この年賀状は
中学校の陸上部で、二年間お世話になった恩師からのもの。
三年時には転勤されて、先生とは離れてしまったが
それからもずっと私にとっては大切な恩師である。
~ 夏休みの練習の後で (中央が先生) ~
県大会が終わって三年生は引退。
残った二年生と一年生で秋の新人戦に臨むため
暑い最中、厳しい練習に明け暮れていた。
厳しい練習はシーズンだけでなく
冬の雪の降る中でも行われた。
ある雪の日
「これから外を走るぞ!」
先生の一声で皆が雪の中を走りだした。
寒いし胸は苦しくなるし
なんでこんな辛いことをしてるんだろう?
そう思いながら走っていると
「〇〇中の陸上部か、頑張れよ!」
近くの高校生が声をかけてくれたりした。
距離が進むにつれ
さらに辛くなって、先の遠いことを思って涙が出て来た。
泣きながら走っていると
後ろの方から先生が追いついて来て
「辛いのはお前だけじゃない!みんなが辛いんだ!」
と言うや
さーっと前に走り去った。
先生は自分でも走りながら
後ろから前まで
皆を𠮟咤激励していたのだった。
その先生の姿を見て
私の涙は引っ込んだ。
それからは
どんなに辛い練習でも泣くことは無かった。
~ 全国放送陸上・新潟県新発田市本丸中グランドにて ~
その辛抱の成果が現れ
この大会の400mリレーで県内5位になった。
〇〇中女子歴代最高の成績だった。
* * *
先生にはよく外を走らされた。
特にアップダウンの多いところや砂浜はきつかった。
その度に先生の言葉が力になった。
先生とはその後も交流が続き
年賀状にはいつも「人生はマラソンだ!」と書かれてあった。
ずっとずっと先生が一緒に走ってくれている
そんな気持ちがして
それを思い出すと辛いことも辛く思わなくなった。
そうなんだ、人生はマラソンなんだ。
頑張って走って行こう!
15年前にもらった年賀状を、今も大切に保管されて
いることに驚きました。宝物なんですね。
卒業すれば疎遠になることが多い中で、卒業後も
交流が続くのも素晴らしいことです。
人生のマラソン。まだまだ続きます。何かにつけて
思い出す言葉を胸に頑張りましょう。
はい、先生からの年賀状はほとんどとってあります。
私にとっては力の源なんです。
私だけなく男子部員たちも交流が続いていて、故郷に残った者たちで
先生が大会等で来訪する時には会っているとのことです。
この子弟の縁を持てたことは、私の人生の宝物です。
今の子供たちもこんな出会いがあるといいですね。
人生は超長距離マラソン。
先生の言葉を胸に、出来るだけ長い距離を走り通したいと思っています(^_-)-☆
予告してからお待たせしました~!(^^)!
まだ海のものとも、山のものとも分からない時期に、人生の基礎を作って頂けて
先生との二年間は珠玉の二年間だったと思います。
先生の「人生はマラソンだ!」の言葉に励まされていますが、
kyokukenzoさんの「人の後追いは道にあらず」も私を勇気づけてくれる
大切な言葉になっています(^_-)-☆
いいせんせいですね
生涯の師ですね
人生はマラソンなんですね
辛い坂道も緩やかな歩道もいつも師を仰いで生きていけますね
辛いこともつらく思えなくなるそんな師の存在ですね
もう人生の終わりに近づいてきた私にも考えさせられます
陸上されてたのですか
いい成績を残されてるのですね
青春の素敵な思いで聞かせて頂き
”人生はマラソン” ほんとですねどこまでも走り続けなければいけないですね
好い言葉教えてもらいました
はい、熱心で生徒を大事にしてくれる先生でした。
誠実で明るくて元気、その姿は私の良いモデルになっています。
先生からはよい指導をして頂いて、人生の基礎が出来たように思います。
一緒に苦楽を共にした部員たちも宝物です。
皆が先生を慕っていまでも交流しています。
人生はマラソンで、みんながしんどい。
そう思うと自分だけくよくよ出来ない!と元気が出ます。
fuyouさんも私も仕上げの時期ですね。
調子を整えて、出来るだけ長い距離を走って行きましょう~(^_-)-☆
高校までは体育会系一筋でした(^^;)
母には華道、茶道など勧められましたが、動くのが好きでした、
陸上はこの時が最高でした。先生のしごきが効いたのだと思います。
さほど能力も無かったところ、先生のお陰でこの成績がとれました。
人生は超長距離のマラソンですね。
その途中でチー子さんとも知り合えて良かったです(^_-)-☆
こんばんは。
陸上競技とこの先生の出会いが、越後美人さんにとっての宝物なんですね。
私も教師の端くれでしたが、この先生のような指導ができてきたのか、はなはだ疑問です。
人生はマラソンだ!
素敵な言葉ですね。
この言葉に励まされて生きてこられた越後美人さんにも先生にも拍手です!
中学校入学当初は、小さくてクラスで三番目のチビでした。
手芸が好きだったので、手芸部に入って刺繍をしていたところ、
先に陸上部に入った子が「運動しないと大きくなれないよ、陸上部においで」と
誘ってくれました。
走っても遅かったので、陸上部に入るつもりは無かったのですが
一生チビは嫌だと思って母に相談すると「入ってみたら?」とあっさり言うので
翌日見学に行きました。
すると私を見つけた先生が飛んで来て「やあ、君か!早速明日から来い!」
先生のあまりの元気さにつられて「はい!」と返事をしてしまいました(^^;)
それから私の地獄が始まったわけです。
わずか二年間でしたが、私の人生の礎はその二年間で先生に作ってもらいました。
その恩は、今、高校茶道部の子らに返して行っています。
人生はマラソンだ!この言葉と共にです(^_-)-☆