こんにちはタッキーです。
今年私が担当する分は今日が最後となります。
今年を振り返ってみると自分のことや周りの状況で色々な変化があったように思います。
小さなことも大きなことも不思議なくらいに色々あり、見えない力が働いているかのようです。
来年(あるいは再来年)もひとつ大きな変化が生じる予定となっています。何かまでは言えません。
来年の抱負はすでに決まっていまして、テーマは「旅」です。
慣れないところに行くとすぐ体調を崩すので、元々あちこち行くタイプではないのですが、
神奈川に来てからもあまり観光地を回ったことがなくて、箱根や鎌倉、あるいは近隣の県やもっと遠くの土地まで
めぐってみたいなと思っています。私が抱負というものを守れたためしがない(「早く帰る」こともできなかった)ので、
実際どうなるかわかりませんが、心の中ではそのように考えています。
最後に、少し哲学っぽい話をしたいと思います(気分的に)。
私は「習慣」という概念、正確には習慣における「繰り返しの中で起きる変化」に関心を持っています。
私たちは気づいたときには、いつからかはわかりませんがそれぞれの習慣を作り出しています。
経験の繰り返しは同一の行動であっても何らかの変化を生み出し、
その変化の結果が習慣というひとつの到達点となります。あるいは癖といってもいいかもしれません。。
習慣化された動きは考えなくても勝手に体が動きます。あるいは勝手に心や思考がそうなるように働きます。
それは心身に刻み込まれた暗示です。
暗示的な習慣は心身を苦しめる場合もあるかもしれませんが、何かの可能性を秘めている場合もあります。
それは「ずれる」可能性です。
習慣というのは常に一定ではありません。繰り返しの中での微妙な変化があります。習慣を形成するまでの間に変化が
生じたように、習慣自体にも変化があります。毎日飲むオレンジジュースは、それ自体は同じ行為でも感じ方は
そのときそのときで変わるのではないでしょうか。そういう微妙な「ずれ」です。
この「ずれ」は、もしかしたら何らかのきっかけによって、自分を大きく異なる方向に向かわせるかもしれません。
それが良い方向か悪い方向かにせよ、とにかく変化の可能性があるわけです。この未知の部分があるからこそ、
私は「習慣」の概念に惹かれます。
人生のおいてもこの「ずれ」が大切だと思っています(子どもの頃の夢の変化、とか普段の日常での何気ない出会い、とか色々な「ずれ」があると思います)。
それでは。