花と徒然なるままに

四季の移り変わりは植物が一番感じさせてくれます、
少しでもそれに触れられたらと思っています。

備忘録風に、誕生月免許証更新を終えたので車の記録。

2022-03-25 | 雑記
今回は取り留めない話です、長いだけで為にならないのでスルーして下さい。

今月は小生の誕生月です、月末(29日)には78歳になります。
通院でも調子はどうですか? と聞かれて、”変わりなくやっています”と言ってはいるが、
至る所に老化現象が出て来ているので、低いレベルで変わりがないのです。
体の老化や物忘れなどもよくして日常生活で失敗も多くなりました。
子供の時に貧しくて苦労した人は、老後の幸福感を感じる人が多いとの説もあるが、
私もそのようなだと思い、幸福感は比較からの感情ですので、概ね今は幸せです。

3月には、免許証の更新を行い、車の車検も終えました。
高齢者の事故をニュースで見る度に、次は更新はないかなと思いますが、
周りには80歳を超えて運転されている人も多いです。
日本人の平均寿命は、およそ女性88歳、男性81歳だそうで怖いですね。
そこで、今回は車に付いてのお話です。

自動車運転免許証の交付は、昭和39年12月9日で、自動2輪も付いています。
この頃に自家用車を持てる人は少なかったです。
自分がマイカーを持つことは夢にも想像出来ませんでした。
入社2年目に運転免許を取り、50年以上も運転していることになります。
その間に事故歴は、
1件しかも免許を取取得直ぐのオートバイでの追突事故でした。
国道20号の片側2車線の広い緩い下り坂、左側に大型のトレーラーが停車し、
当然前の走行車が、左車線から右車線に変えると思ったら急停止、そこへ追突した。
体はハンドルを握り上空をくるりと回り巴投げされた状態で落ちて、無事でした。
何度も頭は大丈夫? 名前や住所が言えるか?繰り返し自問自答してみてた。
直ぐに覆面パトカーが来たが、交番で示談を勧められた。(50数年前の話)

その他の違反行為は2件
1件:一方方向進入禁止違反(通勤途上)、2件:車線変更禁止違反、(退職後)

車の運転は大好きでした。車を十数台乗り替えています(妻の分含む)
社会人になり直ぐに最初の車は自転車で、サイクリングもしてました。
そのうちにバイクに乗たくて、先輩のバイクに乗り換えその爽快感は忘れません。
田舎(佐渡)までバイクで帰ったこともありました。

子供の頃の車との出会いは、
修学旅行以外は、バスにも乗ったことがありませんでした。
しかし、バスのディーゼル排ガスは体には悪いのですが、匂いはたいへん好きでした。
小学6年時に、ジープに数分間乗せて貰いました。
我が町に駐留米軍の宿舎があり、クリスマスの日に貧しい子供達が、
招待されて、数人ずつでで広場をジープで回り、これが初めて車に乗った記憶です。
プレゼントはセーターでしたが、胸に赤いラインが入っていたので、
恥ずかしく、男子が赤のあるものを上に着ることは出来ませんでした。

社会人時代は、
1962年に上京、1960年代はまさに高度経済成長の時代(イザナギ景気:1966-1970)で、
その象徴が、新・三種の神器(クーラー、カー、カラーテレビ)がもてはやされ、
その中でもマーカーブームで自動車保有台数は急増した(1966:約44万台、1970年約677万台)
1969年東名高速道路全面開通、
トヨタ カローラと日産 サニーの低価格の大衆車の発売(1966年デビュー)で、
マイカーブームに火がついた。
車の駆動方式に、FF,FR,4WDと3つありますが、昔はFR(後輪駆動)が主でした、
1980年代中頃に、FF(前輪駆動)が出て今は殆どです。
雪の日、会社行く前にタイヤチェーンを後輪に巻き付けていたものです。

昔の車のトラブルの1つにエンジンのオーバーヒートがありました。
海水浴に行く途中で、ボンネットを開けている車を良く見掛けました。
カークーラーがあってもつけずに我慢してた人もいたとか。
今の主流は水冷エンジンです、
空冷エンジンは、排ガス規制への対応が難しくなり変わりました。
24歳の時に、マツダの軽自動車の中古を義父から譲り受けて1号車です。
その後は、次々と新車に乗り換えていましたが、
性格的に、人気のものには興味を持てず避け、何か特長なことがあればその車を、
空力特性が一番良いとか、社内空間が広いとか、
日本では排ガス規制を昭和41年から規制を開始し、規制達成順とか、
現在では、衝突被害軽減ブレーキ 等ですね。

マツダがロータリーエンジンを出したらサバンナに乗ってみたり、
外車や高級車はとても買えないので、それでもサスペンションが良いシトロエンを、
サイドミラーの電動化は助手席側のみ、運転手側は手動でできるから、
後部座席位置が少し高い等、欧州車の合理性を好ましく感じていました。
しかし外車は、電装系が弱いまさにそんな感じがしました。
排ガス制御か?エラーランプがあるが時々付くが原因が分からず直らない、
走行途中でエンジンストップ、JAFを呼ぶが直らず、そのままデーラーまで牽引、その車はあきらめました。
さすがに退職後は、乗り替えずに長く乗るようになりました。

考えてみると車もドンドン電動化されて運転も楽になり高齢者でものりやすく
なりましたが、
最近は前に自転車がいたり、車が左や右に寄れるとブザーをならし警告するがやりすぎの感がある。
昔時速100kmを出すと警告音出るのもありましたが、消えてなくなりました。

車の思い出はとめどなくありますが、長くなりましたので終わりにします。
最後までお付き合い頂いた方にはお礼申し上げます。
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