僕が若き頃に映画を観まくった劇場は、大阪は「キタ」と呼ばれる梅田界隈の劇場。時には神戸・京都・北摂地域の映画館にも、映画は元より「映画館」自体を観たくて足を運んだこともありました。また、旅行先でも地方の映画館がどんなものか見に行きましたし、海外でも映画館を見たくて足を運びました。
2番館やいわゆる名画座も足げく通いましたが、大阪の「ミナミ」と呼ばれる難波周辺の映画館に行ったことは、そんなに多くはありません。ミナミと言えば旧・大阪府立体育会館。70年代~80年代のここでの新日本プロレスの興行は全て観戦しました。そんな僕ですが、ミナミでも「南街会館」だけは時々利用していました。
1番記憶に残っているのはホラー映画の「サンゲリア」。なぜかキタでは上映しておらず、南街劇場まで足を運んだのを今でも覚えています。
さて、この南街会館ですが、2004年2月1日、大阪府知事選挙の戦いが繰り広げられる中、建物の老朽化が進んだために、その50年の歴史に幕を閉じました。
1月31日、2月1日の2日間に閉館イベント「さよなら南街 ラストショー ~ありがとう、映画のような50年~」が開催され、31日は「ベン・ハー」「アラビアのロレンス」「ラストタンゴ・イン・パリ」「ブラック・レイン」、1日は「伊豆の踊子」「太陽を盗んだ男」「エレキの若大将」が上映され、最終上映は「七人の侍」で、その前には浜村淳のトークショーもありました。オープン以来、50年間の総動員数は8300万人。年間最高記録は1959年(昭和34年)の295万人。
南街会館の最期には、シネマスコープの「南街劇場」「南街東宝」「南街シネマ」「南街スカラ座」「南街文化劇場」が入っていました。この地には南街会館の前には「南地演舞場」が建設され、1897年(明治30年)2月15日、フランスのリュミエール兄弟製作によるシネマトグラフが上映され、この上映会は入場料を接収した日本で初めての興行であり、そのことから南地演舞場跡地の南街会館が映画興行発祥の地とされ、その碑はTOHOシネマズとなった現在も、1階のTOHOシネマズ直通エレベーターの右側の壁に埋め込まれています。
ちなみに南街会館での初の映画は、1953年12月の「聖衣」が南街劇場のシネマスコープで公開。座席数1,488席は、キタの北野劇場と並び大阪の映画の殿堂と呼ぶに相応しい劇場でした。
閉鎖後は南街会館は解体され、会館跡には「なんばマルイ」が建てられ、8階から11階に後継館であるTOHOシネマズなんば・本館(開業当初は単にTOHOシネマズなんば)が開館して、現在に至ります。ミナミの映画館については、キングさんの長く続く映画ブログ「MOVIE KINGDOM」に、とても詳しく書かれていますので、ぜひご覧下さい。