歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

雨がやんだらうちに帰ろう

2013年09月08日 | 日記
明日から2連休なわけで、帰り際夕立が降ったとしても浮ついた気持ちになんら影響はない。
浮ついた気持ちは浮ついたまま上へ上へと登っていくだけのこと。

仕事場からボーイフレンドに電話をすると「疲労でこれから寝る」らしく、これでは家でギターの練習もできやしない。
ギターの練習と言ってもコードを押すだけの簡単な練習。

まぁいいさ、何せ2連休が待っているのだから。

’室内から見る夕立’は、いざさらされてみると夕立というにはあまりにも激しく跳ね返る雨粒で足下はびしょ濡れ。
もちろん夕方の雨は朝から把握していたので傘に長靴と備えは万全なのだが、そんな予報は簡単に裏切られてしまった。
その突発性と集中豪雨を意味合い的にも言葉の響き的にも表したのが「篠突く雨」でも「驟雨」でもなく、まさに「ゲリラ豪雨」。

それでもめげずに、いつも暇している友達をご飯に誘うと「NO」。
なんでも母親が足をくじいて、日常生活もままならないのだとか。
彼女は文句を言いながらも素直に帰っていったのだった。

そしてあっという間に自分の町の駅で一人になってしまった。
それでも今日の’何かやりたい気分’は根強かった。
駅の本屋で宮沢賢治の詩集を買い、豪雨にさらされ鞄を抱えながら着いた先はいつもの喫茶店。
雨があまりにもひどいので客はほとんどいないだろうと践んでいたらなんのその、一人客が4、5組はいた。
みんな雨のせいで帰れなくなっているような感じだった。

とりあえず席に着き買ったばかりの詩集を開くと、おじさんが水とおしぼりを持って来てくれたのでいつものスパゲッティを注文。
おじさんは愛想もなければ無愛想もないってな顔でカウンターの方に消えていった。

なんで今宮沢賢治なのかは自分でもわからない。
これといって宮沢賢治の熱烈なファンでもなければ、知っている文章も有名なものに留まる。
実際に彼の本を手にするのは初めてだ。
昔から少しミーハーなところがあって、その矛先が常に同世代の女の子と少しズレていた。
今回はそれが宮沢賢治なのだろう。

子どものときに見た、父の版画「雨ニモマケズ」は今でもなんとなく覚えている(タイトルは違うかもしれない。)
デクノボーが走っているみたいなんだけど、デクノボーっていったいなんなのかさっぱり分からなかった記憶がある。
役に立たない人とか気が利かない人とかいった意味は知っていても、その先がわからない。

あの詩で好きなのが

アラユルコトヲ
ジブンヲカンヂャウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ

という部分。
正確な意図も意味も知らないけれど、感覚的なところで私にダイレクトにつながってくる。

相変わらず外は大雨で、向かいのテーブルに座っているおばさんはちらちらと窓の外に目を向けてはコーヒーカップを口に運ぶ。
隣のテーブルでは作業着姿のお兄さんがぷかぷかとタバコを吸いながら物思いに耽っている。
遠くのカウンターの方ではおじいさんが雑誌を広げて何やら難しい顔をしている。

そうやって周りの人たちを観察しながら、詩を追っているとなんだか目眩がしそうだった。
思っていたより宮沢賢治の言葉が難しかったからかもしれない。
外側の意味すら推測できるレベルに満たないのだから世話がない。
それでもひとつだけ頭に残ったのが「春の修羅」という詩だ。

これは言葉の響きが凄くきれいで

いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ

と言った具合(ほんの一部)。
やっぱり意味は分からない。
変かもしれないけど、単純に「うわっ、かっこいい」って思ったのだ。

4、5年前に坂本龍一がNHKのテレビ番組で特集されていたことがあって、その時彼が歌詞について語った言葉が印象的だった。
坂本さんの耳には歌詞は入って来ないのだという。
そこでは歌詞は記号でしかなく、すべて音で認識するのだとか。
例えば知り合いでもある桑田圭祐の歌詞について「理解しようとするんだけど、よくわかんないんだよね。」と言った上で、
相対性理論というバンドの綴る一見ちぐはぐな歌詞の方がまだしっくりくるというようなことを付け加えた。
いい意味でも悪い意味でもショッキングな出来事であった。

私はいろんなことに意味をつけたがるけど、あるいは意味を探したがるけど、
大それた意味なんて最初からないし必要ないのかもしれないと思ったのだった。

そんな感じで詩集を開いたままぼーっとしていると、カウンターの方から「もう雨止んでるわね。」と言うさっきのおばさんの声が聞こえてきた。
「そうですね。だいぶ止んでいるみたいです。」という店長の声を背中にそそくさと戻って来た彼女は本やらなんやらを鞄につめその勢いを失うことなく帰っていった。

隣のテーブルのお兄さんはそれから何本かタバコを吸ってから同じように帰っていた。
気づけば雑誌のおじいさんもいなくなっていた。

そしてまた一人になってしまった。
残ったスパゲッティとシナモンミルクティを口に掻き込み、ちょっとだけ詩集を読んだフリをして私も帰った。

外は小雨だったけど、涼しくて気持ちよかった。
浮き立つ気持ちは消化しきれなかったけど、こんなもんかなって少しだけ納得できたからそれでよし。
明日からの連休を楽しむとしよう。
コメント
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