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『凶悪』

2018年09月26日 | 映画


『凶悪』
監督:白石和彌
脚本:高橋泉、白石和彌
原作:新潮45編集部編『凶悪 -ある死刑囚の告発-』
音楽:安川午朗
出演:山田孝之、ピエール瀧、リリー・フランキー
公開:2013



前々から気になってはいたが重そうなので元気な時に観ようと今まで避けてきた。

それが昨日の深夜ふと思い立った。

「とんでもなく怖い映画を観たい」

そのタイミングはなんの前触れもなく突然おとずれるのだ。

「そういえばAmazonプライムで『凶悪』が無料で観れる」



観た友達からは「ピエール瀧とリリー・フランキーがとにかく悪い、グロい」と聞かされていた。

目も当てられないような残酷なシーンで始まるとかなんとか。

前情報はそれしかなかったが、胸に期待を膨らませて鑑賞、以下ネタバレあり。



はじめに、これは実際に起こった事件(上申書殺人事件と呼ばれる)をもとに作られた映画である。

原作は実際にその事件の真相を暴いた新潮45編集部による犯罪ドキュメントで、2009年に文庫化されている。

現在休刊に追い込まれているあの新潮45だ。



物語は明潮24(映画上)編集部に死刑囚から手紙が届き、記者の藤井(山田孝之)がその人物に会いに行くところから始まる。

元暴力団員の死刑囚須藤(ピエール瀧)は上申中でありながら自身の3つの余罪について語り出すが、

それは未だシャバでのうのうと暮らす事件の首謀者木村(リリー・フランキー)に対する復讐だった。

木村は極悪非道な不動産ブローカーで土地を持つ老人を殺して土地を転売したり、保険金殺人などに手を染めていた。

須藤はその実行役だったのだ。

藤井は上司に逆らいながら須藤が語った供述の裏をとるため取材を敢行するが、そこには想像を超える狂気があった。



まず最初の感想は実話だったの!?という驚きだ、我ながら無知にもほどがある。

次に山田孝之が悪者じゃなくてよかった〜ということだ。

あとは真面目に考えよう。

この映画が鑑賞後の不快感を誘発させる第一の原因は狂気に満ちた悪魔の所業を映像でばっちり観せた点にあるだろう。

観たのを後悔した人も少なからずいたのではと思う。

中でも遺体を鉈で切り刻み焼却炉で焼くシーンはトラウマものである。

自然死を装うために老人に酒を飲ませ続けるシーンは木村と須藤の異常さが際立った。

実際は1ヶ月にわたって酒を飲ませ続けたのだとか。

文章で羅列しただけでもおぞましいが、これらの場面で一番恐ろしいのは木村と須藤があまりに普通なことである。

食事をするように、会話をするように、散歩をするように、犬と戯れるように、人を殺す。



不快感が残る第二の原因はそうした凶悪さが必ずしも他人事でないというさりげない示唆にある。

この映画では事件の真相を暴く記者としての主人公と、認知症の母と介護をする妻をもつ家族の一員としての主人公が並走している。

藤井は事件を追い使命感に燃える一方で、一人の人間として家族から目をそらし続ける。

その結果妻が限界を感じ藤井に離婚届を突きつけるのだが、そこで彼女が母に手をあげていたこと、それに罪悪感すら抱かなくなったことを告白する。

妻が力なく「私だけはそんな人間じゃないと思ってた。」と吐く場面でドキリとした。

実はその台詞こそが物語の根幹なのではないかとすら思う。

「誰もが闇を抱えて生きている」そう言われた気がした。



第三の原因は主人公藤井が事件に執着するあまり彼自身もある種狂気じみていく部分にある。

なんだかよくわからないのだけど、藤井の固執が少しずつ異様な感じになっていく。

木村と対峙するラストシーンが印象的だ。



不快感が残るとは書いたけれど、以上3点は同時に映画『凶悪』のよかった点でもある。

それを踏まえてかなり自分勝手なことを言うと、一番の感想は「想像より怖くなかった(映像作品として)」だ。

実話だったので結果的に不謹慎になってしまったが、私は身の毛もよだつ怖い映画を観たかったのだ。

『凶悪』はもともとホラーじゃないので、こちらが変なことを言っているのはわかっている。

確かに未だかつてこれほど生々しい殺人の演出を観たことはない。

しかしそれは怖いというより気持ち悪いといった方が正確だ。

恐怖よりも嫌悪感が後味としてざらついている感じ。

基本的にそういうのはあまり得意ではない。

確実に言えるのは、友達の言う通り、ピエール瀧とリリー・フランキーがとにかく悪いということ。

実話ということを思い出した時、あまりの残虐さに戦慄することでしょう。
コメント
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