☆明け方が不安を連れてくる
いつもより遅い10時近い時間の帰宅だった。
リビングルームの床に伏せて、シェラは家人を見上げてじっとしている。ぼくに気がついたのは長くもない廊下の中ほどまでぼくが進んだあたりだった。あわてて立ち上がり、耳を伏せ、身体をよじって喜び、迎えてくれた。
今夜は、銀座のアップルストアへ寄ってから帰ったため、家人には先に夕飯をすませておいてくれとメールをしてあった。その夕飯のあとの、シェラとのふたりだけの時間、家人はシェラに、むぎは死んでしまってもう帰ってこないのだということ、今夜はぼくの帰りが遅いのだということなどを話して聞かせていたそうである。
「どこまでわかっているかなんていいのよ。でも、ずっとわたしの話を目をそらさずにじっと聞いていたわよ。『むぎちゃんはもう帰ってこないのよ』とか、『お父さんは、今夜、ご用があるから帰りが遅いのよ』っていうと、耳がピクリと玄関のほうに動くの。何かをわかろうとしていたのはたしかだったわ」
だから帰ってきたぼくに対していつもより反応がシャープだったというのだろうか。たまたま遅かったからだったせいなのかもしれないじゃないか。
このところ、明け方、シェラに起こされる頻度が増している。4時ごろ、寝室までやってきてぼくたちに何かを訴えて起こすのである。
その度に、ぼくは身体を起こし、廊下から寝室をのぞいているシェラに腕を大きく振って、「こっちへおいで」と呼んでやる。耳が遠くなっているし、目だって想像以上に見えなくなっているかもしれないから大きなゼスチャーが必要だ。
シェラは呼吸を荒げてぼくの横にやってくると、撫でてくれと首を突き出す。放っておくと鼻の先でぼくの腕をたくし上げ、「撫でてよ!」と懇願する。ひとしきりやさしく声をかけて撫でてやると、ようやく落ち着いて崩れるようにして、写真にあるようにその場で寝てしまう。そこは以前、いつもむぎが寝ていた場所でもある。
それを二度、三度とやられる日がある。
さすがに、四度となるとけっこう辛い。その度に眠りを破られるわかだから、家人など二度めでも恨みがましい声でシェラに反応する。だからといって、おさまるわけではない。
☆睡眠を破られるくらいなど…
昨夜から今朝にかけては静かなままだったが、一昨日の夜(正確には昨日の明け方)はひどかった。おかげですっかり寝不足なって昨夜など、この前のエントリー「骨になっても……」を上げた直後に爆睡して今朝を迎えたほどだった。
あのとき、ぼくははっきり見た。寝室の入口までやってきたシェラが中の様子をうかがい、ややあって、身をよじっりながら哭(な)くがごとく吠えはじめたのを。まさに慟哭であった。
いつも寝室で寝ていたむぎがいない寂しさで泣いたというのは、きっと擬人化が過ぎるだろう。自らの身体の衰えへの不安からぼくに助けを求めたに違いない。
もし、むぎが健在だったときだったら、ぼくも三度めにはシェラを怒っていたかもしれない。しかし、いま、ぼくは何度睡眠を破られても、決して怒ることなどできないでいる。
むぎとの永別で知った圧倒的な絶望にも似た喪失感にくらべたら、寝ているのを起こされるなどたいした苦痛ではない。いつでも、やさしく励ましてやれる。
むぎが教えてくれた尊い思いやりの心である。