に路地が形成されています。
日本は、奈良時代から四角い都市を作り続けてきました。

自己主張することと自分の属する組を明確に意識している文化。

社会的、政治的なことはお上に任せてきた文化。

民主主義的な、そして「自由・平等・博愛」の民衆の思考と行動を改めて考えさせられた一日でした。

かく言う私も、腕組みして達観し、このように批評しているわけです。

自分の身の置き場をどう選択するか。ほんとうはとても大事な事なのです。
「何でもあり」のようでそうで無い日本の都市計画事情。将来の都市計画のデザインが日本の行方を変えていくかもしれません。(ますます達観的になってきました(笑)、、、)

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愛を信じていたら「時は来る」

2012年05月07日 | 第2章 五感と体感
人の湧き出す感情には意味があります。

行動にも意味があります。

でも、自分の湧き出してくる感情や行動、考え方に「これには意味があるのだ」と、常に冷静に受容することができたら、人は怒ったり泣いたりしないはずです。

或る人に対して、その人と関わる他者の解釈の思い込みが強いあまり、余計な神経をつかって、他者否定することも、案外自分の考え方と湧き出す感情の傾向に、何らかの防衛機制があるから余計にストレスを溜めているということもあり得るようです。

物凄い怒りの感情が湧き出してきたとき、自分の日常のストレスと今の感情がどのように関連しているかをほんの少し意識化してみると、沸騰しているこの感情が、沸騰するまで沸き立たせる必要が自分にとってあるか、吟味することができると、多少の落ち着きが自分に訪れるかもしれません。

自分自身が愛を信じていれば、必ず良い方向へ変化していくようです。
ただ、幼い頃から愛し愛されながら自分のアイデンティティを統合していくことをしてこなかった人との関わりは、難しいかもしれませんが、大抵の人は愛を体感の中に持ち備え、普遍的な愛を自分なりに解釈しているはずです。

他者との関わりから自分の心に起こる異変は、他者を変えようとするのではなく、まずは揺らいでいる自分をどうするかという視点に立った方が、手っ取り早いはずです。

相手を無理やり変える事はできません。
でも、何かに気付いた自分であれば、自分自身概念を再構成することはできます。

自分の概念が変容してくると、あら不思議、相手も何か変わってくるのです。

自分を卑下することなく、反省しすぎることなく、自分のせいだと思う事無く、「私は私」で、堂々と歩んでいきたいものです。

普遍的な愛を信じていると、「時は必ずやってくる」と私は信じています。

それと、自分が何か(誰か)と戦う時、戦いに勝ち目があるか、相手にされないか、それとも負けるか、或る程度予測ができるのであれば、闇雲に戦うのではなく、自分が予想する結果を冷静にイメージした上で、戦い方を吟味することも必要かもしれません。

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新緑の久良岐能舞台

2012年05月06日 | 第2章 五感と体感

photo:久良岐能舞台

雨上がりの朝、久良岐能舞台の山門をくぐると、水を含んだ土と草木から蒸気が立ち、青々しい新緑の香りに迎えられました。

ありがたいことに年に数回、能舞台に立つ機会を持たせていただいています。このような機会を惜しげもなく与えてくださる師匠に恵まれ、本当に私は出会いに恵まれているなぁと、しみじみと思います。

舞台に立たせていただくごとに、色々な実感が湧いてくるのですが、出来はまだまだとしても敦盛クセを舞うのが3月に続き二回目とあって、謡いの曲想と自分の所作が繋がることを意識出来たように思い、舞い終わった途端、「次へ」の情動が不思議と湧いてきたのです。あやふやな所作がクローズアップされてきたことで、ギリギリまで練習したのですが、あやふやなことがあやふやであることを気づくことができたのも、私にとっての進展かもしれません。
能を始めて5年目の春。ようやく一歩歩んだ心地になりました。

能の出合いは、中学生の頃、毎週日曜日の早朝にNHKで放映していた能楽です。日曜日、家族が誰も起きてこない早朝にリビングで一人能を観る事が恒例でした。自分でチケットを購入できるようになった学生の頃から能舞台に足を運ぶようになりました。美術を学びつつ、自分の興味は西洋よりも東洋に向き、曼荼羅を追い求めてインドやネパールを旅する中、その頃から、仏教講座を一般に開講する所が出始め、私なりの学びをしてきました。
段々と能の装束や日本の和室文化のしつらえが、私の身体に沁み込んでいることを改めて気付くこととなり、掛け軸や屏風を作り自分の作品をはめることで、自己表現を行ってきました。いつしか、表具の美しさの虜になってしまうわけですが(笑)

謡曲を謡いたいという気持は、20代の頃からありましたが、友人が習い始め「一緒にどう?」という言葉を掛けられたのは、それからとうに20年以上過ぎた時でした。その友人は、足を突っ込む前に止めてしまい、結局私の方が入門。何かに出合うというのは、こういくことかもしれません。

「自分のやりたいことを選んでいくこと」も「やらざる得ないこと」も、どちらにしても成りたい自分を自分が作り上げているようです。

「人は成りたい人に成る。」
という言葉に真実味を感じるようになったのも、人生五十年ゆえの我が感情なのだと思うわけです。

お金があろうと無かろうと
環境に恵まれていようといまいと、

やっぱり、「人は成りたい人に人は成る」ことは嘘ではなさそうです。

あれが欲しい、これが欲しい、
これがやりたい、あれがやりたい、、、

生きていればこそ、です。

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鯉のぼりに思う

2012年05月04日 | 第2章 五感と体感
五月五日は子供の日。

我が家も小さいながら鯉のぼりを毎年はためかせていました。
子供が小学生くらいまでの話です。

先日の東北旅行では、庭に大きな鯉のぼりが泳いでいる風景をあちらこちらで目にしました。

連休中、糸の切れた凧のように動き回る息子を垣間見ながら、昨日だけは夜家に居るのを狙って、菖蒲の葉を湯船に入れました。
菖蒲湯は毎年欠かさず、行います。何となく、毎年続けている風習を怠ると悔いが残るように思い、続けているわけです。

昔から伝わる伝統行事は、いつしか歳時の顔となり、巡る季節の象徴となり、それぞれの家庭の暮らしの中に根付いていきます。

さすがに子供も成長し、ここ十年は鯉のぼりを出していませんが、路を歩き、鯉のぼりがはためく様子を眺めると、その家のお子様の健康や行く末を自ずと祈る気持ちが湧き出してきます。

この国の行方を祈ることと同じかもしれません。

子供の将来を考えてこそ、この国の行方が明るくなるように思うのです。

子供の日。好き一日でありますように^^/

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まっすぐ見る

2012年05月04日 | 第2章 五感と体感
人と話す時、相手と向き合い、目を見つめます。

大抵、信頼関係が結ばれていると、互いに目を見合いながら会話が進んでいきます。

人と話すと時、目を見合うのが当たり前のことだと思っていたのですが、いつものように目を見て話をしようとすると視線を避ける人もいれば、まっすぐ相手の目を見れば見るほど相手の心の中に防衛機制が広がってゆくのを感じる事もあります。

まっすぐ見ること
まっすぐ見られること

確かに、私自身も自分の中に何らかの防衛機制が働いていると、相手の目を見ることができない時があります。

傾聴する際、相手の目を見つめながら、湧き出る防衛機制を利用することもあります。そうすると、感情転移的な現象に遭遇したり、言い訳になったり、子供時代のことを話し出したり、話題を変えられたりすることがあります。その人が話したいと思った内容やや湧き出した感情には、必ず意味があるのです。

それらを否定もせず肯定もせず、下手なコメントは一切言わず、ただただ聴いていきます。

そのような状態が少し続いていくと、いつしか目を見て話をしてくださるようになっていきます。

数分でまっすぐ見てくださる方もいらっしゃれば、数か月かかる方もいらっしゃいます。
でも、まっすぐ見られることに何らかの防衛機制が働き続けていると、いつしか私から離れていきます。

「この人と話したい」という情動が湧いてくると、自然と目と目が合うのです。

人との出会いは一期一会だと思っています。出会った方々と交わす言葉は尊いものです。

だからこそ、まっすぐ見る…という行為は、基本中の基本だと思っています。

他者との関わりの中で、自分が吐き出す言葉には、何らかの傾向があります。自分の傾向は、一体どんな防衛機制と繋がっているのか、そのことをある程度自覚しながら、目と目を合わせていきたいものです。

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子供が口を噤む

2012年05月03日 | 第2章 五感と体感
親子関係において、子供が言う事へのコメントが手厳しかったり、いちいち否定したり、社会の批判を事あるごとに子供にぶつけたりしていると、段々子供は親に話をしなくなるようです。

私自身がそうでした。
平素、親が子供に発する言葉は、できれば、自己肯定他者肯定でありたいものです。

親が毎日不平不満だらけの言葉の連鎖で生活していると、何かが起こった時に、子供は親の言葉に耳を貸そうとしません。「どうせ…」という気持ちが先立ち、愛されていない自分だと自分自身を卑下していくのです。

自分を批判されるだけでなく、社会の事まで批判されると、聞いている子供はたまったものではありません。

言う前に口を噤んでしまうと、言いたい事が上手く言えなくなり、そのうち黙っているほうが楽になります。
黙ることで楽が続けば良いのでしょうが、そんなことはありません。他者に自分のことを聞いてほしくても、そのまま受容されないことへの不安感が高まり、ますます口を噤んでいきます。

私自身、親に対しては大人になっても自分の気持ちを素直に伝える事が未だに苦痛を感じます。或る程度言いたい事が言えるようになったのは最近です。よくよく考えてみると、言いたい事が言えるようになるまで、両親が生きていてくれていることは、有難いことなのです。

親子とはそういうものだ…、と諦める前に、なぜ我が子が自分に対して口を噤むのか、親である自分の対応や平素言葉の傾向を振り返ってみることも、何らかの気付きをもたらすかもしれません。

なんでもかんでも親に話す子供よりも、口を噤む戦術で親からのストレスを交わす子供のほうが、生き延びる力を蓄えているかもしれませんが、それは、人それぞれの解釈次第です。

思春期の子供達との関係性において、自己肯定、他者肯定で居られる大人の存在は、子供にとって自分を見ていく鏡の役割となっていくようです。

連休が終わり、中学高校と、新しい環境に慣れてくる反面、疲れも出てきます。
「最近のお母さん、やたらと優しい、、、文句ばっかりじゃなくて、ちゃんとうんうんといって自分のことを聞いてくれる…」と、子供が思うくらいの気持ちがあって欲しいものです。
気を許して何かを言いだした子供の梯子を外さないことは、もっと大事なことだということを忘れずにお願いいたします。

そのためには、「自分自身の湧き出す感情の傾向」と「自分自身が口に出す言葉の傾向」を静かに見定めてみる余裕を持つことのほうが先にやらなくてはならない作業かもしれません。

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東北の旅・松島

2012年05月02日 | 第2章 五感と体感
出会った人々との会話が印象深い今回の東北旅行でしたが、強く心を突いたのは、津波や原発事故のことでした。

平泉の中尊寺で、膝を庇いながら階段を下りる母に声を掛けてくださった親子三代のご家族は、磐梯山でお寿司屋さんを経営されていらっしゃるそうです。原発事故以来、観光客が少なくなり大変だし、陸前高田に住む親戚が津波で亡くなり、今日は法事の帰りなのだと説明してくださいました。確かに東北道のサービスエリアでは、喪服姿の方々が目につきました。

松島のホテルで夕食を共にした親戚も名取市の単身赴任で住んでいる家は大丈夫でしたが、経営する会社を移転せざる得なくなり便利な青葉区に昨年秋に引っ越し。
名取市の津波被害の様子を聞き、復興のために色々な活動をしていることに希望を感じました。

旅の最終日は、観光を復活させた松島を巡りました。観光船もこの連休ですべてのルートが再開したようです。
松島沿岸は、津波の被害には遭いましたが、他の地域に比べると、屋並みも以前の姿が残っていて、瑞巌寺の参道の杉木立ちもほぼ海水に浸かったそうです。でも枯れた杉は見当たらず、荘厳な風情がそのままの形で守られています。
お店は、一カ月ほど前に再開したところが多いようです。泥をかき出す作業から始まった復興の話を聞かせていただき、観光客は、その話を聞かなければ、何事も無かったかのように思うくらい元に戻っていると言っても良いと思います。

初めて松島を訪れた私は、説明されない限り美しい風景がそのまま残っているように見えました。島々が沿岸を守ったのでしょう。三陸海岸の沿岸を走り、一月に訪れた山元町を考えると、奇跡のように思います。

旅の締めくくりは、松島の五大堂でした。沿岸から赤い橋を二つ渡ると小さな島に御堂が建っています。坂上田村麻呂が建立した御堂です。「よくぞ無事だった!」と称え、しみじみと海を見渡す観光客の姿を見ながら、観光地の醍醐味がこれなのだ、と同じく観光客の私も人の戻った観光地にエールを送りたくなりました。
五大堂で海を眺めながら美味しそうにアイスクリームを食べている真新しい制服を着た中学一年生の男子に「どこから来たの?」と尋ねると、「南相馬から!」と嬉しそうに答えてくれました。どこにでもいる悪ふざけの生徒がケラケラと笑いながら歓談している姿に、私達でなく周りの観光客も「そうか…」と、言葉を詰まらせていたことも、旅の思い出となりました。

陸奥を守ろうとする坂上田村麻呂が、蝦夷征伐の魂の安らぎを祈って清水寺を建立したと聞いています。
東北の地を守り、復興していく若い命に五大堂で出会う事ができたのも何かの縁だと解釈しています。
南相馬の中学生君達、満願の笑顔と楽しくてしょうがない笑い声に、私はとても元気を頂きました。
ありがとう!

ゴールデンウィーク後半にも多くの観光客を期待している東北の観光地。行って、観て、聞いて、話して、感じたことをこうやって伝える人が一人でも多く居るよう願いつつ、私も小さな砂の一粒の呟きとして、何かに繋げていくことができればいいなと思います。

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