今朝、近所で火事がありました。
サイレンが5回鳴って、市内であることはわかりましたが、
防災無線で1Kmほど離れたところであることもわかりました。

(ホトケノザ)
ただ、現場との間に小高い丘があるので直接、火災を見ること
はありませんでしたが、煙とプラスチックが焦げた臭いが
漂って来て、火事の恐ろしさを実感しました。

(ナノハナ)
今日は朝から風も強く、空を見上げると雲もずいぶんと早く
流れていました。
九州方面へ向かう飛行機が飛んでいましたが、飛行機雲は
どんどん流れていくものの、飛行機本体はなかなか進んで
いるようでなく、時間と燃料が多くかかったのではないで
しょうか。

(ナズナ)
日中は陽射しが出てきたため散歩に出ましたが、野には春の
花が咲いていました。ただ、ホトケノザは何度撮っても思う
ような写真にならず、納得しないままのアップです。
サイレンが5回鳴って、市内であることはわかりましたが、
防災無線で1Kmほど離れたところであることもわかりました。

(ホトケノザ)
ただ、現場との間に小高い丘があるので直接、火災を見ること
はありませんでしたが、煙とプラスチックが焦げた臭いが
漂って来て、火事の恐ろしさを実感しました。

(ナノハナ)
今日は朝から風も強く、空を見上げると雲もずいぶんと早く
流れていました。
九州方面へ向かう飛行機が飛んでいましたが、飛行機雲は
どんどん流れていくものの、飛行機本体はなかなか進んで
いるようでなく、時間と燃料が多くかかったのではないで
しょうか。

(ナズナ)
日中は陽射しが出てきたため散歩に出ましたが、野には春の
花が咲いていました。ただ、ホトケノザは何度撮っても思う
ような写真にならず、納得しないままのアップです。

先日、ニコンがフィルム(銀塩)カメラの製造を一部の機種に限定し、
基本的に主体をデジタルに移行するとの発表がありました。

(オキザリス?)
また昨日は、コニカミノルタがカメラの製造部門をソニーに売却する
とのアナウンスもありました。
いずれも写真の世界がデジタルに移行する特徴的な出来事だと思い
ます。

(ヤクシソウ)
写真と言えばフィルムであり、撮影、現像、焼き付け・引き伸ばしと
いう作業があるのが当たり前でしたが、デジタルの高画質化が進み、
フィルムの必要性が無くなってきました。
プロの世界でもデジタルが当たり前になってきた今では、その流れ
を変えることは無理でしょう。

(キオン?)
しかし、フィルム時代からミノルタを使ってきた私としては、その
名前(MINOLTA)が消えることを残念に思います。
(デジタルカメラはニコンを使っていますが・・・・)
コニカと一緒になって、コニカミノルタになったときもショックで
したが、更にソニーになってしまうとは・・・・
大企業といえども不変ではありませんね。


(キオン?、花と種子が同居しています)
基本的に主体をデジタルに移行するとの発表がありました。

(オキザリス?)
また昨日は、コニカミノルタがカメラの製造部門をソニーに売却する
とのアナウンスもありました。
いずれも写真の世界がデジタルに移行する特徴的な出来事だと思い
ます。

(ヤクシソウ)
写真と言えばフィルムであり、撮影、現像、焼き付け・引き伸ばしと
いう作業があるのが当たり前でしたが、デジタルの高画質化が進み、
フィルムの必要性が無くなってきました。
プロの世界でもデジタルが当たり前になってきた今では、その流れ
を変えることは無理でしょう。

(キオン?)
しかし、フィルム時代からミノルタを使ってきた私としては、その
名前(MINOLTA)が消えることを残念に思います。
(デジタルカメラはニコンを使っていますが・・・・)
コニカと一緒になって、コニカミノルタになったときもショックで
したが、更にソニーになってしまうとは・・・・
大企業といえども不変ではありませんね。


(キオン?、花と種子が同居しています)
冬場の今、仁淀川河口ではサーフィンとシラスウナギで賑わって
います。
河口からの流れと太平洋の波がせめぎ合って、サーフィンに絶好
の波が起こるようです。

この日も10人近くのサーファーが楽しんでいましたが、ウエット
スーツをしっかりと着込んで波に挑戦していました。
夜になると今度は、シラスウナギ漁の人たちで賑わうそうです。

きちんと採取免許を持っているといいのですが、高価なシラスを
目当てに密漁するものも多いようで、新聞紙上でも取り締まりの
様子が報道されたりしています。

先日、青龍寺を訪れたとき、参道に沈丁花を見つけました。ほと
んどが蕾ですが、いくつかの花が開きかけており、ほのかに佳い
香りが漂っていました。
います。
河口からの流れと太平洋の波がせめぎ合って、サーフィンに絶好
の波が起こるようです。

この日も10人近くのサーファーが楽しんでいましたが、ウエット
スーツをしっかりと着込んで波に挑戦していました。
夜になると今度は、シラスウナギ漁の人たちで賑わうそうです。

きちんと採取免許を持っているといいのですが、高価なシラスを
目当てに密漁するものも多いようで、新聞紙上でも取り締まりの
様子が報道されたりしています。

先日、青龍寺を訪れたとき、参道に沈丁花を見つけました。ほと
んどが蕾ですが、いくつかの花が開きかけており、ほのかに佳い
香りが漂っていました。

探し物をしていて、目的とは別の懐かしい品物を見つけ出し
ました。
昭和36年(1961年)から登場した旧・国鉄時代の列車
愛称板と種別板です。

少し錆が出ていますが、いずれもホーロー仕上げの立派な
もので、昭和48年頃に東北旅行に行ったときに買ったもの
です。
この当時は特急列車は少なく、ほとんどが急行列車と準急
列車でした。

昭和39年(1964年)の時刻表(交通公社刊・復刻版)
によると、臨時急行「ひめかみ」季節列車で、上野と盛岡の
間を走っていました。
同時刻表では、上野を13:30に出発し、盛岡には23:10
に到着(下り・1033)します。

また、急行「陸中」は、上野を7:40に出発、常磐線を経由
して花巻、釜石を経由、宮古には19:03に到着(同、11D)
することになっています。

「ひめかみ」は昭和36年から47年までの運行でしたが、
「陸中」は何度も経路を変更して生き残り、平成14年まで
その愛称が使われていました。
列車の愛称名も地域に密着したものが沢山、使われていましたが、
最近はほとんどが特急列車に格上げされ、なおかつ「○○2号」
などと番号をふられるようになると旅情も無くなります。

因みに、前述の昭和39年は新幹線開業・東京オリンピックの年
ですが、四国では急行「道後」「浦戸」などが走っていました。
ました。
昭和36年(1961年)から登場した旧・国鉄時代の列車
愛称板と種別板です。

少し錆が出ていますが、いずれもホーロー仕上げの立派な
もので、昭和48年頃に東北旅行に行ったときに買ったもの
です。
この当時は特急列車は少なく、ほとんどが急行列車と準急
列車でした。

昭和39年(1964年)の時刻表(交通公社刊・復刻版)
によると、臨時急行「ひめかみ」季節列車で、上野と盛岡の
間を走っていました。
同時刻表では、上野を13:30に出発し、盛岡には23:10
に到着(下り・1033)します。

また、急行「陸中」は、上野を7:40に出発、常磐線を経由
して花巻、釜石を経由、宮古には19:03に到着(同、11D)
することになっています。

「ひめかみ」は昭和36年から47年までの運行でしたが、
「陸中」は何度も経路を変更して生き残り、平成14年まで
その愛称が使われていました。
列車の愛称名も地域に密着したものが沢山、使われていましたが、
最近はほとんどが特急列車に格上げされ、なおかつ「○○2号」
などと番号をふられるようになると旅情も無くなります。

因みに、前述の昭和39年は新幹線開業・東京オリンピックの年
ですが、四国では急行「道後」「浦戸」などが走っていました。
