青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

懐かしい昭和・駅の売店!~昭和と令和の“石橋”

2024-10-13 | 昭和・懐かしい北摂の風景

自分が長年慣れ親しんだ駅前の光景ほど、記憶に残る景色は無いと思います。通勤・通学・買い物・・いつも通る駅前の景色。高架工事や駅前再開発で、昔と随分変わってしまった駅も多い中、阪急宝塚線の「石橋駅」、現在の「石橋阪大前駅」は、今も昔の面影を残しています。

これは昭和30年(1955年)頃の石橋駅東口の景色です。現在と比べてみると・・・

何となく面影が残っているでしょう?

左端の駐車禁止の標識の左手は今も、僕が学生時代だった70年代もタクシー乗り場です。写真右側のオレンジの建物は、現在2階が学習塾になっていますが、1978年頃に当時この北摂でも大きな書店として建てられました。映画「赤穂城断絶」や「病院坂の首縊りの家」の、公開前に発売された原作のハードカバー本をここで買ったのを覚えています。また、コピー機が最初に置かれたお店もここでした。1枚30円~50円で高価でした。80年代に入ると値引き競争が始まり、1枚10円~20円に落ち着きましたが、現在と大差が無い値段というのに驚きます。今ではトナーの質が良くなり、コピーの出来上がりも当時と比較にならない程綺麗で、カラーコピーも普通となりましたが。

写真中央、日通のトラックが停まっていますが、その後ろの壁の部分は70~80年代は長く、新聞や宝くじを販売している駅の売店でした。僕は70年代、ここで大阪スポーツを買い、前夜のプロレスの結果に一喜一憂していました。また、宝くじ1枚100円を生まれて初めて「1枚だけ」買ったのもここで、それが1万円の当選!これは嬉しかった!今でも忘れることが出来ません。

1枚目と同じ日の昭和30年頃の改札のアップですが、改札左におばちゃんが座っているのが、駅の売店の初期。新聞と雑誌を当初は販売していましたが、徐々にタバコや飲料、ガムと品数が増えて行き、駅舎の1部を使ったきちんとした売店に変わって行きました。今ではローソンが駅に入って、こういう売店は消え去りました。大阪梅田の阪神百貨店前の地下通路には、こういう屋台が沢山あり、そこで新聞や雑誌、飲み物等を売っている光景が80年代まで見られました。

当時の朝のラッシュ時、サラリーマンが次々と新聞や雑誌、タバコなど複数の品物を買う中、瞬時に金額を計算して品物を渡しているおばちゃんの仕事ぶりは、今と比較すると人間業ではありませんでした。今はレジがあって自動の読み取り機までもあるのに、どれだけ待たされることか!当時はテレビで時々、駅のおばちゃんが何秒でお客を捌いているか、特集していましたね。早く捌くために、お釣りのコインを何枚単位でどのように予め積み上げて置いておくとか。

今の駅の売店の人に、当時のおばちゃんの真似をするのは絶対に不可能。あれだけ早く暗算が出来て、瞬時に手が動いて品物とお金を交換してお釣りも渡す。一流企業のオフィスで働く人でも、あんなに早く暗算をしてパソコンをタイプする人はいません。そういう優秀な人が、駅の売店で働いていたのです。昭和の人々の働きぶりは、現在とは異次元でした。

昔のスーパーのレジのおばさんも、自分の指で品物の値段を1点1点打っていたのに、今の読み取りレジよりどれだけ早かったか!レジに並んで、その遅さにイライラしたことが昔は無かった。働き方改革と言われますが、人の能力が低下しているのに、更に楽をして賃金だけが上がって行くのは如何なものでしょう。

もう1つ書いておきますと・・最近のレジはバーコードの読み取りでレジ係が、同じものを10個買っても「×10」とはせず、1個1個握って読み取る。例えばアイスクリームが溶けようとも・・。魚のお刺身でも、調理したお惣菜でも、カップ麺でも、中身があっちこっちに動こうとも、バーコードの位置を探して360度どの方向にでも品物を向ける。レジ係の賃金は上がっても、質は落ちることはあっても上がらない。買い物をするのが楽しくなく、面倒な・・・不幸な世の中になりました。

 



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