軽井沢のツルヤで買い物の後、帰りがてら、丁度桜が見頃らしいので、妙義神社に行ってみることにします。
軽井沢から一般道、碓井バイパスで群馬に向かいます。碓井バイパスを通るのは久しぶりです。
標高が下がってくると桜が咲き始め、横川のあたりで完全に満開状態となりました。
どこかでちょっと花見をしたい、と思ったところで、丁度碓井鉄道文化むらの横の信号が赤になり停止します。
碓井鉄道文化むらは一度来てみたいと思っていたのですが、なかなか一般道でこの辺に来る機会がなく、今まで来たことがありませんでした。
今、目の前に来て、しかも桜が満開、こんな絶好の機会はない、ということで、急遽寄ってみることにしました。
かつて広かった横川駅は二面二線を残して、あとは駐車場になっています。そこに車を停めます。駐車場は無料です。
かつて、特急あさま等の優等列車が多数発着していた横川駅も、今は普通列車が発着するのみです。
横川駅といえば峠の釜めし、おそらく日本で一番有名であろうこの駅弁は、横川駅の駅弁です。
横川~軽井沢間は国鉄で最も急な勾配があり、列車が単独で走行することは困難なため、この区間だけ補助の機関車を連結していました。
窓の開かない特急が主流の時代になると、ホームで立ち売りの駅弁は減っていきましたが、横川だけは別で、全ての列車が補機を解結するため5分以上停車するため、峠の釜めしは北陸新幹線長野開業で横川~軽井沢間が廃止されるまで、ホームでの立ち売りを続けていました。
今でもホームには売店があり、横川駅の駅弁としての立場は維持しているようです。
列車が発車するときに、ホームにいる駅弁の販売員が全員列車に向かって頭を下げていた光景も今は昔です。
現在の横川駅は、このように軽井沢側が行き止まりになっています。二度とこの先には線路を伸ばしません、と宣言しているようです。
などと感傷に浸りながら、碓井鉄道文化むらに向かいます。
碓井鉄道文化むらは、横軽間の補機が所属していた横川機関区の跡地にあります。
機関区の北側には、先ほど途切れた信越本線の線路が残されています。この線路はトロッコ列車が運行されています。
入口の北側の道はこぶしの花が満開です。
最初に目に入るのは、189系特急あさま。信越本線の花型列車です。
横軽間を通過する電車は、この区間では動力を使用しないため、8両編成までに限定されていました。この区間で補機からの制御で動力を使用できるようにしたのがXX9系シリーズで、これにより12両編成までこの区間を通過できるようになり、大幅に輸送力が増強しました。
交直流特急型の489系、直流特急型の189系、急行型の169系が製造されましたが、ここに展示されているのは189系のみです。
EF63。碓氷峠の補機専用として製造された日本最大の電気機関車です。
常に二両一組で運用されていました。横川駅に列車が到着すると、列車の後方からブロワー音をとどろかせながら近づいてくるEF63には胸が高鳴ったものです。
EF62。
EF63との協調運転を前提に、前後の区間を通し運転できるように設計された電気機関車です。
上野駅にも乗り入れていました。北関東~上信越の直流区間で広く活躍していましたが、碓井峠を通過する貨物列車の減少により活躍の場を次第に失い、他線区に転出したものの横軽対策の特殊仕様が災いし、活躍できなかった不遇の機関車です。
54号機はラストナンバーですね。茶色塗装のトップナンバーもここに保存されています。
この章長くなりそうなので、続きは後編で。
<その4に続く>