歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

風が連れてきた大きな生き物

2017年02月17日 | 空想日記
春一番が吹いた。

立て付けの悪い家の窓が、がたがたと音を立てている。

外からはびゅうびゅうと風の音も聞こえてくる。

強風は、得体の知れない何かをこの地へ連れてきた。

大きな龍か、大きな獣か、それはきっと季節を運ぶ役目をする。



見たことがないものを信じるかという質問がある。



例えば、中学1年生の頃友達に幽霊の話をしたことがあった。

彼女は「幽霊は人間が考えだしたものだからいない」と断言した。

当時はなんて頭がいい子なんだろうと感心したものだ。



高校生の頃数学の先生に幽霊の有無を問うたことがあった。

先生は「科学で証明出来ないものは信じない」と断言した。

そのときは、なんて現実的な考え方だろうと思った。



頭の良さそうな人たちの言葉はそれだけで説得力がある。

そして現実的なものの見方が格好いいと思った私は、

「見たことがないものは信じない」と豪語するようになった。



しかし私は「信じる」という言葉の意味を見誤っていたようだ。

「信じる」という言葉にはそもそも断言が通用しない。

「信じる」という方面を見渡すと視界の中には同時に「信じない」も存在し、

「信じない」という方面も同様に「信じる」がすぐ近くにある。

どちらが大きいのかという程度の尺でしか計れない。

あるいは自分の願望が反映されているのかもしれない。



例えば一組の夫婦があったとして、

夫に対して「あなたを信じる」と言う妻がいたとする。

これは信じていないからこそ念を押す場合に持ちいられる常套手段だ。

あるいは信じたいという願望か。



つい百数十年前までは当たり前のように見えない存在と共に生きていたというのに、

すこし科学技術が発達したからといって人間様々になるのもなんだかな。



妖怪博士の荒俣宏さんは人魚の有無について、

「人間が信じた時点で人魚は存在する」と言っていた。

偉そうだが、それを聞いてなんとなくこの人は信用出来る人だと思った。



ポピュラーだからか幽霊の話が多くなってしまったけど、

妖怪とか、精霊とか、おとぎ話に出てくる不思議な生き物とか、

漫画『蟲師』に出てくる蟲とか、小説『鹿男あおによし』に出てくる大ナマズとか、

迷信めいた曖昧な存在がどこかしらに潜んでいるというのは悪くない。

どこかに人間の手が及ばない尊い領域があることを信じたい。





余談だけど、同居人Kは幽霊が大嫌いだ。

トラウマでもあるのか、必要以上に怖がる節がある。

Kが寝ている時に起こさないよう暗い部屋でごそごそ動いたりすると、

寝ぼけたKがそれに気づき「うわぁーーー!」と叫びだす。

これがしつこくて敵わない。

「私ですよ。たんぽぽですよ。」と言っても声は届かず、

しばらくわーわーと勝手に恐れおののいてるもんだから次第に腹が立ってくる始末。

友達に話すと大げさなという感じだったが彼女が泊まりにきたときも発動し、

実際の姿を目の当たりにしてその子もかなり驚いていた。

いったい何がそんなに怖いんだか。

それ以後は笑いのネタになっている。
コメント
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