福に至ると書いて「至福」という言葉は、「この上ない幸せ」のこという。
「幸せ」という言葉を好きになれなかった思春期からすれば、
今の私は「幸せ」を濫用しているかもしれない。
かつて糧だったはずのこだわりは枷となり、苦しいのは嫌だからとどんどん捨てる。
その結果、「幸せ」のハードルが少しずつ下がっているのかもしれない。
なにをもって幸せだと感じるかは人によって全然違うだろう。
私の場合、睡眠環境が恵まれている時に極上の満腹感を味わうことができる。
小さい頃からよく寝る子どもだったので、親からは「眠り姫」などと呼ばれた。
眠たいときに干したばかりのふかふかの布団に潜り込み、
朝は二度寝なんかして起きたいと思ったときに起きることを許される、これぞ至福のとき。
世のお父さんたちの日曜日のような。
至福でありながら凡庸。
凡庸であるが故に至福。
反対に睡眠不足は大敵。
睡眠不足で迎えた日の午後なんかはもう最悪だ。
限界までくると体が勝手に寝る態勢に入り、じわじわあたたかくなってくる。
それに抗うのは至難の業だ。
眠る方に向かう矢印を正面から押し戻す、
この時に生じる摩擦を感覚で例えると体の中を這いずり回るムカデに似ている。
似ていると言ってもそんな経験したことないけど。
ここまで読んでだから何だ?と思うかもしれない。
わざわざ文章に書くことなのか?と疑問に思うかもしれない。
いや、私がそう思っているわけだが、まぁいい。
睡眠不足は良くないけれど、寝過ぎも良くないらしい。
気をつけよう。

今年も梅の花が咲きました。
「幸せ」という言葉を好きになれなかった思春期からすれば、
今の私は「幸せ」を濫用しているかもしれない。
かつて糧だったはずのこだわりは枷となり、苦しいのは嫌だからとどんどん捨てる。
その結果、「幸せ」のハードルが少しずつ下がっているのかもしれない。
なにをもって幸せだと感じるかは人によって全然違うだろう。
私の場合、睡眠環境が恵まれている時に極上の満腹感を味わうことができる。
小さい頃からよく寝る子どもだったので、親からは「眠り姫」などと呼ばれた。
眠たいときに干したばかりのふかふかの布団に潜り込み、
朝は二度寝なんかして起きたいと思ったときに起きることを許される、これぞ至福のとき。
世のお父さんたちの日曜日のような。
至福でありながら凡庸。
凡庸であるが故に至福。
反対に睡眠不足は大敵。
睡眠不足で迎えた日の午後なんかはもう最悪だ。
限界までくると体が勝手に寝る態勢に入り、じわじわあたたかくなってくる。
それに抗うのは至難の業だ。
眠る方に向かう矢印を正面から押し戻す、
この時に生じる摩擦を感覚で例えると体の中を這いずり回るムカデに似ている。
似ていると言ってもそんな経験したことないけど。
ここまで読んでだから何だ?と思うかもしれない。
わざわざ文章に書くことなのか?と疑問に思うかもしれない。
いや、私がそう思っているわけだが、まぁいい。
睡眠不足は良くないけれど、寝過ぎも良くないらしい。
気をつけよう。

今年も梅の花が咲きました。