東京国立博物館にて、神護寺展を鑑賞。
神護寺は京都市街地から少し離れた高尾にひっそりと建つ山寺といったイメージだった。
その歴史は1200年以上に及び、平安遷都を提案した和気清麻呂が建立した高雄山寺を起源とする。
唐で密教を学んで帰国した空海が活動拠点としたとのこと。
824年に同じく清麻呂が建立した神願寺と合併し神護寺が誕生。
その後、荒廃したものの、平安時代末期から鎌倉時代にかけて、後白河法皇、源頼朝の支援を受けた文覚により復興して今に至る。
空海の時代に制作され、密教の世界観を表す両界曼荼羅(国宝)が展示の目玉だ。
色彩は残っていないが、金泥、銀泥で描かれた細密な線が往時のまま残っている。
空海の思想は、自然界、人間界の真理を理解し、生活に役立てることで、世界をよくすることだと思える。
両界曼荼羅の金剛界は宇宙レベルを、胎蔵界は原子レベルを探求することで、世界を理解するということではないだろうか。
現在の科学(サイエンス)の原型をこのとき既に思い描いていたのかもしれない。
このような考えを人々に理解してもらい、広めるためための手段が仏像だったのかなと感じた。
仏に人格みたいなものはなくて、真理に沿うことをやればうまくいくし、真理に反すればうまくいかないという当たり前のことを示しているのかなと。
真理というのもあくまでも法則であって、いつもこうなるというものではなく、ある程度の確率のふれ幅のあることだとすると科学である。
科学を信じて、理に適うことをすれば、結果が伴う、というとシンプル過ぎるが、物事をシンプルに捉えることで、多くの事績を残せたのではないかと思えた。
神護寺は京都市街地から少し離れた高尾にひっそりと建つ山寺といったイメージだった。
その歴史は1200年以上に及び、平安遷都を提案した和気清麻呂が建立した高雄山寺を起源とする。
唐で密教を学んで帰国した空海が活動拠点としたとのこと。
824年に同じく清麻呂が建立した神願寺と合併し神護寺が誕生。
その後、荒廃したものの、平安時代末期から鎌倉時代にかけて、後白河法皇、源頼朝の支援を受けた文覚により復興して今に至る。
空海の時代に制作され、密教の世界観を表す両界曼荼羅(国宝)が展示の目玉だ。
色彩は残っていないが、金泥、銀泥で描かれた細密な線が往時のまま残っている。
空海の思想は、自然界、人間界の真理を理解し、生活に役立てることで、世界をよくすることだと思える。
両界曼荼羅の金剛界は宇宙レベルを、胎蔵界は原子レベルを探求することで、世界を理解するということではないだろうか。
現在の科学(サイエンス)の原型をこのとき既に思い描いていたのかもしれない。
このような考えを人々に理解してもらい、広めるためための手段が仏像だったのかなと感じた。
仏に人格みたいなものはなくて、真理に沿うことをやればうまくいくし、真理に反すればうまくいかないという当たり前のことを示しているのかなと。
真理というのもあくまでも法則であって、いつもこうなるというものではなく、ある程度の確率のふれ幅のあることだとすると科学である。
科学を信じて、理に適うことをすれば、結果が伴う、というとシンプル過ぎるが、物事をシンプルに捉えることで、多くの事績を残せたのではないかと思えた。
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