彼が死んだのはボクが高校1年生の時。
演劇部の同級生が興奮して校内放送で叫んでいた。
「ミシマが死んだ!」と。
その前年に行われた三島由紀夫と東大全共闘との討論「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」を観に行った。
あんな時代もあったんだ・・・懐かしく観た。
ボクは政治とは遠いところにいたノンポリ高校生だったが、クラスには必ず1人や2人はいたものだ。
数歳上の大学生たちが叫ぶ言葉に感化され、熱く政治を語る連中が。
三島由紀夫は心底優しく後輩たちと語り合う。
時にユーモアを交え、息巻く若者たちを諭すように。
さりげなく飛び出す、モーリヤックやサルトルの話が面白い。
アングラ演劇に身を投じた芥正彦が、学生結婚して作った子供を抱えて三島に挑む姿が圧倒的に印象的だった。
彼らの議論は高尚すぎて耳だけではついていけない。
とことん頭の良いやつはいるもんだ。
東大以上の大学は日本にはないから、頭の良いやつは天井知らずで頭が良い。
あの理解力、語彙力は凄い。
凡庸なボクは帰りに本屋でこの討論を書き起こした文庫本を買った。
この国を牛耳る厚顔無恥な為政者たちを呪いながら、ガラス越しの陽射しの中でおさらいするつもりである。
森友学園の国有地売却問題で自殺した近畿財務局の職員が残した遺書が公表された。
ワンクッションあるとはいえ、あの佐川宣寿の指示を明確に告発している。
官僚が国民ではなく政権のために奉仕する、まさに映画「新聞記者」が描いたこの国の統治機構の腐敗そのもの。
相変わらず安倍晋三も麻生太郎も財務官僚も木で鼻を括るような対応に終始する。
国民はこの悲劇を自分の身に置き換えて考えるべきだろう。
もう彼らのほしいままにさせてはいけない。
とは思えども・・・。
「新聞記者」は結局、国に負けてしまうことを仄かして終わるが、それが現実かと思うと哀しくなってしまう。
遺書は白鳥の歌。
人のまさに死なんとする其の言や善し。
白鳥の歌に続いて声を上げる人が続けば、あの厚顔無恥な連中に一泡吹かせられるかもしれない。
それを強く願っている。
暑いくらいの温かさ。
墓参りに行く。
4月に法事を予定していた。
姉たちもやって来て。
ところがコロナ騒動勃発。
シアトルの姉はきっと来られないだろう。
実は去年も流れた。
今年こそと思っていたが、どうやらまた流れそう。
去年は父親の二十三回忌。
今年は母親の十三回忌。
多少のズレは多めに見てもらおうと、一緒にやるつもりだった。
何しろアメリカと東京からやってくるのだからおいそれとはできない。
まあ儀礼的なことに拘らない親だから良いだろうと、子供たちは勝手に思っている。
それにしても温かい。
「そうだ京都に行こう」と思い立つ。
インバウンドで観光客が増えすぎて、とても行く気にならなかったが、コロナ騒動で今はビッグチャンス。
桜に合わせて🌸行こう。
緊急事態宣言も出されていないし、移動は自由。
桜の季節に京都なんて恐ろしくてとても行けなかったが、ここを逃せば一生行けない。
好機と見た。
話題の映画が再上映されているので観に行った。
「新聞記者」という映画。
東京新聞の望月衣塑子記者が書いた新書「新聞記者」が原案となっている。
現政権を明らかにディスっているが、よくぞ制作し、上映されたものだ。
内閣情報調査室、内調が怒りまくっているのではと思うと可笑しい。
ラストをどう解釈し評価するか。
松坂桃李とシム・ウンギョンのアップは何を物語るのか。
結局は権力の前に敗北すると予感させるが、これが制作側の譲歩と見えなくもない。
これが現実ならこれからが大変なんで、そこを描いてよとは思うが、所詮映画。
全てを伝えられるはずもない。
長期政権の傲慢さに辟易している人たちには是非見てもらいたい。
これがニッポンの民主主義かも・・・。