愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

身をよじって慟哭するほどの不安だから

2011-08-25 23:53:55 | シェラの日々

☆明け方が不安を連れてくる
 いつもより遅い10時近い時間の帰宅だった。
 リビングルームの床に伏せて、シェラは家人を見上げてじっとしている。ぼくに気がついたのは長くもない廊下の中ほどまでぼくが進んだあたりだった。あわてて立ち上がり、耳を伏せ、身体をよじって喜び、迎えてくれた。
 
 今夜は、銀座のアップルストアへ寄ってから帰ったため、家人には先に夕飯をすませておいてくれとメールをしてあった。その夕飯のあとの、シェラとのふたりだけの時間、家人はシェラに、むぎは死んでしまってもう帰ってこないのだということ、今夜はぼくの帰りが遅いのだということなどを話して聞かせていたそうである。
 
 「どこまでわかっているかなんていいのよ。でも、ずっとわたしの話を目をそらさずにじっと聞いていたわよ。『むぎちゃんはもう帰ってこないのよ』とか、『お父さんは、今夜、ご用があるから帰りが遅いのよ』っていうと、耳がピクリと玄関のほうに動くの。何かをわかろうとしていたのはたしかだったわ」
 だから帰ってきたぼくに対していつもより反応がシャープだったというのだろうか。たまたま遅かったからだったせいなのかもしれないじゃないか。
 
 このところ、明け方、シェラに起こされる頻度が増している。4時ごろ、寝室までやってきてぼくたちに何かを訴えて起こすのである。 
 その度に、ぼくは身体を起こし、廊下から寝室をのぞいているシェラに腕を大きく振って、「こっちへおいで」と呼んでやる。耳が遠くなっているし、目だって想像以上に見えなくなっているかもしれないから大きなゼスチャーが必要だ。
 
 シェラは呼吸を荒げてぼくの横にやってくると、撫でてくれと首を突き出す。放っておくと鼻の先でぼくの腕をたくし上げ、「撫でてよ!」と懇願する。ひとしきりやさしく声をかけて撫でてやると、ようやく落ち着いて崩れるようにして、写真にあるようにその場で寝てしまう。そこは以前、いつもむぎが寝ていた場所でもある。

 それを二度、三度とやられる日がある。
 さすがに、四度となるとけっこう辛い。その度に眠りを破られるわかだから、家人など二度めでも恨みがましい声でシェラに反応する。だからといって、おさまるわけではない。

☆睡眠を破られるくらいなど…
 昨夜から今朝にかけては静かなままだったが、一昨日の夜(正確には昨日の明け方)はひどかった。おかげですっかり寝不足なって昨夜など、この前のエントリー「骨になっても……」を上げた直後に爆睡して今朝を迎えたほどだった。
 あのとき、ぼくははっきり見た。寝室の入口までやってきたシェラが中の様子をうかがい、ややあって、身をよじっりながら哭(な)くがごとく吠えはじめたのを。まさに慟哭であった。
 
 いつも寝室で寝ていたむぎがいない寂しさで泣いたというのは、きっと擬人化が過ぎるだろう。自らの身体の衰えへの不安からぼくに助けを求めたに違いない。
 もし、むぎが健在だったときだったら、ぼくも三度めにはシェラを怒っていたかもしれない。しかし、いま、ぼくは何度睡眠を破られても、決して怒ることなどできないでいる。
 
 むぎとの永別で知った圧倒的な絶望にも似た喪失感にくらべたら、寝ているのを起こされるなどたいした苦痛ではない。いつでも、やさしく励ましてやれる。
 むぎが教えてくれた尊い思いやりの心である。


骨になっても可愛いと思う

2011-08-24 22:48:39 | 追憶のむぎ

テントサイトで爆睡中のむぎ。キャンプへいくとコーギーらしさを発揮して頼もしく見えた。

☆うちの子も……
 午後、会社の中で同僚の女性に呼び止められた。社内で唯一のわんこ仲間であり、ときどきわんこの写真を見せ合っていた。
 だから、むぎの死を彼女にだけは伝えていた。彼女の愛犬もまたガンで明日をもしれない状態と聞いていたからである。

 「ウチの子も死んじゃったんですよ」
 悲しげな言葉の奥に、すでに覚悟をしていた人ならではの諦観があった。むぎのように予測もしなかった突然の死も悲しいけど、病気で命を削る姿を見守らざるを得ず、ずっと覚悟していた挙句に見送らなくてはならないのも、これまた辛いだろうと思う。
 
 彼女の場合、野良を引き取って面倒をみていたので正しい年齢は不明だったが、推定で13歳くらいだろうということだった。亡くなったのは11日だったそうだ。
 「小さな骨になってしまって……。ほんとうに、お聞きしていたとおり骨になっても可愛いんですね」
 それはぼくが彼女に教えたことだった。

☆こんなに小さな骨だったんだね
 むぎが死んだとき、むぎの遺体を写真に撮って残そうなどと思いもしなかったのに、むぎの骨は写真に残してある。荼毘に付して骨だけになってしまったむぎを、葬儀場の担当さんは丁寧に説明しながら目の前に整えてくれた。ちゃんとむぎの姿がよみがえった。
 骨になっても、むぎはやっぱりとっても可愛らしかった。骨だけのむぎも、いかにもむぎらしい可愛さだった。

 ぼくは持参していたiPhoneのカメラで骨のむぎを何枚も写した。
 「かわいいなぁ、おまえは骨になってもこんなに可愛いんだな」と、何度も語りかけながら……。
 こんなにも小さな骨で走り、飛びついてくれていたのか、あのデブな身体を支えていたなんて……と驚くほど小さな、それは小さな骨ばかりだった。改めて並べてみると、そのフォルムに愛しさが募る。

 そんな話をしながらぼくは同僚の女性に骨のむぎを見せた。最初はギョッ! としていた彼女だったが、イヌに愛情を注ぐ同士、すぐに理解してもらえた。
 同じように失った愛犬の骨を目の当たりにして、彼女もまたぼくの「骨になっても可愛い」という実感をわかってくれたらしい。
 
 とはいえ、他人様にはやっぱり気持ちのいいものではないだろうからここには写真を載せないが、飼い主には骨さえも可愛くてならない。
(もし、ご覧いただけるなら、「お骨になったむぎ」に置いてあります)


ぼくたちの残された時間に

2011-08-23 23:04:11 | シェラの日々

☆撫でてくれと呼びにくる
 シェラがやっぱりおかしい。
 昨夜は明け方まで何度も起こされた。ぼくのベッドの横へきて悲しげに吠えるのだ。そして、鼻でぼくの腕をすくい上げ、撫でろとばかりしつこく催促する。いっとき、首まわりを撫でてやると満足してその場に寝転び、静かになる。

 「トイレにいきたいんじゃないの?」と家人はいうが、そうじゃないのがぼくにはわかる。催促の方法がまったく違うからだ。
 こんなとき、トイレかと思って外へ連れていけば、むろん、ついてくる。だが、それは外へいこうというぼくのコマンドに従うだけのこと。昨夜のような、寝ているぼくに起きて欲しいのには別の理由があるはずだ。

 病気や怪我をしたとき同様、口がきけたらいいのにとしみじみ思う。家人にではなくぼくに訴えたい何かがあるから何度も起こしにくるはずだ。もしかしたら、どこかが痛いのかもしれない。身体のそんな不調をわかって欲しくてきているではなかろうか。口がきけたらいいのにとしみじみ思う。
 むぎだって、苦しさをぼくたちに伝える術(すべ)さえあったら……と、臍(ほぞ)を噛む思いでいる。

☆今夜も迎えに出てくれた
 結局、シェラの心の内……ぼくに何を訴えたかったのかをわかってやることができないまま朝を迎えていた。
 シェラの気持ちや今朝の行動に結びつくかどうかはわからないが、昨日、ぼくが会社から帰ってきたとき、シェラは玄関のすぐ近くに寝そべっていた。シェラが迎えに出ているなどというのは記憶にないくらい珍しい。それはずっとむぎの役目だった。
 「そうか、シェラ、迎えに出ていてくれたのか」
 ぼくはうれしくなってそういいながら着替えなどあとまわしにしてリビングルームでシェラを撫でてやった。
 
 「きょうはたまたまいつもむぎがいたところで寝てただけでしょう」
 家人はシェラの内なる寂しさを認めたくないのである。シェラの感受性を否定しているのではなく、シェラが寂しさのあまり死に急ぐような結果を恐れているのだ。自分が味わっている寂しさをシェラもまた感じていてほしくないのだろう。
 むぎの死以来、シェラの顔つきがすっかり変わり、それも精悍になったと喜んでいる矢先だった。だけど、ぼくはやっぱりシェラの内なる喪失感の存在を感じざるを得ない。
 
 ぼくがいましがたの午後10時近くに帰ってきたきょうだって、シェラは玄関の前にいた。きのうもきょうも目の前に立つまで、ぼくが帰ってきたことに気づかない。
 もう、音で何かを知る手立てを失くしてしまっているのである。聴力は、おそらくは正常だった当時の10パーセントにも満たないはずだ。ゼロではないが、ほとんど聞こえていない。

☆ともに支えあっていこうな
 そんな衰えへの不安からぼくを起こしにきたのか、それともやっぱりむぎがいない寂しさなのか、たとえイヌといえども、その行動には必ずやしかるべき理由があるはずだ。しかし、その答えを得ることはできない。

 もう、理由なんてどうでもいい。
 ともに老いを迎えた同士、傷を舐めあい、励ましあいながら、しばしの余生を生き抜いていきたいだけである。
 
 こうして一緒にいられる時間は、もうたいして残っていないのだから。


ようやく夢で逢えたね

2011-08-22 12:49:07 | 残されて
 今朝、むぎの夢を見た。
 ようやくむぎに逢えた。
 たとえ夢でもうれしい。
 短い夢ではあったけど……。

 

 シェラと散歩をしているとむぎが遅れた。よくあることだ。
 戻ってみると道端の草の上でお尻を上げて排泄の最中だと思ったら、どうも様子がおかしい。よく見ると、ナメクジのような大きな蛇……ちょうどツチノコのような異形の生き物に捕まって身動きがとれなくなっているではないか。
 リードを引っ張って引き離すと、ツチノコは、向こう側の土手をコロコロと転がりながら逃げっていった。むぎもようやくその場を離れ、先行するシェラのほうに走り寄っていく。
 
 たったそれだけの他愛のない夢だった。とりとめのない夢の断片のひとつだが、目が覚めたとき、そのシーンだけを鮮明に記憶していた。
 半睡の朦朧とした意識の中で、「ああ、夢だったんだ」と思い、しばらくしてこれがむぎが旅立ってからはじめてみた夢だと気づいた。

 むぎに逢えた。
 無性にうれしかった。たちまち眠りから覚醒していく。

 サイドテーブルの時計を見ると時刻はまだ午前5時を少し過ぎたばかりだった。ぼくは目を閉じ、いましがた見た夢の中のむぎの姿を何度も反芻した。
 ツチノコにつかまって身体をすくませ動けなくっているむぎ、恐怖からシェラのそばへと走り寄るむぎ……どちらもリアリティーのあるむぎらしい姿だった。
 
 とりわけ、むぎの首のうしろの白い毛並みが瞼にあざやかに焼きついている。
 コーギーのふるさとであるウェールズの言い伝えによると、コーギーが人間と出逢う前、彼らは妖精たちと暮らしていた。そして、妖精たちを背中に乗せて野山を走りまわっていたという。

 首の白い毛は、「妖精のサドル(鞍)」と呼ばれ、妖精を乗せていたときの名残だそうである。
 実はいまも背中に妖精が乗ることがあり、コーギーが振り向くときは背中の妖精を見ているのだと……。
 むぎの背中にある妖精のサドルも、なるほど、いつ妖精が舞い降りてきても不思議でないほど愛らしかった。
 
 あの白い毛の感触が指先によみがえる。ここを撫でたり、揉んでやるとむぎは気持ちよさそうに目を細めていた。
 胸の毛の白いふくらみのホワホワ感も忘れられない。シャンプーするときは、首の白い毛と、胸の白い毛を入念に洗ってやった。どちらもコーギーのチャームポイントだからだ。 
 
 朝食のとき、「今朝、むぎの夢を見たよ」と家人にいうと、彼女は顔を曇らせてひどく羨んだ。
 「夢でもいいからむぎちゃんに逢いたい」
 そういって声を詰まらせ、涙ぐんでしまった。
 
 むぎ、今度はお母さんの夢の中にもいってやるんだよ。
 

シェラが仲間と認めるとき

2011-08-21 10:13:08 | シェラの日々

 朝、寒くて目が覚めた。三分の一ほど開けた寝室の窓から涼しい風が吹き込んでいたからである。二、三日前までは朝から溶けるような暑さの日々だったのだから、寒くて目が覚めるなどというのは嘘のような朝である。
 これからまだ残暑の日があるとはいえ、この夏も、どうやら暑さのピークは越えたという予感がある。

 窓を閉めにベッドから起き上がりながら、「やれやれ……」と思った。これでシェラも大丈夫だ――たしか去年も晩夏のころ、涼を得たときに同じ確信を感じていた。
 連日のあまりの暑さに、シェラが殺されてしまうのではないかと本気で心配していたからである。犬を飼っている多くの方々が同じ思いだったのではないだろうか。とくに老犬ならなおさらである。

 昨日はシェラも一緒に家族そろってぼくの友人のひとりとランチに出かけた。
 シェラがいるのでわんこも入れてくれる横浜・たまプラーザの「モンスーンカフェ」を予約してあった。昨日までの残暑が嘘のような涼を得て、「モンスーンカフェ」のテラス席にはまるで避暑地のような快適な時間が流れていた。
 
 ゲストのKさんは、都心の大学でスペイン語を教える素敵な女性。12年のスペイン生活を終えて一昨年帰国するとき、行き場がなくて引き取って面倒をみていた二匹のネコを苦労して連れてきたような人である。
 年齢はわが愚息よりひとつお若いが、ご縁があっても10年近くおつきあいをいただいている。シェラを含め、家族に紹介するのはこれがはじめてだった。
 
 シェラも一緒というのでKさんもこの日を楽しみにしてくださっていた。
 家族以外、絶対に心を開かないシェラは、そんなKさんにさえも最初は無視の態度だった。「シェラちゃん、こんにちは」と声をかけられると「やめて!」といわんばかりに吠えた。
 ぼくたちがランチと会話で盛り上がっている最中、シェラはいつものように家人ににじり寄り、自分にも何か食べるものをちょうだいとしきりに催促していた。すべては、そうした悪い癖をつけてしまった家人の責任である。
 
 ひとしきり食べるものをねだったシェラだったが、おやつにも飽き、ぼくと家人の間で寝そべっていた。そのうち、ぼくの背後からKさんの足元近くへ移動して寝そべっている。
 これはKさんを仲間として認めてやってもいいというシェラの最初のサインである。

 むろん、Kさんにはいわなかった。ネコのみならず、動物好きのKさんは、初対面のシェラを撫でたくてウズウズしていたからだ。
 シェラが心の距離を縮めているなどといったら、一足飛びでシェラに触ろうとする。だが、その段階に到るには、いま少し時間が必要だ。

 やがてシェラが自分からKさんの足を枕にして寝そべったら、ようやく彼女もシェラが仲間の一員と認めたときである。
 それが次回なのか、あるいはもっと先になるのか、シェラの気分しだいというわけだ。
 
 この日、むぎのお骨は留守番していてもらった。