国立新美術館にて、「国立新美術館開館15周年記念 李禹煥」展を鑑賞。
李禹煥は1936年に韓国慶尚南道生まれ。
1956年に来日し、日本大学文学部で哲学を学んだ後、1960年代末から始まった「もの派」の活動を牽引した。
「もの派」とは戦後日本美術における重要な動向の一つで、自然や人工の素材を節制の姿勢で組み合わせ提示するもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/52/8ed9892c0e6dc3bdb99cb7e055d9d7c6.jpg)
展示は、彫刻と絵画に分かれており、それぞれの作品の展開過程が時系列で理解できるように、並べられている。
彫刻に関しては、主に石、鉄、ガラスを組み合わせて、ものと場所、ものと空間、ものとものとの関係を表現している。
自然物と人工物がお互いを牽制し合い、引き立て合い、その場所でこそ意味を持つ表現というのだろうか。
当然、そこには鑑賞者と制作者の対話も生まれる。
鑑賞するだけでなく、体験する作品というのも興味深い。
野外展示作品「関係項ーアーチ」 虹をモチーフとした作品
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/ad/6f3e1650622b784f98ba6cd9c63da8dc.jpg)
絵画は、点と線で時間の経過を表現する作品から、画面上の余白に意味を持たせる作品への変遷がわかる。
余白が示す無は、無限とも捉えられ、あらゆる可能性を想起させるものとなる。
作品を通じて感じるのは、肉体的な人間存在と観念的な人間存在だ。
人間の感覚は、五感を通して外から得るものと、それを契機として頭の中で考えることが入り混じっている。
逆に頭の中で考えたことを目で見たり、手で触れるものとして、形で表現していくものもあるだろう。
作品を通じての李禹煥からのメッセージは、「人間の意志」という感じだろうか。
この世界が抱えている様々な問題をあるがままに見て、ありたい方向に進む意志。
ありたい方向は無であり無限でもある。
だからこそ、意志が意味を持ってくると考えてみた。
李禹煥は1936年に韓国慶尚南道生まれ。
1956年に来日し、日本大学文学部で哲学を学んだ後、1960年代末から始まった「もの派」の活動を牽引した。
「もの派」とは戦後日本美術における重要な動向の一つで、自然や人工の素材を節制の姿勢で組み合わせ提示するもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/52/8ed9892c0e6dc3bdb99cb7e055d9d7c6.jpg)
展示は、彫刻と絵画に分かれており、それぞれの作品の展開過程が時系列で理解できるように、並べられている。
彫刻に関しては、主に石、鉄、ガラスを組み合わせて、ものと場所、ものと空間、ものとものとの関係を表現している。
自然物と人工物がお互いを牽制し合い、引き立て合い、その場所でこそ意味を持つ表現というのだろうか。
当然、そこには鑑賞者と制作者の対話も生まれる。
鑑賞するだけでなく、体験する作品というのも興味深い。
野外展示作品「関係項ーアーチ」 虹をモチーフとした作品
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/ad/6f3e1650622b784f98ba6cd9c63da8dc.jpg)
絵画は、点と線で時間の経過を表現する作品から、画面上の余白に意味を持たせる作品への変遷がわかる。
余白が示す無は、無限とも捉えられ、あらゆる可能性を想起させるものとなる。
作品を通じて感じるのは、肉体的な人間存在と観念的な人間存在だ。
人間の感覚は、五感を通して外から得るものと、それを契機として頭の中で考えることが入り混じっている。
逆に頭の中で考えたことを目で見たり、手で触れるものとして、形で表現していくものもあるだろう。
作品を通じての李禹煥からのメッセージは、「人間の意志」という感じだろうか。
この世界が抱えている様々な問題をあるがままに見て、ありたい方向に進む意志。
ありたい方向は無であり無限でもある。
だからこそ、意志が意味を持ってくると考えてみた。
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