その町のシンボルと言える建物が、昔はあちこちにありました。でも、最近は町を代表する建築物が再開発によって、徐々に姿を消しています。どの町の風景も似たような駅前になりつつあるのです。人の行き交う音、人々の声は、余りの暑さだけではなく人口減少によってなりを潜め、蝉の声だけが響いています。
この風景も今は消え去りました。
煉瓦建築のアサヒビール吹田工場です。明治24年に竣工した大阪麦酒会社の吹田村醸造所を源流とし、以後、国鉄吹田駅北側のシンボルであり続けました。撮影は昭和45年(1970年)、大阪万博が同じ吹田市で開催された年です。
吹田には今でも万博のレガシーである太陽の塔が残り、万博跡地は万博公園として憩いの場所になりましたが、このアサヒビール吹田工場を始め、千里丘ミリカプール、エキスポランドの近くにあったMBS毎日放送社屋は姿を消しています。
そして次は、入居者が減り続け、老朽化も進む「千里ニュータウン」の団地群が消えて行くのでしょう。町のシンボルも時代の鏡として、その座を次代に譲り消えて行きます。