愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

秘して生きる覚悟

2011-08-16 11:57:52 | シェラの日々

 大半が旧知の仕事仲間ながら、久しぶりの顔ぶれとの楽しい飲み会の昨夜だった。旧盆の中日ではあったが、もう、年齢的に世事との縁が稀薄になって、あるいは定年を機に俗塵をダンシャ(断捨離)った身軽な人もあって底抜けな楽しい笑いに満ちた夜だった。

 帰り道、家の近くの駅まで一緒だったダンシャリアンのひとりが、別れ際、「断捨離して身軽になるって、こんなにいいものかと思う。早くこちらへいらっしゃいよ」としみじみ語っていたのが印象的だった。

 もし、ぼくが彼の立場だったら、愛犬の死までも断捨離することができるだろうか。さすがに、昨夜は「犬が死んでしまい、心が晴れない」などとは口が裂けてもいえなかった。彼らのせいではなく、楽しい場にふさわしくない話題だと、ぼくのほうで臆したからである。

 その点、女性たちは(家人から聞くかぎり)、どうやらまるで様相を異にするらしい。家人の友人の多くがイヌやネコ、ウサギなどを見送った経験をもち、それぞれにつらい想いを経験している。そんな同士が、それこそ堰を切ったように語り合うのだという。

 悲しみに打ちひしがれた日々の自分の悲しみを、彼女たちは赤裸々に、包み隠さず明かしてくれるらしい。
 悲しむばかりでなく、愛しいパートナーの死によって身体に不調をきたした方も珍しくない。家人の友達の中にも一年後に突発性の難聴をきたしたという方がいる。それだけいつまでも哀惜の想いを断ち切れずにいたわけである。
 
 腕に残った抱いたときの感触が忘れられない。夢の中へやってきた子に喜びつつ、憂いに沈む。日常、ふと感じる気配に「あ、そこにいるのね」と涙する。そして、何年経ってもどこからか不意に出てくる毛に悲しみを新たにするそうだ。
 
 男同士では、さすがにそんな話はしたことがない。男であれ、女であれ、秘めた想いは同じだろうが……。
 俗にペットロス症候群といわれる心身の疾患は、ときとして、当事者を自死にさえ至らしめる。それほど深刻な事態に陥る可能性も秘めているのである。

 一方で、かけがえのない相棒を失って悲嘆にくれるそんな人を、「たかがイヌやネコが死んだくらいで……」と嘲笑う哀れな人も世の中にはいる。
 もし、いま、ぼくが本心を明かしたら、同意してくれる人ばかりではなく、「男のくせに…」「いい年をして…」などとの冷笑にさらされるリスクも覚悟しなくてはならない。

 わが家にはまだシェラがいる。
 哀しみはようやく幕が揚がったばかりである。次の辛さを迎え、耐えていくためにも、いましばらく、千々(ちぢ)に乱れる心模様はひとり秘めていこうと思う。 

 まことにもって、男は生きづらい。


不意にこみ上げる想い

2011-08-15 12:48:01 | 残されて

 週末、昼間は暑さにすくんで部屋にこもって過ごした。
 このところ手にしていなかったカメラのバッテリーをチェックしたついでに、使っているメモリーの残量も調べてみた。
 そのうちの一台のSDカードからむぎの写真がたくさん出てきた。中でも、リビングのテーブルの下、ぼくの足元で熟睡している一連の写真を目にしたとき、思わず熱いものがこみ上げてきた。

 そこには、腎結石の手術以来、すっかりデブになってしまったむぎが眠っていた。外からの光が射し込んでいるから、昼間の写真である。ほとんど同じショットが16枚連続していた。
 撮影日は3月20日午後2時過ぎ。なぜ、同じような構図の写真ばかりをこんなに撮ってしまったのだろうか? いまとなっては、きょうという日のために撮っておいたようにさえ思えてくる。
  
 それにしても、無防備な、なんというかわいい姿だろうか。手を伸ばしてその身体をそっと撫でてやりたい。手を伸ばせばそこにいるような、そんな虚しい錯覚が口惜しい。
 パソコンのモニター上にスライドショーで次々と切り替わっていくその姿が次第にぼやけていく。目から不覚の涙が落ちた。
 
 むぎはあの日もそんな姿で息絶えていた。抱き上げたぼくの腕の中でゆっくりと落ちていく首が呪わしかった。
 バカな! そんな! ぼくは動揺し、叫び続けた。
 安らかな寝顔だった。
 「むぎ、目を開けろ! 死んじゃダメだ!」

 写真の中で熟睡しているむぎの姿にあの日の朝のひとときがよみがえる。でも、ぼくはむぎの写真から目をそむけない。
 たとえ、悲しみがこみ上げ、涙で写真が曇ろうとも、以前のように笑顔で「むぎ……」と呼びかける。

 いまも指先に残るあの柔らかな耳たぶの記憶を反芻する。もう一度、あの耳を触ってやりたい。抱き上げて、喉から胸にかけて撫でやりたい。
 不意にこみ上げてくる想いの中で、これからもぼくはむぎとのひとときを過ごしていく。

 たとえ無念さがこみ上げてこようとも、ぼくの足元で安心しきって深い眠りを貪っている姿のこの写真を大切にしていこう。


病院で教わった長生きの兆候

2011-08-14 11:06:07 | シェラの日々

☆お世話になっている病院へ
 せっかくの休日ながら、昨日は、あまりの暑さに昼間、外へ出る気になれなかった。この暑さはやっぱり異常というしかない。人間も動物も、とりわけ老いたる者には辛い異常気象である。
  せっかくの週末ながら、あまりの暑さに昨日、昼間はエアコンのきいた家の中でゴロゴロして過ごした。シェラにしても、休日だとわかっていてもさすがに昼間は外へいこうとの催促はなかった。
 
 3時を前にして、「きょうはワクチンの時期だからあとで病院へいかないと」という家人の言葉でこちらもその気になったのを見逃さず、シェラが、「さあ、いきましょう」とばかり浮足立った。
 「もう少し待てよ。まだ暑すぎる」
 ぼくの部屋をのぞきにきて催促するシェラに言い聞かせた。寒いときなら躊躇なく出かけていくが、さすがに暑さには足がすくむ。
 
 ずっとお世話になっている「こどもの国動物病院」に着いたのは4時ごろだった。いつもたくさんのわんこやにゃんこたちがいる待合室にはだれもいない。少しは涼しくなるこれからなのだろう。
 病院は、むぎが死んでから二度目だった。最初は、むぎが死んだその日の夕方に。二度目は、二週間ばかり前、シェラのフィラリアの薬をもらいにきた。一度目は、何組かのわんこやにゃんこたちが待っていたが、幸いにして院長先生に直接ご報告とこれまでのお礼をいうことができた。先生も驚いておられたが、ほかのお客さんが待っていたのですぐに失礼した。
 
 翌日、病院からお花が届き、心あふれるお悔みのカードが添えられていた。
 ぼくたちがこの地に越してきてから14年になり、その間、いくつかの動物病院を変えてきた。「こどもの国動物病院」は、お世話になって5年ほど、当地で4か所目だが、ようやく安心してお願いできる病院にめぐり会えた。ぼくたちはこの病院に全幅の信頼を寄せている。

☆「はてな?」のわんこは……
 空いていたおかげで、院長先生から、むぎの死因の仮説を懇切丁寧にうかがうことができた。ひと言でいえば、心臓発作だったかもしれないし、もうひとつの可能性として腫瘍ができていて、それが急激に悪化ししまったとも考えられる。
 どちらにせよ、いまとなっては、たいした苦しみもなく安らかに逝ってくれたことだけを救いとしたい。
 
 「先日、この子が患った斜頚は長生きする子に見られる特徴なのですよ。長生きしているから斜頚になるという言い方もできますが、ほとんどの子が長生きしてます」
 シェラのワクチン注射が終わると、先生が笑顔でこんなことを教えてくれた。
 「斜頚」とは、昨年の夏に発症し、12月にまた復活してしまった首の傾斜のことである。
 
 このブログでも12月25日と28日のエントリーで、いつも「はてな?」という様子でこちらを見ているため、わが家では、シェラの「はてな?」と呼んでいる顛末をレポートした。
  
 暑い夏の夕刻、院長先生の言葉から、ぼくたちは久しぶりに晴れやかな気持ちをもらった。むぎを突然失い、もうすぐそこまで迫っているであろうシェラの旅発ちにおびえるぼくたちへの慰めの言葉であったとしてもかまわない。
 こういうお医者さんにめぐりあえて、シェラもむぎも、そして、むろん、飼主のぼくたちも実に幸せである。
 
 シェラ、むぎの分まで長生きしような!
 

いっそコーギーの赤ちゃんを

2011-08-13 09:23:27 | シェラの日々

☆久々の留守番に焦る
 「え、留守番なの? ひとりにしないで!」
 シェラの必死な目がそう訴えていた。
 むぎがいたころだったら、こんなときでもシェラはリビングの物陰で爆睡していたのに……。置いていかれないようにとあわてふためいていたのはむぎだった。
 
 せがれの誕生日ということで、昨夜は外で食事をすることになった。早めに会社から戻り、家人とふたりで家を出ようとすると、ドアの前にシェラが立ちふさがった。ぼくが帰る前からぼくたちの夜の外出を察知して、ずっと家人のあとをついてまわっていたという。
 やっぱり、置いていかれるのが不安なのだろう。
 
 「すぐに戻るから待っててくれよ。な、シェラ……」
 玄関からシェラを離し、家人を先に出したあと、顔を寄せてぼくは何度もシェラに言い聞かせた。かなり耳が遠くなっているから、どこまで聞こえていたのか……。それでも、あきらめたらしく、出ていくぼくをのぞいてはいたが、もう玄関へ出てこようとはしなかった。
 カチャリと鍵を閉めてドアの前から離れても、中で吠える声も聞こえてこない。留守番を覚悟してくれたのを知りつつ、それもまた不憫になる。

☆果たせぬ思いは同じだけど
 クルマで予約した焼肉屋へ向かいながら、ぼくたちはため息をついた。
 今日も、夕方の散歩で、以前逢ったのとは別のコーギーに出逢ったそうだ。近づいてくるのをじっと見つめ、去ったあと、しきりににおいを嗅いでいたという。
 「コーギーのパピィを連れてきて、シェラに『はい、お願いね!』って預けちゃいたいくらい」
 家人がポツリといった。
 
 思いはぼくもまったく同じだった。ただ、ひとつだけ違うのは、シェラのためではなく、自分たちのためのパピィである。
 迎えるパピィはコーギー以外はイメージできない。どんな犬種でも同じだろうが、一度飼ってしまうと、自分の家のわんこの姿がこよなく愛らしい。わが家の場合、シェラのような雑種でも、似たようなわんこがいるとやたらかわいく見える。もうひとつがコーギーの体型である。
 
 実際に飼いはしないが、ふと、「シェラに仔犬を預けたらどんな反応を示すだろうか」と想像してしまう。
 12年前にむぎがやってきたときのように最初はショックを受けながらもすぐに母性に目覚め、ずっと母親をやってくれたことをもう一度望むのは酷である。耳はかなり聞こえなくなり、歩行だって思いどおりには歩けていない。きっと、目のほうだってぼくたちが考える以上に衰えているかもしれない。
 いまさら、仔犬を押しつけられたって守ってやるすべなどないのである。

☆守る立場から守られる立場へ
 この近年、シェラとむぎの立場は次第に逆転して、むぎの中にシェラを守ろうとする意志が明白だった。

 ぼくがシェラのブラッシングや爪切りなど、シェラが嫌がることをはじめると、少し離れてむぎが見張っていた。ちょっとでもシェラが痛がったり、怒ったりすると、即座にむぎが反応し、飛んできて、「やめて! やめて!」とぼくに吠えて抗議した。

 そのむぎもいまやいない。いないからこそ、シャキッとしてしてきたのだろう。シェラの元気のためとはいえ、パピィは荷が重かろう。 
 シェラにとって、衰えゆく自分を守ってくれるのは、唯一、ぼくたちだけであり、もう何も守れないとわかっているはずだから。
 
 焼肉屋で合流したせがれに、「コーギーの赤ちゃんを連れてきたら、シェラはどうすると思う?」と、家人がせがれに訊いた。むろん、冗談としてである。
 だが、彼は一瞬、眉を曇らせて何も答えなかった。
 
 むぎが死んだ直後、「もう飼わないなんていまから決めつけないで、新しい犬が飼いたくなったらまたそのときに考えればいいじゃないか」といって、悲嘆にくれる母親を慰めていたせがれの意外な反応だった。

☆出迎えるシェラの笑顔
 せがれが眉を曇らせたのはシェラのためではあるまい。いやま彼がいちばん恐れているのは、まだこれからはじまるかもしれない、むぎの死による母親のペットロス症候群であり、近々、確実に訪れるシェラの死によって、親たちがさらにどうなるかということであろう。
 いまはかろうじて耐えているものの、そのとき、間違いなくペットロス症候群のスイッチが入ってしまうだろう……と。
 
 シェラがむぎによって守られていたように、すでにぼくたちも主客転倒し、せがれに見守られる年齢になってしまったことを痛感した誕生会だった。
 
 そのあと、帰ったぼくたちをシェラが小躍りし、笑顔で迎えてくれたことはいうまでもない。
 この土曜日曜はシェラのための週末にしようと思っている。


あの日、早めに引き返していたら…

2011-08-12 12:55:42 | 残されて
 寝苦しい夜が明けると、きょうも暑い朝が待っていた。シェラに急かされていつもの時間に散歩に出る。 
 以前は、小と大の排泄さえすめばもう用はないとばかり頑として前へは進まず、家に戻ろうとしてきたシェラだったが、むぎがいなくなってからの散歩のスタイルがガラリと変わった。暑い中、こちらがハラハラするくらい帰ろうとしないのである。

 あちこちでにおいを嗅いで、それが異常なほどしつこい。たしかに、むぎと一緒の散歩のころからそこかしこでしきりとにおいは嗅いでいたが、いまは以前の二倍、三倍の執拗さである。そのために、散歩時間も増えた。
 夕方の散歩のときもまた同じだという。


 むぎと一緒だった当時は、たいていシェラが先に排泄を終えてしまい、そこからは帰りたがったので、むぎのために散歩を続けるのがひと苦労だった。帰りたいのは足が痛いのかもしれず、しかし、むぎのためにシェラをなだめすかし、「頼むよ、シェラ!」などと懇願までして散歩を続ける一方で、むぎには、「早くしなよ」と急かしに急かした。
 シェラの散歩の距離が短くなるのは、むぎの運動量の減少をも意味する。ぼくにはそれが歯痒くもあった。

 あの日の朝は、たまたまシェラに続きむぎのほうも早めにトイレをすませたくれた。片道200メートルほどの毎朝の散歩道での150メートルあまりの地点だった。
ぼくは、一瞬、迷いはしたが、そこから引き返さずにいつものように折り返しにしている花壇に向かった。空は曇っていたし、特別暑いというわけではなかったからだ。

 往復での100メートル足らずは、ただでさえ運動不足のむぎのためでもあったが、いまにして思えば、あの余計な距離がむぎの命を奪ってしまったのかもしれない。
 この散歩の途中ではなんの異変もなかったのに、家の玄関でむぎはへたりこんだ。明らかにバテていた。だが、足を拭いてやるといつものようにリビングへと歩いていった。

 ぼくの目には暑さにへばった程度にしか見えなかったが、家人の目には差し迫った異変がはっきり見えていた。声を震わせて「病院へ連れていかないと」と言い張る彼女に、ぼくは、「またか…。おおげさなこった」とうんざりしながら渋々クルマを出すのを承知して、会社へ「出るのが遅れる」とのメールを送っていた。その最中にむぎはひとりで静かに逝ってしまった。

 ずっと頼ってきたシェラではなく、シェラの老いにしたがい、最近、甘えることを覚えた家人のそばまでやってきての瞑目だった。


 つい先ほどの散歩で、「さあ、あそこまでいって帰ろう」というぼくに、嫌がる様子もなくおとなしく従ったむぎの姿がよみがえった。
 余分な100メートルは、さぞや辛かったに違いない。悔んでも悔やみ切れないぼくの失態だった。

 あの日以来、シェラは散歩のとき、むぎを探すかのよう自ら進んで花壇の周回に向かっていく。そこへたどり着いてぼくはいつも胸を痛めている。
 ここまでこなかったら、むぎを死なせずにすんだかもしれないのに……。

 ぼくはあまりにも鈍感だった。