寝屋川の事件は死刑判決で一件落着のようだけど、被告は即控訴。
確か直接証拠は少ないはずだから、思い切った判決だとも言える。
舞鶴の女子高生殺人事件のように逆転無罪はあり得ないが、死刑が無期になる可能性はあるような気もする。
判決は被告の証言を荒唐無稽と切って捨てているが、深夜から明け方までうろつく中学生自体が一般常識の外。
いかにも言い逃れにしか聞こえない証言も、常識外の中学生たちなら実際にあったとしても不思議ではない。
この事件は常識という定規で測ろうとすると見誤る気がしている。
結果的に2人が死んでいるわけだから、山田被告の責任は免れようがないし、庇う気はさらさらないが、夜中にうろつく中学生とそれを許す親に対してもっと厳しい見方を世間はするべきなのだ。
山田被告が二人を車に乗せたのは午前5時。
午後9時に家を出たまま帰ってこない中学1年生は一般的ではない。
その時、親たちはどうしていたのかは知らないし、子供たちがそれが初めての深夜徘徊だったのかは知らないが、昼間に無理矢理さらわれたのとは大違い。
子供たちにも落ち度は十分にあったのである。
裏を返せば、あんな時間に子供たちが徘徊していなければ、車に乗ったりしなければ、山田被告は殺人犯にならなかったかも知れないのだ。
世間にはああいう不届き者が一定数必ず存在している。
そんな連中にしてみれば、明け方にウロウロする子供たちは「飛んで火に入る夏の虫」状態。
ここは可哀想だが犠牲となった子供たちとその親たちにも落ち度があったと指摘しなければ、そしてそれを「他山の石」としなければ、第2第3のヤマダが現れることは間違いない。
世間には「悪」がいっぱい潜んでいる。
息を殺して獲物がやってくるのを待っている。