歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

右向け左

2017年01月23日 | 空想日記
スッスッスッ、シャッシャッシャッ、スースッスッス。

電車の中に充満する不穏な空気。

皆首を垂れスマートフォンに従事している。

仕事をしているのかもしれないし、

ゲームをしているのかもしれないし、

SNSをしているのかもしれない。

なんであれ皆が一様に下を向いている姿は異様だ。



皆空いた時間を嫌がる。

何もすることがないと人はそわそわして落ち着かなくなる。

そんな時スマートフォンは救世主だ。

あんな小さな姿をしているのに、

あれ1つあればいろんなことができる。



誰が見ている訳でもないのに、

自分までもがその風景に同化するのは許せない。

誰かがこの風景に歯止めをかけなければ、

というまこと勝手な使命感に燃えているわけだ。

そういうこともあって移動時間が長いと分かっているときは、

必ず軽目の本を持っていくようにしている。



私は空間の在り方というのを気にしてしまう癖がある。

特に皆が同じことをしている空間が嫌いだ。

電車内もそうだし、知人とお茶を飲んでいるときなど、

片方がスマートフォンを触りだしたら意地でも自分は触らない。

端から見たら、本当にどうでも良さそうなことだ。

全体的なバランスを私一人の行動でどうにかできる訳でもなしに。



2016年爆発的に流行し社会現象となったポケモンGOは、

ゲーム自体は斬新で魅力的だろうし楽しむ分にはなんら問題ない。

しかし夜な夜な公園に集まる大勢の人々の姿を目の当たりにするとゾッとする。



限定された空間内で、ある一定の時間を過ごさなければならない移動時間、

暇を嫌う人たちにとってこれほど苦痛な時間があろうか。

今のところはスマートフォンを触っている人が多いが、

近い将来、紙媒体への関心が高まり皆本や新聞へ回帰したらどうだろう。

電車の中で皆熱心に本を読んでいたらそれはそれで異様だな。

その時私はどうすればいいんだろう。



メールも電話もゲームも本もパソコンもスマートフォン一つに集約されたわけで、

皆下を向いて同じ姿勢を保っていても違うことをしていたりする。

何をするかよりも、何かをするための媒体が少なくなりすぎたのだ。

ただただ風景が寂しい。

しかし、それも今にはじまったことではないのだろう。

その時代、時代に流行はあるし違う形でそういう現象があったに違いない。



私は今よりも昔に憧れを抱くけれど、

昔を懐かしんであの頃はいい時代だったと言うのは幻想だと思っている。

その連鎖は永遠に続くものだからね。

今は未来人にとっての古き良き時代になるのだ。

時間が過ぎるだけで時代に価値がついていく。

それもノスタルジアに取り憑かれた妄想が育むあたたかくも薄っぺらい価値。



右向け左、回れ左!

コメント
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