歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

eiga.『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』

2011年07月20日 | 映画
たんぽぽのわがまま映画批評No.16
『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』日本/2010
監督、脚本:大森立嗣
音楽 大友良英

キャスト:松田翔太(ケンタ)、高良健吾(ジュン)、安藤サクラ(カヨちゃん)、新井浩文、柄本佑、小林薫


生きることってこんなにも苦しくて難しい。

親もいない。
居場所もない。
はじめから選ぶ権利なんて与えられなかった。

変え様のない現実、逃げることのできない現実。
彼らを囲い込む何重にも折り重なった社会の壁。
そこから抜け出すためには、もうぶち壊すしかなかった。
壊して壊して壊しまくったその先には、何があっただろうか。

狭い世界で生きるしかなかった。
限界まで膨らんだ閉塞感。

でも「三人なら、生きられる。」気がした。


日本の徹底した管理社会には、はみ出し者の居場所なんかほとんどない。
ルールをつくって社会の隙間をなくしていく、それが日本。
アンダーグラウンドを認めない。
多様性を訴えながら、一元的な社会を目指す矛盾。
無意識の排他性とでもいおうか。

息苦しい。


正直カヨちゃん演じる安藤サクラに全部持っていかれた。
男2人じゃ心もとない。

またしてもエンディングテーマは阿部芙蓉美。
曲は岡林信康の「私たちの望むものは」。
その歌詞と、ラストシーンがシンクロして私の体に浸透していく。

(略)
私たちの望むものは くりかえすことではなく
私たちの望むものは たえず変ってゆくことなのだ

私たちの望むものは 決して私たちではなく
私たちの望むものは 私でありつづけることなのだ

今ある不幸にとどまってはならない
まだ見ぬ幸せに今跳び立つのだ!

私たちの望むものは 生きる喜びではなく
私たちの望むものは 生きる苦しみなのだ

私たちの望むものは あなたと生きることではなく
私たちの望むものは あなたを殺すことなのだ


文句なく私の好みかと聞かれれば、NOである。
この映画は少し語り過ぎなのだ。
しかし、テーマは近いといえるかもしれない。
突き刺さる様な日本の青春。

コメント
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