愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

もうひとつの喪失感

2011-08-20 08:19:11 | 残されて

 久々の涼しい朝を迎えた。土曜日の休みだというのに目覚めが5時過ぎだったのは、涼のせいばかりではない。雨に追いたてられて消えた子ネコのことが心のどこかに刺さったトゲのようにぼくの目覚めを促した。

 きのうの夕刻、前のエントリーをコーヒーショップの片隅で書き終え、アップロードしているとケータイに家人からメールが入った。
 
あのこは何処かに行ってしまったみたいです。
夕方早めでしたが、雨の小降りの時に呼んでみましたが、応答がなく、今、お医者さんの帰りで雨はかなり降っているけど、もう一度呼んでも返事がありません。
あそこじゃ大降りの雨だとかなりきついかも。
可哀想なことをしました。
昨日何とかするべきだったかもね。
どこかで雨をしのいでいてくれるわよね。


 ぼくは次の予定のための移動時間が迫っていたので手短に返信した。

大丈夫、ちゃんと雨を避けてるから。

 家人から、すぐに再メールがきた。

だったらまた出てくるかしらね。
お腹すいてるだろうし、水飲めないだろうしね。


 レスポンスを返す余裕がなく、ぼくはケータイを閉じてそそくさと店を出た。
 そうか、やっぱり雨に追われていなくなったのか。すでに午前中、都心の大降りの雨を見ながら、これじゃ屋根のない植え込みの茂みにはいられまいと思っていただけに意外ではなかった。
 むろん、もう二度と植え込みの茂みへ帰ってくることなどありえない。


 雨に追われて不本意ながらそこから逃げざるを得なかった子ネコが不憫に思えた。家人のメールの「可哀想なことをしました。昨日何とかするべきだったかもね」という文面に心が痛んだ。
 子ネコがいなくなってホッとする気持ちにはなれなかった。
 
 あの子ネコがなぜ茂みに入り込み、出られなくなってしまったのかわからないが、やっぱりなんとかしてやるべきだったのだろう。
 帰宅すると、子ネコを見失う前に家人がいつもお世話になっている動物病院へ電話をかけて相談した顛末を聞いた。ネコの保護や里親探しのボランティア活動をされている方も紹介してもらい、電話で話をしたという。
 
 帰りがけにぼくも生垣の前を歩いて呼びかけていたが反応はなかった。それでも、もう一度と思い、シェラのケージを押して家人とともに外へ探しに出た。
 生垣の下から家人が入れた水用と餌用のふたつの陶器の小鉢を回収した。どちらにも雨水がたっぷり溜まっている。こんな雨の降りだったらやっぱりここから逃げていかざるをえなかったんだとあらためて納得した。
 
 シェラの散歩を装いながら、近所を呼びかけながら歩いたが、どこからも子ネコからの反応はなかった。
 もし、捕まえることができていたら、やっぱりわが家で飼いたいと思ったはずだ。
 最初のネコのときがそうだった。知人の秩父の実家で飼っているネコが邪魔になったので、山に捨てにいくと聞いてわが家で引き取ったのである。
 里親を探すつもりで一時的に引き取るつもりが、そのネコの狂乱状態を見て、わが家でなんとかしてやるしかないと悟り飼いはじめたネコだった。そして、18年生きてたくさんの楽しい思い出をくれて天寿をまっとうした。

 あの子ネコだって、“むぎの化身”と勝手に決めていたくらいだから抱き上げたら最後、もう手放せなくなっていただろう。
 雨がどこかへ連れ出してくれてよかったのだ。茂みから解放された子ネコのためにも、そして、ぼくたちのためにも……。
 
 むぎへの喪失感をいっとき稀薄にしてはくれたけど、また新たな喪失感が加わった。
 だけど、どこかで元気に生き抜いてくれているだろし、もしかしたら自分の家に戻れたのかもしれないと思えるだけまだ救いはある。


おかげで辛さを忘れそうになっていた

2011-08-19 18:07:08 | 残されて
 今朝、シェラを連れて散歩に出ようとするぼくにベッドの中から家人が叫んだ。
 「ね、エサ、エサを持っていってやって!」
 むろん、茂みの中のむぎネコへのエサである。
 「もう、持ったよ」
 ぼくのポケットには、ティッシュにくるんだエサが入っている。といっても、キャットフードではない。シェラのオヤツを一部失敬してきたものばかりである。


 シェラがネコたちの中で育ったとき、シェラはネコのドライフードが大好きだった。だが、ネコのフードをイヌに食べさせてもいいものかどうか気になってお医者さんにうかがったことがある。
 「ネコにイヌのフードはまずいけど……ま、いいでしょう。ただし、カロリーが高いから肥満に気をつけてください」
 そのアドバイスが頭にあったが、ビスケットや小魚などのオヤツ類ならイヌ用と問題あるまいと思い、持ち出した。

 朝の茂みの中にはむぎネコの気配さえない。チチチチ…と舌を鳴らしてみたが茂みの中は静まり返ったままである。そりゃそうだ、朝の6時過ぎである。あちこちにイヌの散歩をしている人の姿が目立つ。茂みの縁にはわんこの真新しいオシッコの痕跡も少なくない。
 道を行き交うイヌや人の姿に、むぎネコは茂みの中で気配を消し、息を潜めているのだろう。事情はきのうの朝も同じだったわけである。
 
 人の行き来が空白になったところで、ぼくは手早くティッシュの包みからエサを取り出し、茂みの中に滑り込ませた。容器に入れている余裕はなく、地面に直接置いた。気づいてくれればいいがと思いながら、素早くその場を離れた。
 家では、日常的にむぎの霊前に供えるオヤツをシェラがねだっている。むろん、最後はシェラのお腹へ収まるのだから、このところ、シェラは体重を増やしている。むぎネコへのエサも、通行人のみならず、シェラにも気づかれないようにしなくてはならないからひと苦労である。

 一時間後、会社へ向かいながら茂みの下をのぞくとエサはきれになくなっていた。
 問題は昼前から降り出した雨をどこでどうやってしのいでいるかである。いま、この小文を会社の外のコーヒーショップで書いている。
 家に戻れば、むぎネコをどうするかを決めて実行に移さなくてはならない。なかなか苦労な週末が待っている。

 ふと、気づくと、むぎへの哀しみをあのネコが相殺してくれていた今週だった。


「迎えにきて!」とむぎが呼ぶ

2011-08-19 12:53:07 | 残されて

☆まだ隠れていたむぎネコ
 どこかへ去っていってしまったと思っていた「むぎネコ」は、まだ植え込み茂みの中に隠れていた。
 家に帰り着いた午後9時過ぎ、もういないと思いながらもぼくは植え込みを通りながら舌を鳴らして反応をみた。耳を澄まして通り過ぎたが何も聞こえない。引き返しながらもう一度舌を鳴らすと、かすかな反応があった。空耳かもしれない。立ち止まり、もう一度舌を鳴らず。かすれた声が短く答えた。
 
 家人もむぎネコがまだいるのは知っていた。シェラを連れ、ケージを押して植え込みに近づくと茂みから顔を見せたという。
 「台車の音でわたしだってわかったみたい。ほかの人たちもいるのに、シェラのケージの台車の音を聞き分けてるのね」
 家人の話はぼくにも意外だった。日々、用心深さを増しているのに顔を出した行動が意外だったのだ。家人が餌を与えたのは、昨夜の一度かぎり、それなのに、その前からシェラの散歩のために彼女が近づくと顔を出して呼んでいた。
「うちの子になりたいのかなぁ……」

☆さあ、どうしたものだろう?
 食事を終えてから、再びぼくたちはむぎネコに餌と水を与えにいった。
 家人が茂みに声をかけるとすぐにはっきりと答えた。その方角にカメラを向けて写真を撮ると、なんとカメラのすぐ前にむぎネコはいた。出会い頭に撮ったのが冒頭の写真である。
 目の前でいきなりストロボが光ってネコもビックリしただろうが、その場でカメラのチェックしたぼくも大写しになっていた顔に驚いた。


 餌を与えてから、その場でぼくたちはしばし話し合った。
 いつまでもこんなことを続けるわけにはいかない。しかし、なんの準備もなく家に連れ帰るのも無謀だ。とりあえず入れておくネコ用のケージさえない。まずは明日、明後日になんとかしようとぼくは提案した。
 家人が心配したのは金曜日に大雨の予報が出ていることだった。

☆シェラの耳が探ったのは
 家に戻ると、シェラが動揺していた。ぼくと家人が外へいっていまったからだ。むぎがいなくなってからシェラは確実に変わった。
 とりわけ、緊張感を取り戻して顔には精悍さも戻った。いままではむぎが常に見張り番をして、何かあれば吠えて教えてくれていたのがなくなったからだろう。

 その反面、動揺や弱さも露呈した。
 散歩の途中、だれかれからとなく、「寂しそう」だと指摘を受ける。ひとり置き去りにされないようにと必死で食い下がる。ぼくや家人のそばにくる頻度が増えた。

 

 昨夜も、しきりに耳の角度を外へ向け、何かを探っている。もう、あまり聞こえていない耳で何を知ろうとしていたのだろうか。むぎネコからの通信を受けていたのか。そして、ぼくの足の上にお腹を置いてのマッタリがはじまった。はじめて見るシェラの行動だった。
 そのあとも、ぼくたちが寝るまで、何かを訴えながら落ち着かなかった。

 家人は、「何よ、何がいいたいの? わからない……」とシェラに答えつつ、あの子ネコに憑依したむぎの魂がシェラを通じて、「早く迎えにきて!」と訴えているのだと理解していた。
 むろん、そんなことが絵空事だというのはわかっている。すべては、突然逝ってしまったむぎへの、ぼくたちの残心が生んだ幻想、いや、妄想である。


旧盆に見た楽しい夢のあと

2011-08-18 12:57:38 | 残されて

☆もしかしたら家の中に…
 生垣に隠れているむぎと同じ色の毛並みの子ネコこと「むぎネコ」が気になって、昨日は8時前に家に帰り着いた。あの子が隠れているはずの生垣の前で呼んでみたが反応がさっぱりない。
 ガッカリしながら、ホッともした。飼主が見つけて、連れ帰ってくれたのだろう……と。
 
 いや、待てよ、もしかしたら、もうすでにわが家にいるかもしれない。そんな期待に衝き動かされてそそくさとその場を離れ、エレベーターに乗り込んだ。
 家のドアを開け、「ただいま~!」というぼくに、キッチンからの「お帰りなさ~い!」という家人の声の調子で、むぎネコはわが家にいないことを知る。
 耳が遠いシェラは今夜もぼくの帰宅に気づかず、ソファーの裏に入り込んで爆睡中だった。
 
 「むぎネコ、いなくなっちゃったな」
 ぼくは着替えながら、夕餉の支度をしている家人にいった。
 「え、そんなことないわよ。さっきシェラの散歩で出たとき、垣根から出てきて鳴いてたから……。すぐに逃げちゃうんだけどね。だから、あとで餌をやりに行こうと思っていたの。いま、あなたがやってきてくれるといいんだけどな」
 「いや、それはあとにしよう」といって、着替え終わったあと、ぼくはペットボトルに水を入れ、缶詰の空き缶と懐中電灯を持って部屋を出た。きょう一日水を飲んでいないはずだから脱水症が心配だった。

☆倒れてないか?

 たしかに生垣の中から弱い鳴き声は聞こえたが、さっぱり姿が見えない。懐中電灯の光も手前の枯れ枝やら木の幹などに遮られてなかなか届かない。いま、どんな状態でそこにいるのかさっぱりわからないのである。もしかしたら倒れているかもしれない。そうだとしたら、救い出して医者へ連れて行き点滴を受けさせなくてはならない。
 
 とりあえず、水を入れた空き缶だけを奥へ入れ、ぼくは部屋へ戻ってコンパクトカメラを持ってきた。狙いを定め、ストロボを使い、当たりをつけた生垣の下を探るがさっぱりむぎネコの姿が写らない。
 角度を大きく変えて撮った二枚にようやく姿を捉えることができた。大丈夫だった。ホッとしてぼくはその場を離れた。

☆むぎネコ、ありがとう!
 夕食後、ぼくたちはむぎネコに餌をやろうと外へ出た。
 夕方の散歩でシェラが大きいほうを排泄していないと聞いていたのでシェラも伴った。シェラはすぐに用を足してくれたので、ひとまず離れたところに置いたケージに入れ、むぎネコへの餌(魚の水煮)やりを試みる。
 
 家人が呼ぶと、すぐに近づいてきた。餌の入った空き缶を植え込みの根元に置く。よほどお腹が空いていたのだろう、すぐに、しかし、用心深く顔を出し、まず前足で餌に触れた。それを舐めてから食べられるものかどうか判断しようとしているらしい。なかなか利口な子ネコではないか。ますます気に入ってしまう。
 次にそっと首を伸ばしてひと口だけくわえて奥へ引っ込んだ。やがて、小さな前脚が伸びてきて、餌の入った缶を奥へと引きずり込んでいった。
 やられた! これでとうとう捕獲はできなくなった。
 
 今朝の散歩でも、ぼくは何度か舌を鳴らして呼んでみた。だが、もうかすかな反応さえない。きっと、どこかへいってしまったのだろう。それでも念のために水だけを取り替えてやった。
 マンションの管理上からも、これから毎日、子ネコのために餌やりを続けるわけには行かない。だからといって、ほんとうにわが家で飼ってやるのかといえば、シェラがいる以上、あの子ネコのためにも容易ではない。
 
 いまは旧盆の送り火の日にやってきて、ぼくたちにつかの間ではあったが、夢と慰めをくれて消えた「むぎネコ」に心からの「ありがとう」をいっておきたい。
 

神様がくれたむぎの化身なのか?

2011-08-17 12:48:33 | 残されて

 お盆といっても、東京では7月におこなうのが一般的なので、昨日の16日のたそがれどきに送り火を見ることはまずない。
 先月の8日が命日だったむぎの場合、新盆は来年になる。だから、来年の7月のお盆には、むぎのために形だけでも迎え火と送り火を焚いてやろうと思う。むぎには、小さなキャンドルがふさわしかろう。

 そんなことを考えながらマンションの前までくると、シェラと散歩から帰ってきた家人に会った。ぼくに気づくと、家人は意味ありげに「静かに!」とぼくを制していった。
 「あそこにねぇ、ネコちゃんがいるのよ」

 なるほど、マンションのエントランスの横の生け垣の下からネコが顔だけ見せている。
 「まだ子ネコなの。どうしたのかしら……?」
 ぼくが近づくと、ネコは茂みの奥に逃げ込み、手を入れると爪をたててその手を引っかいた。それでいて子ネコ特有の鳴き声をあげ続けている。

 家人がこの子ネコを連れていきたがっているのを承知でぼくはシェラを入れたケージ(ぼくが住んでいるマンションでは、構内の移動は抱くかケージに入れる決まりになっている)を押してその場を離れた。
 「むぎちゃんの代わりに同じ毛並みのネコちゃんがきたわね」
 エレベーターの中でも、家人は、あのネコは神様がわが家に遣わせてくれたのだといわんばかりの物いいで、「しょうがねぇな、連れてこいよ」というぼくの言葉を待っていた。

 シェラがやってきたとき、わが家には三匹のネコがいた。すべて捨てられていたネコばかりである。
 シェラはそうした三匹のネコと一緒に育った。ドッグフードよりもキャットフードをほしがり、ネコたちが食べ残すのをじっと待っていたくらいだ。ネコの食器に一緒に顔を突っ込んで食べたいところだが、それをやれば強烈なネコパンチが飛んでくるのを経験して、じっと待っていた。

 そうしてネコたちの中で育ったので、自分はネコだと思っていたきらいがある。はじめての散歩で向こうからやってきたイヌが怖くて、シェラのにおいを嗅ごうと近づけてきたそのわんこの顔を前肢で牽制したのは、いつも自分が浴びているネコパンチのつもりだったのかもしれない。


 むぎもまた、シェラ以外に二匹の老婆ネコたち(むぎがきたとき、いちばん気の好かったオスネコは交通事故で若死にしていた)に鍛えられて育った。むぎにとっては、自分のすぐ上にシェラがいて、ネコたちはさらにその上に君臨していたことだろう。なんせ、母親代わりのシェラがネコたちに一目置いていたからである。
 そうやって育ったむぎはイヌにもネコにもフレンドリーだった。シェラが、いまだにイヌが嫌いで、ネコにはフレンドリーなままなのは、もしかしたら、いまなお自分はネコの仲間だと信じ込んでいるからかもしれない。

 だから、あの子ネコを連れてきても、シェラはあまり困惑しないだろう。だが、ネコのほうはかわいそうだ。とにかく、子ネコからみたら、なんともでかいわんこがいるのだ。さぞや怖かろうと思う。

 昨夜は、ぼくが子ネコに興味を示さないということで、家人もどうやら半分は諦めてくれたらしい。
 「あのネコちゃん、ノラかしら?」とか、「きっと、飼われてた子が迷子になっちゃったのよね」などと、ぼくにカマをかけながらも、諦める言い方になっていた。それで、ほんとうに諦めたかどうかはわからない。
 あれはむぎの化身だと思い込むつもりでいるのだから。

 今朝、シェラの散歩で外へ出ると、同じ場所から子ネコが首を出して鳴いていた。近づくとまた茂みの中へ隠れてしまう。この写真は、ぼくの出勤前に再び茂みに逃げたネコを手持ちのiPhoneのカメラで撮ったものである。

 今夜、家に帰ったら、シェラとこの子ネコが待っていたなんてことにならないといいのだが……といいつつ、ぼく自身、こんな写真を撮っているくらいだから、「神様がくれたむぎの化身」と思いはじめて……いや、そう思いたいのかもしれない。