歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

初めての生落語

2018年09月10日 | 演芸
落語を好きになって約1年半、念願叶い今日初めて生で落語を見ることができた。

今年の6月に一番好きな立川談春を見に行く予定だったが、それは残念ながら行けなかったので今回が初めてとなった。

関東には寄席がいくつかあるので、見たいと思えばいつでも見に行けるのだ。

というわけで最近好きな落語家雷門小助六師匠が出る新宿末廣亭の9月上席最終日の今日、夜の部に行ってきた。



新宿三丁目駅のC4出口を出て路地に入り徒歩30秒、飲み屋の連なりの先に新宿末廣亭はある。

夕方の雨の中、忽然と現れた時代がかった建物、提灯に火が灯った外観が趣深い。





お〜いるいる小助六師匠。

それじゃあちょいと行ってきますかな。



中に入って驚いたのはロビーのような空間がなく道路から扉一枚隔ててすぐに客席と高座があること。

まだ17時過ぎだったからか、客は思ったより入っておらず高座からかなり近い席に座ることができた。

すでに一人目の落語家が高座で話していた。

中に入るだけで価値がある建物だとは聞いていたが、確かに扉の外とは異空間である。



漫談の新山真理さん、落語の三笑亭小夢師匠、三笑亭可龍師匠、コント青年団ときて雷門小助六師匠!

やはり知っている人が高座に立つというのはテンションが上がるものである。

おなじみの枕に「初天神」だった。

小助六師匠はやはり声が特徴的で話方も丁寧なので聞きやすい。

それからなんだか眠たくなってきたところに動物のモノマネをする江戸家まねき猫さん、三遊亭右左喜師匠、春雨や雷蔵師匠。

開演から2時間20分くらいでお中入りといって数分の休憩を挟み後半がはじまった。

ぼーっとしてきていたので大丈夫かなと思ったが、立川吉幸師匠の「目黒のさんま」が面白くて目が覚めた。

それからはさすが後半に出るだけあってそれぞれ特徴的で引き込まれた。

そして何よりトリの立川談幸師匠に驚いた。

顔を見たら談春の兄弟子で小説『赤めだか』にも登場したあの仏の談幸師匠ではないか!!

なぜ気づかなかったのか、うっかりミーハー心に火がついたところに、

後ろの方から「待ってました!」「よ!」とおじさんたちが囃し立てさらに盛り上がる。

立川流は寄席に出ないものと思っていたのでノーチェックだったけれど、やはり一番良かった。

こんなに近くにあるんだから定期的に行こう。



そして今年は談春が大阪で毎年開催する年末の独演会に行こう。

去年は確か芝浜だったか、

6月の石川公演では私の兄夫婦が行ったのだが、どうやら私の一番好きな「九州吹き戻し」をやったらしい。

これはもう何が何でも行くしかないな。

そして今年中にもう一人大好きな志の輔の独演会にも行こう。

実際に生で落語を見たことで欲がだだ漏れだ。
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ヒトニツイテ

2018年09月09日 | 日記
昨日私の身に起きたなんでもない出来事についていくつか書いておく。



最近切に思うことがある。

それは「怠惰の先に悪い予感があった場合はすぐに対処するべき」といことだ。

何も大げさな話ではない。

例えば「ちょっと危ないな」と思いつつ手に収まらないほどの物を抱えて歩けば、

高い確率で物を落としたりなんらかの失敗が待っている。

昨日は一瞬のためらいがあったにもかかわらず不安定な場所に水の入ったコップを置いて、

数分後にまんまとこぼしてしまった。

何度も経験してわかっているはずなのになんでこうも繰り返してしまうのか。

子供の頃好きだった五味太郎の『ヒトニツイテ』という絵本には人についてこう書かれている。



ヒト ハ キニスル

ヒト ハ ワスレナイ

ヒト ハ ユメ ヲ ミル

ヒト ハ ワスレル

ヒト ハ クリカエス



「なんて絵本だ」と思わずツッコミを入れたくなるような本質に踏み込んだ内容だった。

『きんぎょがにげた』も好きだったが同じ作者とは思えない。

子供の頃になぜこの本がそんなに好きだったかはわからないが、

久しぶりに読みたくなり先日実家に帰った時探してみたが見当たらなかった。

何にせよ人は忘れ、繰り返すのだろうね。



話はかわって夕方頃近所のスーパーへ出かけた時のこと、

天気は快晴とまではいかなかったが雲の切れ間から青空が見えていた。

なんとなく上機嫌で歩いているといきなり頭上から水滴が降ってきた。

一瞬の出来事で、狐の嫁入りかと辺りを見回すが特に雨が降った様子もない。

「はてな?」となっているところに今度は右側からまた水滴を浴びる。

びちょびちょとまではいかないにしろ服の表面は大いに濡れた。

「なんだ?」と思って右側を注視すると住宅を囲う高い生垣の隙間からホースを持った人の姿が見えた。

あちらはこちらには気づいていないらしく生垣に水をあげ続けている。

水は軽々と生垣を超えてこちらにやってくる。

水滴と格闘している私の姿がやっと目に入ったらしく水が止んだが気まづいのでそそくさとその場を去った。

一言声をかけるべきだったか。

なんにせよ、とっさの時というのはうまく振る舞えないものである。



ここ最近、集中して本を読む時間がなかったが、昨日は楽しみにしていた本をじっくりと読むことができた。

中盤まで読んだ辺りでふと嫌なものが目に入る。

次のページの真ん中あたりにピンク色の蛍光ペンの線が見えたのだ。

古本だからしょうがないのだが、他人の引いた線でいい思いをしたことがない。

それにしても専門書など何かについて説明している本ならまだしも、小説に線を引くなんて聞いたことがない。

いったいなんだというのだ。

上・中・下巻ある下の中盤、物語も佳境に入り予断を許さない緊張の一幕で、その一文にたどり着いた。



「将来に何の展望もないときこそ、どこまで踏ん張れるかで、本当の強さが試される。」



うおおおお。

この変な感覚をなんといったらいいか、

他人の人生に土足で踏み込んでしまった罪悪感と妙な好奇心が私の心をざわつかせる。

どんな人だったのだろう、その人はその後踏ん張れただろうか。

時間と空間を超えて一瞬だけ出会った人よ、元気にしているだろうか。

今回の線は悪くなかったな〜なんて。




結局実家から帰ってきてすぐに買った。サイズが少し大きくなっていた。
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瀬をはやみ流るる日々

2018年09月08日 | 日記
静かに激しく、着実に時間が過ぎていく。

常時流れている時間に対し常に意識的に取り組むのはなかなか難しい。



先日10日間ほど実家に帰っていた。

父や母は温泉旅行に魅力を感じないらしい。

わざわざ知らない土地でゆっくりするより、家で過ごした方がいいからだ。

旅館の窓から見える景色より、家の窓から見える景色の方がいいと言うのだから当たり前か。

彼らが今までどのような時間を過ごしてきたのかはわからない。

若い頃は子供4人を抱えて目まぐるしい日々を過ごしてきたのかもしれない。

今はゆっくりできているだろうか。

ゆっくりした方がいいのかどうかはわからないけれど。



ほっと一息ついて、自分の人生のタイムラインに「帰省」と書き込む。

瀬をはやみ流るる日々はしずやかに降りつもるばかり。










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