こんばんは、あっきーです。
義父宅の庭で実った柿。わざわざ持ってきてくれて、果物好きな娘はまるごと食べようと
くるくるむいて、その場でパクッとやったら経験のない味。
中の方は美味しいかもしれない、と歯形をみると相当思いっきりかぶりついたらしい。
「この柿・・・変」パラグライダーのような形をしていた。
「若いの?渋いの?」鼻の前で既にえぐそうな匂いがしてる。
「この匂い気がつかなかったの?」パラグライダーの内側をちょっとだけ舐めてみた。
水分があるだけに、口の中の隅々まで一瞬にして苦味が沁み渡った。
我が娘18歳にして生まれて初めての渋柿。
その無防備さには笑ってしまった。
おじいちゃんの柿ということも油断を生んだかもしれないが。
果物も改良され、種なしや渋みを抜いたものが当たり前のように手に入る。
その昔わたしたちの祖先は、食べられる実か、食べられない実か命を掛けて確かめてきた。
採集し食べ尽くしてしまうと栽培することを考えた。保存する方法を考え出した。
それは皆生きる為の知恵。
今日では外食産業の繁栄で、いつでもどこでも食べたい物を口にすることが出来る。
煩わしさを取除いた食生活。
用心深さが必要なくなったのは、はたして人間にとって良いことなのだろうか。
危機管理にも甘くなり、問題意識を持たないというより、問題に気付かなくなるかもしれない。
感も鍛えられない。知恵は育つのだろうか。
私も毎週ブログを書くのにこうしてパソコンを使い、検索もするが、依存はしていないだろうか。
そういえば一か月前台風で停電した時、
息子は「パソコンだめ、テレビも、DVDも、CDもみ~んなダメだぁ!!!!」とパニック状態。
娘に「電磁波依存症」と言われていた。
それでも1時間もたつと暗闇や静けさにも慣れて、ロウソクの灯りで食事。運が良かったのは
全員が揃っていたこと。電気機器にも邪魔されずにおしゃべりしながらの candle dinner。
不自由と引き換えに得るモノもある。
煩わしさも一種の風情・・・・それはそれで面白味がある。
要するに心の持ち様だってこと、子供たちは気付いてくれたかな。
道具については、振り回されないように何の為に使うのかよく考えて欲しい。
・・・たまには種のあるものを食べさせようかな。