『新世界より』
貴志祐介 著
講談社 2008(単行本)
前々から読みたくて長らく本棚に寝かせていた本だが、先日やっと全て読み終えた。
というのも文庫版では上・中・下巻ある大作で、読み始めるのにある程度の覚悟が必要だったのだ。
しかし読み始めればなんのその、さすがエンターテイナー貴志祐介といったところか。
物語に引き込むスピードが非常に早く、気づいた頃には彼の術中にはまっていた。
と言いつつまとまった時間がなかなかとれなかったので、読み終わるのに約2ヶ月もかかってしまった。
だからか、読み終えてすぐは長い旅が終わってしまったという寂しさが心中を占めていた。
貴志祐介について
貴志祐介のミステリー小説は基本的にかなり好きである。
『青の炎』は少し毛色が違うけれど、
『黒い家』、『天使の囀り』、『クリムゾンの迷宮』などは超一級の恐怖を味あわせてくれる。
様々な物語を通じて人間の内面的怖さと気持ち悪さを否応無しに突きつけてくるのだ。
得体の知れない脅威がじわじわと迫ってくるときの手に汗握る緊迫感、さらに驚愕の事実に突き当たったときの恐怖は他に得難い体験である。
なぜそんなに怖いのかというと一つに「現実にあるかもしれない」と思わせる設定と綿密な調査にある。
『天使の囀り』は一見超自然的・精神的な話に思えるのだが、読み進めていくうちにシステマティックかつ科学的展開になっていく。
全くのフィクションにもかかわらず、語られる現象があまりにリアルなので一時的だが自分の生活空間に不信を抱いてしまうほどだ。
一番怖かったのは『黒い家』で、読んでいるときはトイレに行くのも憚れるほどだった。
家の中の死角という死角の先に何かおぞましいものが潜んでいるような錯覚にとらわれるのだ。
この3作品は夜読むのはあまりオススメしない。
これは個人的な感想かもしれないが、毎回面白いと思うのはこちらの疑問に対する返答の早さだ。
こちらが腑に落ちない点(特に現実的であるかどうか、また整合性があるかどうかについて)があると、
すぐ後にそのことに対する補足を加えこちらが納得できるようきちんと埋め合わせをしてくれるのだ。
そのきめ細やかな想像力はちょっとすごい。
ピンポイントで照準が合ったときは、ある意味で著者と意思疎通したようなマニアックな感覚に陥る。
と言っても長い作品が多いので物語を読み進める上で主人公の性格に矛盾を感じたり整合性についてなんらかの違和感を感じることもあるが、
それはそれでファンとして愛着をもってそういうこともあるよねと勝手に納得している。
一応断っておくが私は別に文章の粗探しをしているわけではない。
ただ私にとって物理世界の物語には現実性や整合性が非常に重要で、その禁を破られると急に読む気が失せてしまうのだ。
と言っても作品ごとに求めるものは変わる訳で、こと貴志祐介作品にいたっては必要以上にリアリティを期待してしまうということだ。
そういう意味では彼の作品の中でも『硝子のハンマー』や『狐火の家』の人気シリーズは、
いわゆるエンタメっぽさが強く登場人物のキャラクターがオーバーなのであまり好きになれない。
とは言え『硝子のハンマー』の密室トリックの発想は面白かった。
推理小説が好きな方にはいいのかもしれない。
新世界より
貴志祐介作品について語り出すと止まらないので、ここら辺で本題に入ろう。
今回読んだのは2008年の第29回日本SF大賞受賞作品である『新世界より』だ。
オススメSF小説を紹介するサイトでは高い確率で紹介されている言わずと知れた有名作品らしい。
私の目に止まった一番の理由は『新世界より』という大仰なタイトルである。
どんな新世界の話が待っているのか、想像するだけでワクワクする。
以下ネタバレあり。
◆ストーリー
物語は、主人公渡辺早季のモノローグから始まる。
10年前に起きた一大事件の中心にいた彼女は、人類が同じ轍を二度と踏まないよう願いを込めて記録を残すことにした。
話は彼女の子供時代にさかのぼる。
物語の舞台は利根川を中心とした周囲50キロメートルほどの地域に7つの郷が点在する神栖66町である。
一昔前の古き良き日本らしい田舎の風景が印象的な町だ。
町は八丁標(はっちょうじめ)というしめ縄で外界から明確に隔てられ、神話的な雰囲気が漂っている。
そこで描かれる懐かしくも美しい風景描写と子ども時代特有の情感はSF小説と言うよりは青春文学のようであり、
古風な閉塞感、また古くから伝わる「悪鬼」や「業魔」などの伝説、厳格な掟などに基づいた空気感は民話のようでもある。
これは本当に新世界の話なのかと疑心暗鬼の中読み進めると、その世界の人間が「呪力」なる超常的な力を持っていることを知り一時的だが落胆した。
ファンタジーならそれでいい、しかしSF小説を期待している者にとっては受け入れがたい展開だ。
しかしここは貴志祐介、きっと何かすごい仕掛けがあるはず。
話は主人公の成長とともに進み、自意識が芽生えるにつれて彼女はその世界があまりに平和で健全なことに違和感を感じ始める。
彼女が暮らすのは徹底された情報統制と厳格に定められた倫理規定によって管理された社会だった。
早季はいつも何か大事なことを見落としているような引っ掛かりを感じるが、肝心なところで靄がかかりそれがなんなのかはわからない。
その感覚は常に行動をともにするよう定められた全人学級の1班の中で共有され、彼らは正しすぎる世界の異分子となっていく。
そしてついに彼らは12歳の夏季キャンプで重大な倫理規定違反を犯し、知ってはいけない事実を知ってしまう。
それは平和ボケした自分たちの世界が血塗られた歴史の上に成り立っているという信じがたいものであった。
「殺人」という概念すらない八丁標の内側に暮らす子どもたちにとってそれはあまりに残酷な事実だった。
さらに読者はそこでその世界が今から1000年先の未来であり、全てが崩壊したのちに再構築された新世界だということを知るのだ。
「呪力」というのは前史の最後に現れた超能力者たちの力で、彼らは長い歴史の中で能力を持たざる者に台頭してきた新人類だったのだ。
力を持たざる者はいったいどこへ行ってしまったのか、厳格な倫理規定はいったい何のためにあるのか、
知りすぎた子どもたちに忍び寄る管理社会の魔の手、大人たちが恐れる真の脅威とは。
「外界で繁栄するグロテスクな生物の正体と、空恐ろしい伝説の真意が明らかにされるとき、「神の力」が孕む底なしの暗黒が暴れ狂いだそうとしていた。」
(文庫本背表紙より引用)
◆考察と感想
貴志祐介はやはり期待を裏切らない作家である。
一言で言うと、面白かった。
大胆な設定、壮大なストーリーにもかかわらず矛盾が生じないしっかりした基盤作り、世界観の細かい作り込みには感服する。
サスペンスやミステリーであれば現実世界という確固たる土台があるが、SFとなるとそれを一から創造しなくてはならない。
どうにでもなるからこそそこには明確なロジックが必要なのだ。
そして貴志さんは誰もが想像できなかった世界を見事に作り上げた、そのことだけでもあっぱれである。
その上、その世界で繰り広げられる物語が面白いのだから、もう感無量だ。
個人的には、一見ファンタジーっぽい世界を1000年後に設定することで私たちの現実世界とつなげるアイディアは非常に面白かった。
物語は章をまたいで大きく3つの年代で構成されている。
幼少期から呪力を持ち始めた12歳まで、それから2年経ち思春期に突入した14歳、そして大事件が起きた26歳の夏。
最初、読み手は何が何だかよくわからず世界観をつかむまでは少し戸惑うかもしれない。
何せ今まで見知ってきたようなディストピアでもなければ、超未来的なユートピアでもない。
いつの話なのか、私たちが生きている時系列上の世界なのか、右も左もわからないのだ。
それははじめ無知な子供の視点で語られるからなのだろう(早季の手記の上ではあるが)。
しかしだからこそ知らないことに怯えながらも無限に広がる想像を一緒に楽しむことができる。
口裂け女やこっくりさんなどの都市伝説を無防備に信じていた誰にでもある”あの頃”の記憶が蘇りワクワクするのだ。
成長するにつれて好奇心は行動力を伴い大人の管理の手をすり抜けていく、その過程で描かれる子供だけの世界が絶妙だ。
しかしそれすらも大人たちの監視下にあったとは、、、。
物語としては26歳になってからの大事件がメインなのだろうが、個人的には得体の知れないものへの恐れや、
大人への不信、信じていた平和の崩壊、呪力による傲慢と無力さなどが描かれる子供時代の話が特に好きである。
包括的に見れば最後の事件を演出するための長い前振りになるのだろうが、陰鬱で美しい彼らの青春が胸を打つ。
主人公たちが見せる思春期特有の繊細で複雑な感情や葛藤がこちらの感情を揺さぶるのだ。
全体を通して一番印象的だったのはキーマンである瞬との物語である。
瞬は早季の幼馴染で彼女が幼い頃から想いを寄せていた聡明な美少年だ。
作中で何度も語られる夏季キャンプのナイトカヌーで共に過ごした完璧な時間、そして業魔化した彼との美しくも悲しい別れ。
全てが飲み込まれていく幻想的な別れの場面が映像化され目に焼き付いている。
なぜ思いかえす風景はいつもこんなに美しいのだろう。
彼の話が後半にもう少し効いてくるかと思ったが、そこに関しては少し期待しすぎたように思う。
重要だったのは瞬は早季の心の中で生きているということだったのだろう。
『新世界より』の重要な構成要素の一つが前述したグロテスクな外界の生物たちだ。
ミノシロ、カヤノスズクリ、トラバサミ、ツチボタル、オオオニイソメ、クロゴケダニ、と新世界生物図鑑ができそうなほど多くの生き物が登場する。
各生物の生態とその多様性に、よくここまで自由に発想できるなとひたすら感心してしまう。
中でも人間と最も深い繋がりを持つのが、いずれの年代の物語にも登場するバケネズミである。
バケネズミは人間の子どもほどの大きさのハダカネズミの一種で非常に高い知能を持っている。
人間と深く関わる彼らは、元をたどれば人間が呪力で品種改良を施してつくった生物である。
彼らは人間を神様と崇め讃え従順に仕えることで人間との間に友好関係を築いていた。
彼らがなんとなく気持ち悪いのはその見た目と哺乳類にもかかわらず蜂のような生態を持っている点にある。
女王を天辺に頂くカースト制によって成り立つコロニーを単位として生息しているのだ。
貴志作品の中でも特に『天使の囀り』と『新世界より』は気持ち悪さが際立っている。
醜く卑しい(物語上の一般的な理解)バケネズミが最終的に物語の根幹を担うとはなんともはや。
また今作で特に重要だったのが物語内のルール作りだ。
先にも述べたが、呪力が使える遠い未来の話というなんでもありな世界だからこそ細かいルールや基盤が重要になる。
この作品は各要素がしっかりしているので、読んでいる方は容易に頭の中で景色のディティールを埋めていくことができるのだ。
例えば厳格な倫理規定や教育委員会、全人学級、水路、八丁標の中と外、悪鬼と業魔、ミノシロモドキ、バケネズミの生態など挙げたらきりがない。
また呪力が万能ではないことも踏まえておかなければならない。
おそらく力の発現過程に秘密があるのだが(明確には覚えていない)細かい話をすると、
目に見えるものを具体的にどうするかというイメージによって力が発動するので基本的には目隠しをすると力は使えない。
また対象が何もないところで呪力を発現させるためには高度な技術が必要となる。
その上人によって得手不得手があるので皆横並びに同じことができるわけでもない。
呪力には「漏出」という落とし穴があるということも留意しておかなければならない。
呪力は人間の意識と密接に繋がっており、コントロールできない無意識の部分が呪力という形で常に体外に漏出しており、それは外部へなんらかの害悪をもたらしているのだ。
さらに呪力を取り扱う上で非常に重要なのが「攻撃抑制」と「愧死機構(きしきこう)」というシステムだ。
攻撃抑制と愧死機構は暗黒時代に遺伝子操作によって人類に植えつけられた同種殺しを回避するための呪力の特性である。
攻撃抑制とは狼に由来する性質で、その名の通り同種族に対する攻撃性を抑制するものである。
愧死機構とは同種族に対する攻撃の意志を脳が感知すると自らのサイコキネシスが警告発作を起こし、
実際に攻撃した場合には発作による窒息死や心停止に至らしめる特性のことで、これがある限り人間は人間(同種族)を攻撃することはできない。
血塗られた歴史が人を殺さないために作ったこの2つのルールが、人間に最大の脅威をもたらすというのはなんとも皮肉な話である。
そしてそのルールが結果的にさらに恐ろしい、いやおぞましく惨たらしい社会をつくっていたことを知り、最後の最後にとてつもない虚無感に襲われるのだ。
このたった2つのアイディアによって、よくここまで話を広げられるなとつくづく感心してしまう。
『新世界より』が他の貴志作品と大きく違うのは、人類という大きなテーマを扱っていることだ。
人間の業と奢り、同じ過ちを繰り返す愚かしさ、無知であることの罪深さ、それは1000年経った未来も変わらない。
読後最初に感じたのは、早季の願いとは裏腹にきっとその(この)世界は変わらないのだろうなということである。
細かいところだが同じ歴史を繰り返すというよりは、ただ変われないのだと思う。
分量、内容共に大満足の作品である。
厳密にはファンタジー要素が強いおかげで許容範囲に収まっているような齟齬もいくつかあったが、それが気にならないくらい面白かった。
分量にしては文章がとても読みやすいので、時間があればあっという間に読んでしまえると思う。
日本のSFといえば第一に伊藤計劃を連想するような私なので、これがSFかと言われればよくわからない。
しかし確実に新世界の話である。
一つ読んでいて残念だったのは私がドヴォルザークの『新世界より』の中の『家路』という曲を知らなかったことだ。
これを知っているとより感慨も深くなるのではと想像する。
近年稀に見る長文になってしまった。
次は同じく貴志祐介の作品『悪の教典』か、なんとなくだけど上橋菜穂子の話題作『鹿の王』でも読んでみようかしら。