1990年代初頭からこれまでの約四半世紀、それぞれの階級で印象に残った選手を各階級3人ずつ挙げていっています。記載上のルールは各選手、登場するのは1階級のみ。また、選んだ選手がその階級の実力№1とは限りません。個人的に思い入れのある選手、または印象に残った選手が中心となります。
前回からスーパーウェルター級になりました。今回登場するのは、スーパーウェルター級第一弾として登場したテリー ノリス(米)と時代が重なった選手であるフリオ セサール バスケス(亜)になります。バスケスは1992年末にWBA同級王座を獲得し、1995年3月にその王座から陥落するまでにあっという間に10度の防衛に成功。王座を失ってから9ヵ月後にはその地位に復帰と、そのキャリアを振り返ってみると、とても忙しい選手でした。
(今回の主人公フリオ セサール バスケス)
1986年の6月にプロデビューを果たしたバスケス。そのデビュー戦からコツコツと試合を重ねていきました。主に母国であるアルゼンチンで試合を行っていたバスケスですが、隣国のウルグアイ、米国、スペイン、英国、フランスと徐々にその足場を海外に広げていきます。
30の白星をきれいに並べたバスケスですが、31戦目に、後にWBO、マイナー団体WBU(初代)、IBFスーパーウェルター級(2度)王座に就いたバーノ フィリップス(米)に6回反則負け。31戦目にして初の黒星を喫してしまいました。しかしたった一つの敗戦でくじけるような選手ではありません。フィリップス戦から僅か一ヵ月半後にKOで白星を飾ると連勝街道に復帰。9つの白星を加えます。
バスケスの世界初挑戦は1992年の年末。人気者ビニー パジェンサ(米)が交通事故で長期離脱、そして剥奪されていたWBAスーパーウェルター級王座を新日本木村ジムの上山 仁と争います。当時、日本同級王座の安定政権を築き、その後同王座の20連続防衛し王者のまま引退した上山ですが、世界のパワーの前にあえなく撃沈されてしまいました。僅か2分59秒で終わってしまったその試合。その試合から20年以上経ちますが、いまだにスーパーウェルター級の世界トップ戦線と日本の第一人者の実力差は、残念ながらバスケスと上山ほどの差があるのではないでしょうか。
(上山に圧勝し、世界王座を獲得したバスケス)
上山戦後もその勢いが止まらないバスケス。世界王座を獲得した翌年1993年はそれまで通りに頻繁にリングに登場。世界戦、無冠戦を交互に繰り返しながら6度の試合をアルゼンチン、スペイン、フランス、そしてモナコの地で行い当然のごとく全勝。1994年も忙しいリング活動を続けます。その年には当時プロボクシングの土壌がゼロだったカザフスタンのリングを皮切りに、米国、母国、英国、フランスとこの年も6試合を行うという大忙し。まさに「戦うチャンピオン」であることを証明しました。最近は世界王者になった途端、急激に試合数が減る選手が増えていますが、このバスケスの姿勢は大いに見習うべきでしょう。
10連続防衛に成功したバスケスですが、その10人の挑戦者の中で注目すべき選手は、後にWBC同級王座に就いてハビエル カステジョホ(スペイン:僅差の判定勝利)、そして4つの王座を順次獲得していったロナルド ライト(米)を5度倒した末に判定防衛に成功した事ではないでしょうか。その2つの試合ともバスケスからすれば何とか勝利を収めることが出来た厳しいものでした。しかしその2人の強豪に勝利したからでこそ、バスケスの地位は不動になったといっていいでしょうね。
バスケスが獲得した王座(獲得した順):
WBAスーパーウェルター級:1992年12月21日獲得(防衛回数10)
WBAスーパーウェルター級:1995年12月16日(0)
しかしそんな忙しいバスケスにも落日の時が訪れます。1995年3月に終止符が打たれバスケス政権。バスケスを止めたのが、ボクシング史上最大のテクニシャンであるパーネル ウィテカー(米)でした。バスケスは勝利を収める時は、上山戦で見せたように素晴らしい速攻劇を演じます。しかし序盤戦での攻撃が通じない場合、タラタラとフルラウンド費やしてしまうという、勝ちパターンが限定されていた選手でもありました。ウィテカーはこの南米の突貫小僧を右ジャブだけでコントロールしてしまいました。まあ、体格面では不利だったにせよ、ウィテカーからすれば戦いやすい選手だったでしょうね、このバスケスは。逆に言えば、バスケスはウィテカーの持ち味を十分に出させた選手でした。
その年の師走には、ウィテカーの返上した王座に就いていたカール ダニエルズ(米)に大逆転のKO勝利を収め世界王座に復帰したバスケス。しかし1996年の夏ににフランスのリングで2度目の王座を失ってしまいました。経済的理由から2009年まで戦い続けたバスケス。終身戦績は68勝(43KO)13敗(6KO負け)1引き分け。11の黒星と1つの引き分けは、2度目の世界王座から決別した後に喫したものでした。
多くの国々でその雄姿を披露したバスケス。決して好みのボクシング・スタイルの持ち主ではありませんでしたが、非常に印象に残る選手でした。また、外見も個性的なもので、厳ついというかゴツイ表情の選手でした。目元は違うのですが、その輪郭が日本を代表する俳優に似ていたように思います。そういえばその俳優が演じたある役柄も、色々な場所を渡り歩いていた渡世人でした。
(バスケスと日本のフリオ セサール バスケス?のそろい踏み)
前回からスーパーウェルター級になりました。今回登場するのは、スーパーウェルター級第一弾として登場したテリー ノリス(米)と時代が重なった選手であるフリオ セサール バスケス(亜)になります。バスケスは1992年末にWBA同級王座を獲得し、1995年3月にその王座から陥落するまでにあっという間に10度の防衛に成功。王座を失ってから9ヵ月後にはその地位に復帰と、そのキャリアを振り返ってみると、とても忙しい選手でした。
(今回の主人公フリオ セサール バスケス)
1986年の6月にプロデビューを果たしたバスケス。そのデビュー戦からコツコツと試合を重ねていきました。主に母国であるアルゼンチンで試合を行っていたバスケスですが、隣国のウルグアイ、米国、スペイン、英国、フランスと徐々にその足場を海外に広げていきます。
30の白星をきれいに並べたバスケスですが、31戦目に、後にWBO、マイナー団体WBU(初代)、IBFスーパーウェルター級(2度)王座に就いたバーノ フィリップス(米)に6回反則負け。31戦目にして初の黒星を喫してしまいました。しかしたった一つの敗戦でくじけるような選手ではありません。フィリップス戦から僅か一ヵ月半後にKOで白星を飾ると連勝街道に復帰。9つの白星を加えます。
バスケスの世界初挑戦は1992年の年末。人気者ビニー パジェンサ(米)が交通事故で長期離脱、そして剥奪されていたWBAスーパーウェルター級王座を新日本木村ジムの上山 仁と争います。当時、日本同級王座の安定政権を築き、その後同王座の20連続防衛し王者のまま引退した上山ですが、世界のパワーの前にあえなく撃沈されてしまいました。僅か2分59秒で終わってしまったその試合。その試合から20年以上経ちますが、いまだにスーパーウェルター級の世界トップ戦線と日本の第一人者の実力差は、残念ながらバスケスと上山ほどの差があるのではないでしょうか。
(上山に圧勝し、世界王座を獲得したバスケス)
上山戦後もその勢いが止まらないバスケス。世界王座を獲得した翌年1993年はそれまで通りに頻繁にリングに登場。世界戦、無冠戦を交互に繰り返しながら6度の試合をアルゼンチン、スペイン、フランス、そしてモナコの地で行い当然のごとく全勝。1994年も忙しいリング活動を続けます。その年には当時プロボクシングの土壌がゼロだったカザフスタンのリングを皮切りに、米国、母国、英国、フランスとこの年も6試合を行うという大忙し。まさに「戦うチャンピオン」であることを証明しました。最近は世界王者になった途端、急激に試合数が減る選手が増えていますが、このバスケスの姿勢は大いに見習うべきでしょう。
10連続防衛に成功したバスケスですが、その10人の挑戦者の中で注目すべき選手は、後にWBC同級王座に就いてハビエル カステジョホ(スペイン:僅差の判定勝利)、そして4つの王座を順次獲得していったロナルド ライト(米)を5度倒した末に判定防衛に成功した事ではないでしょうか。その2つの試合ともバスケスからすれば何とか勝利を収めることが出来た厳しいものでした。しかしその2人の強豪に勝利したからでこそ、バスケスの地位は不動になったといっていいでしょうね。
バスケスが獲得した王座(獲得した順):
WBAスーパーウェルター級:1992年12月21日獲得(防衛回数10)
WBAスーパーウェルター級:1995年12月16日(0)
しかしそんな忙しいバスケスにも落日の時が訪れます。1995年3月に終止符が打たれバスケス政権。バスケスを止めたのが、ボクシング史上最大のテクニシャンであるパーネル ウィテカー(米)でした。バスケスは勝利を収める時は、上山戦で見せたように素晴らしい速攻劇を演じます。しかし序盤戦での攻撃が通じない場合、タラタラとフルラウンド費やしてしまうという、勝ちパターンが限定されていた選手でもありました。ウィテカーはこの南米の突貫小僧を右ジャブだけでコントロールしてしまいました。まあ、体格面では不利だったにせよ、ウィテカーからすれば戦いやすい選手だったでしょうね、このバスケスは。逆に言えば、バスケスはウィテカーの持ち味を十分に出させた選手でした。
その年の師走には、ウィテカーの返上した王座に就いていたカール ダニエルズ(米)に大逆転のKO勝利を収め世界王座に復帰したバスケス。しかし1996年の夏ににフランスのリングで2度目の王座を失ってしまいました。経済的理由から2009年まで戦い続けたバスケス。終身戦績は68勝(43KO)13敗(6KO負け)1引き分け。11の黒星と1つの引き分けは、2度目の世界王座から決別した後に喫したものでした。
多くの国々でその雄姿を披露したバスケス。決して好みのボクシング・スタイルの持ち主ではありませんでしたが、非常に印象に残る選手でした。また、外見も個性的なもので、厳ついというかゴツイ表情の選手でした。目元は違うのですが、その輪郭が日本を代表する俳優に似ていたように思います。そういえばその俳優が演じたある役柄も、色々な場所を渡り歩いていた渡世人でした。
(バスケスと日本のフリオ セサール バスケス?のそろい踏み)