青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

森発言に考える ~集団ヒステリー!

2021-02-13 | 今を考える

東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の言葉を、誰もが問題視し、非難しています。女性蔑視であるとか、不適切であるとか。でも、誰も「それならこう言うべきだったのに」とは言いません。また「辞任すべき」という発言はあっても、その後を考えた発言があまりにもない。だから森氏が辞任した途端、マスコミは五輪開催に暗雲と面白おかしく書いたり、単に「女性が良いのでは?」というような浅はかな意見しか出ない。

まず最初に断っておきますが、僕は森氏の発言は誤りだった。これは同じ意見です。

しかし、多くの人が森氏の発言を問題視した上で、次に森氏の人格を攻撃する。彼を「老害」だと非難し、彼の過去の業績には目もくれず批判し、最後に「辞めろ」と結ぶ。公人であることの責任の重大さを思い知らされると当時に、誰もが好きなことを言える社会の怖さを感じてしまいます。ほとんど集団ヒステリー。TV番組を見ても例えば辛坊治郎氏など、その物言いや表情を見ていても、魔女裁判の裁判長?というか、とにかく偉そうな態度です。裁判ではなくても、人が人をメディアを使って私刑に処す。そういう風潮がいつの間にか日本に蔓延しています。これはコロナとは無関係に・・。

森氏の発言は悪かった。しかし、森氏への退陣の求め方は更に悪い!非常に後味が悪い。

思うままに書かせて頂くと・・・

僕らは世代が違えば、それぞれが考える「常識」や「世の中の仕組み」などにある程度の違いがあることを知っています。今時の若者は・・・という言葉に見られるように、世代間ギャップが確かにある。そこをお互いに理解し合おうという努力をしたとしても、社会全体の思想を統一することは出来ません。それは自由を奪うことになる。「多数派=正しいとは限らない」と僕は考えます。

森氏も例えば最初は「山口氏、小谷氏、高橋氏の出る会合では」と、ごく個人的な自分の周囲のことを言いたかったけれど、個人名を出すのは悪いので、「女性がたくさん入っている理事会の会議」と言い換えた。すると、女性蔑視だと言われたのかも知れません。真意を正す前に、面白おかしく飯のネタにしようとするマスコミの姿勢にこそ問題があり、それに乗っかる大衆がいることで大騒ぎになる。その声をもってして世の中を変えようとまで行くと、これはどんな方向に日本が向いてしまうか非常に危うい状態です。

森氏の話からズレるかも知れませんが、例えば男女を同じように登用しようと言っても、現実には無理がある。ある会社で10名を新たに主任にする際、この場合平社員から選ぶとすると、仕事のスキルや人望、やる気など定められた条件を絞り込んで男5人、女5人が選ばれたら良いのですが、なかなかそうはならない。分母の数が違うでしょうし、仕事によっては男女に適正があるのは事実。もっと言えば僕の時代には、男と同じ考えで会社勤めをしている女性は少なかった。だから、僕のいた会社は男社会でした。無理に男女5人づつを選ぶと、優秀な男性社員が彼らより能力の劣る女性のせいで管理職になれない。そういうことも起きる。

「男女」という言葉に日本は囚われ過ぎ。もっと明確に「実力主義」とは言えないのか?

公立高校の入試でも、本当に試験の点数順に合格者を決定する。結果女性9割、男性1割という学年が出来ても仕方が無い。それこそが本当にジェンダーに囚われないやり方ではないか?現実には点数の低い女性が合格し、点数の高かった男性の方が不合格になるという現象が、偏差値の高い学校でほど、僕の学生時代では普通に起きていました。

世の中の常識についても、耳の不自由な人のことを、85を超えた僕の親は今では使わない言葉で呼ぶことがある。それが親の世代では正しい言葉であったし、今でも昔の映画やドラマのDVDの中ではそれが残されています。今度の東京でのスポーツの祭典についても、僕の親も僕も「東京五輪」と呼びます。東京オリンピック・パラリンピックとは言いません。僕の親は、新聞をずっと昔から読んでいて分かっていても、興味のあるのは東京五輪の方だと思っているのでしょう。そこを東京オリンピック・パラリンピックと呼びように・・とは、僕も指導しません。何を見るのも見ないのも自由です。

今の世の中では「平等」が重んじられ、どれだけ頑張った行為に差があっても、賃金格差や収入格差が悪い事の様に言われ、「分断」だ「格差社会」だとマスコミが報じます。LGBTについての見解等についても、いろんな考えはあって当然で、それをこうあるべきだと主張するのは自由だけれど押し付けるのは弾圧かも知れません。

確かに森氏は僕らとは立場が違いますから、発言が責められるのは当然ですが、彼の人格を攻撃する人が余りにも多い事はいかがなものでしょうか。

ネット上では森氏への批判が溢れています・・・そうマスコミは論じますが、ネット上で批判する人は1部です。ネット等読まない人もまだまだ大勢います。森氏に辞任を求めるのなら、「誰にやってもらいたい!」と明確に言えば世の中も変わって行くでしょうが、誰も他にどんな人がいるかを知らないのでそう書けない。これがネットの人々の弱いところで、これでは世の中変わらない。更に言えば森氏を擁護したい彼と同年代の人達も多いと思います。

インターネットの普及で誰もが声を上げることが出来るようになって、もう何十年も経ちます。なのに、未だに言いたいことを書けた!で終わっていて良いのでしょうか?もう少し1歩進んだ使い方を手に入れないと、ネットは単なる欲求不満解消のツールで終わってしまいます。賢い人は、どんどんお金儲けの道具にしたり、人々を救うツールとして使っているのに、その他ほとんど大勢は、何にもならない使い方をして時間を浪費しています。

これからの世の中の主役である若者には、老人を責め立てるのではなく、世代交代を自分の能力・実力で実現させる行動を取って欲しいと期待しています。何事も待っていては手遅れで、自分で掴み取るものです。一度手にしたものは、誰もが物分かり良く手放しはしません。



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