徳島で感染者はクルーズ船の客以来出ていない。
発熱などの症状がある人たちの検査を漏れなくしている上での結果なら、自粛を伸ばしたり学校の休校を延長する意味はない。
やめ時が難しいのは多くの人が指摘してきた。
国の方針に取り敢えず従っていれば批判されることはないという日本人特有の横並び主義に流されず独自の判断ができるかどうか。
ここは自治体の長の見識が問われるところ。
沖縄はすでに休校をやめているし、佐賀もやめるらしい。
覚悟がいる決断だが、それでいいと思っている。
徳島は延長を決めたらしい。
がっかりだね。
もちろん今後感染者が出ないなど断言できない。
だが出たってしょうがないと割り切らねば。
大事なのは爆発的に増やさないことと、死者を出さないこと。
怯えすぎである。
甲子園の中止もガッカリしている。
一生に一度かもしれない球児の夢なのに。
若者は重症化しないと言うのなら、彼らが感染する心配は排除できる。
感染させる危険は2週間彼らを隔離状態(ホテルは客が減って困ってるのだから長期で抑えることは可能なはず)にしてやれば防げないことでもない。
一度始めたことをあえてやめる覚悟。
批判を恐れてやめられない連中ばかり。
だれが鈴をつけるか。
度胸のある政治家が出てきて欲しいものである。
花粉症の薬を飲み始めてから調子良い。
だが今年は花粉が少ないとも言う。
ということは調子が良いのは薬のお陰なのか、花粉が少ないからなのか分からない。
こういうことはよくある。
人はひとつの扉しか開けて前に進めないからだ。
違う扉の先に何があるのかは誰にもわからない。
小中高校の全国一斉休校も効果があるのかないのかは、やらなかった場合との比較ができない以上、結局は分からない。
新型コロナウイルスは🦠高齢者や持病を持つ人には危険なウイルスだという。
高齢者が65歳以上ならボクは該当するし、持病に高血圧も入るならこれも該当する。
だとしたらボクにとってコロナウイルス🦠は危険ということになる。
でも自分はきっと該当しないと勝手に思っている。
スーパーのお惣菜はどの店でもパックに入って売られるようになった。
パン屋ももう剥き出しではなくなっている。
コロナウイルス🦠の前には、海洋プラゴミの問題も無視されている。
それでもやっぱりレジ袋は有料で、今日のゴミ回収はプラゴミの日だったが、いつもより量が多かった。
今週土曜日の飲み会がなくなり、月末の送別会もなくなった。
新型コロナウイルス🦠は、やっぱりたちが悪い。
神山に梅でも見に行こうと車を走らせた。
目的地は「阿川梅の里」。
Google MAPで調べると意外と近い。
取り敢えず道の駅まで行き、もう一度 MAPを見る。
少し戻って左折すれば、後は道なり。
近くまで行くと幟がはためいていた。
誘われるまま車を走らせる。
タブレットが「目的地周辺です」と教えてくれる。
看板を探すが見当たらない。
さらに車を走らせるが、幟がはためいているだけ。
分からない。
戻って駐車場らしきスペースに車を止める。
周辺を歩いてみるが梅林らしきものは見えない。
誰かに尋ねようと思っても誰もいない。
何じゃこりゃ!?
結局分からずじまい。
客を呼びたいのか呼びたくないのか。
これではダメだ。
今度は阿南の明谷梅林にしよう。
連日の映画鑑賞。
今日は邦画。「Fukushima50 」
久しぶりに見応えのある邦画だった。
門田隆将の原作は読んでいないが、きっと忠実に描いているのだろう。
些か官邸と東電本社を「悪」として戯画化しすぎの気もするが。
事実、総理がヒステリックに怒りまくるシーンには批判があるらしい。
総理(つまり菅直人)はあそこまでヒステリックになならない、冷静に怒るから余計に怖いという人もいる。
まあ映画としてはあれくらいデフォルメした方が分かりやすい。
福島の現場で戦う人々をヒーローとして際立たせるには、やはり悪役がいるのである。
まもなくあの震災から9年。
人間の奢りが招いた悲惨な事故を語り継ぐ意味は勿論のこと、このタイミングでの上映はもう一つの意味を図らずも有してしまった。
日本政府はあの事故から何も学んでいないと改めて知らしめるという意味を。
民主党政権を批判した自民党が同じように、危機に対するひ弱さを露呈している。
震災は突然だが、ウイルスは中国で感染が広まった時点で予測できた。
その分、民主党政権より出来が悪い。
吉田所長が官邸の言い分をそのまま伝えてくる東電本社対しに怒りをぶつける💢
「素人は黙ってろ!」
専門家の意見を聞かず暴走する安倍政権そのままだと思った。
「オレたちは何を間違ったんだろうか」
「自然を甘く見ていたんだ」
これがフィクションなら、なんて陳腐なセリフだと思うが、事実だと思えば静かに響いてくる。
これを見てまだ原発を推進しようと思う連中がいたとしたら、とんでもない馬鹿だ。