こんにちはタッキーです。
台風がきましたね。私のところはこの文章を打っている時点では落ち着いていて、このまま過ぎ去ってほしいですね。
しかし思うのは、いざ危険な局面になり自分が実際にどこかへ避難するということを、現実感を持った出来事として想定できるか、ということです。
「避難に備えて準備をしておいたほうがいいか、いや、今回も大丈夫かもしれん。ここにいても平気ではないか。そんな被害がくることはないだろう、余裕」云々と、
結局楽天的に物事を捉えがちなのは、私だけではなく多くの人がそうかと思います。平穏な日常にイレギュラーな事態が自身に降りかかるとき、「これはまずい」
という感覚を察知し、それに素直に従うのは案外難しいものでしょう。大げさに思われるかもわかりませんが、普段の日常から脱け出すことの難しさを、
精神的にも実際の行動としても、今実感しているところです。
さて、このように思うのはある文章を読んだことがあるからなのですが、
その文章が収録された本がありますので紹介します(台風の話に関連させるにはかなりこじつけっぽいかもしれませんが・・・)。
『民主主義を直感するために』(國分功一郎 晶文社 2016年)の「亡命はなぜ難しいのか?」(p.38~p.45)という項です(元々は「ポリタス」というサイトに
載せられた文章です。※「ポリタス」【総選挙2014】2014年12月9日)。
こちらの話は台風、あるいはその他の災害ほど見た目ではっきりとすぐにわかるような日常の変化ではありません。
徐々に日常が変わっていく中での恐怖や危険、そしてそれに対処する困難さが表されています。
政治的な話はあまりしないスタンスを最近破っている気がしますが、まあ台風で思ったことがどこから影響されたものか、元は説明しとくべきでしょう。
ところで、台風ということで思うことがもうひとつ。
台風に限らずですが、日本の会社ってどんな悪天候でも割とフツーに通勤しますよね?(私の思い込みなのですが、そうじゃなかったら申し訳ありません)
例えば、「前もって天気予報で悪天候が予想されれば、交通機関の混乱に備えて早めに通勤するのが社会人の常識だ!」的な感覚が人によってはあるかもしれません。
まあなんというか、いつも通り働きますよね?(繰り返しになりますが、良心的でちゃんとしたところには申し訳ありません)
確かに時間通りに来ないと困るし、自らの役割や責任を果たすことは大事なことですが、
「そういうのっておかしくない?」とも思うのが私の感覚です(緊急を要する場所等、個別の問題はあるにせよ・・・)。
いつものことながら、ああだこうだ述べるのはやめときます。すみません。それでは。