青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

銀座千疋屋 “まるでクラウンメロン”

2024-05-23 | 日記

僕は今もスポーツをしています。60歳を超えてから新しいスポーツを始めるのは、身体的に難しいと感じます。だから現在50代の人たちには、歳をとっても生涯楽しめるスポーツや趣味は、60歳までに始められた方が良いと思います。

僕は今も月に数回でも柔道、ゴルフを楽しんでいますし、それに加えてボルダリングも楽しんでいます。酒もたばこもしませんし、大食いも外食もしないのですが、なかなか見た目の素晴らしい身体にはなりません。

僕がアイスを食べるのを止めたら、きっとすぐに腹筋が割れると思う。でも、止められない🤣
 
 
銀座千疋屋とセブンイレブンのコラボ商品。このアイスは本当にメロンの味がして美味しいです‼ メロン好きの方は、ぜひご賞味下さい。ただし・・お値段は高いです。
 
こういうものを大人買いして、冷蔵庫の冷凍室に嫌というほど保管しているので腹筋が割れません。分かっちゃいるけどやめられない!🤣 

京都の隠れ家 ~喫茶葦島

2024-05-22 | 昭和の喫茶店

京都には美味しい珈琲を飲むことが出来る、隠れ家的な喫茶店が沢山ありましたが、時の流れとコロナによって、多くのお店がその歴史に幕を下ろしてしまいました。特にジャズ喫茶は壊滅。学生時代に通った、黙ってレコードに耳を傾けるようなジャズ喫茶は、身近な場所では今はもう見ることさえ叶いません。それでも少なからずお気に入りの喫茶店は、まだ残っています。

ここは河原町三条にある隠れ家的な珈琲店「喫茶葦島(あしじま)」です。ビルの5階にひっそり隠れていて、ゆったりしたソファの座席とカウンター席が迎えてくれます。古都散策に疲れた時間、僕は平日にお邪魔します。混雑している時間に行くと、ちょっとやかましい女性グループ客がいたりしますが、マナーの悪い外国人観光客も多くなった京都ですので、そう文句も言えません。本当にいつも空いていて良いお店だ・・というようなお店は今では長く続きません。珈琲1杯1,500円くらいなら払っても良いので、本当に静かでくつろげる喫茶店があればいいのに。

写真のアート作品は2つが重なっています。手前はピアノ、壁際にはギター。木のぬくもり感じるインテリアや彫刻作家・徳持耕一郎さんのアートがくつろげる空間を演出しています。

この喫茶葦島さんは河原町三条。他にもいくつか店舗があります。ここで美味しいのは、自家焙煎の豆を使ったコーヒー。一杯ずつ丁寧に淹れてくれる珈琲は、時間が経っても味が変わらないのが特徴。そして、僕がお薦めしたいのがチーズケーキです。

「珈琲の美味しさをさらに引き立てること」をコンセプトに、チーズケーキが7種類も!店内で数量限定で提供している三条チーズケーキは美味しいですよ。珈琲とセットでお願いすると、ランチが軽く食べることが出来るお値段になりますが、お財布の中身が気になる時は、避けた方が賢明です。

一昔の京都とは違い、人込みの中を歩いて疲れることが多くなった古都。ちょっと足を休めたいと思っても、なかなか良いお店がありません。騒がしくても良いのなら大手チェーン店も沢山京都にはありますが、やはり京都に来たからには珈琲タイムにも拘り、時間と空間を楽しみたいと言う方には、ここはお薦めです。

いつか「あんなお店もあった」という思い出を持つには、良いお店は見つけた時に行くことです。思い出はお金では買うことが出来ません。


石橋に架ける橋

2024-05-20 | 昭和・懐かしい北摂の風景

町の景色が変わっても国道はその場所にあるし、川がある限り橋は残ります。電柱が残っていれば、昔と現在の位置を特定出来ます。例えその残っているものが変わっていても、その変化に時代の移り変わりを見て、楽しむことが出来ます。

ここは大阪府池田市石橋。駅で言えば阪急電車・宝塚線・石橋駅(現在の石橋阪大前駅)西口改札を出て、北に向かった場所。石橋商店街北端の箕面川に架かる「赤い橋」です。商店街入り口ゲートの横幕に「毎月18日は商店街の定休日」とある。これは昭和34年(1959年)の様子です。

こちらが現在の同じ場所です。

地図では①の場所になります。

地図②の場所に今も昔も架かるのが「天神橋」で、現在の様子が下の写真です。

かつて①の位置の「赤い橋」と、②の位置・上の写真「天神橋」の間、地図「?」の位置には、もう一つ小さな橋がありました。今や覚えているのは地元の高齢者だけだと思います。

これがその橋です。撮影は昭和34年(1959年)。この2~3年後には、この橋は消えてしまいましたが、左右の家は2019年には、まだ残っていました。

橋が1本無くなれば、そこを使っていた人々は大回りを強いられ、とても不便です。昭和30~40年代にはこういう小さな橋があちこちの町にたくさんありましたが、橋の老朽化と共に消えて行きました。橋が落ちては人命にかかわるので、橋の維持にはお金がしっかりかかります。だから、地元の少人数の人々だけに親しまれていた橋は、消えゆくしかありませんでした。

この橋には欄干が付いていますが、欄干も無いコンクリート板1枚の橋や、木造の橋もよく見かけたものです。田んぼや溜池が多かった北摂では、幅広の用水路にそういう橋が架かっていました。

 


ブックファースト渋谷店が懐かしい!

2024-05-19 | 昭和・思い出は色褪せない

東京に住んでいた時、本屋さんと言えば神田神保町に行くのが楽しかった。行けば行くほどに懐かしい古本や、「こんな本があったのか!」という素敵な本を見つけてしまい、いつも帰りには財布が空っぽになってしまいました。

でも新刊などを買う時は、渋谷のブックファーストを利用していました。大好きな西村フルーツパーラーの並びにあった大きな書店でした。大きな貫禄のある建物で、すぐに気に入りました。

そもそもブックファーストは1996年(平成8年)3月24日に、阪急電鉄直営の書店として、僕が通勤乗り換えに使っていた川西能勢口駅の改札内に1号店が開店しました。

この写真が1号店である、川西能勢口店ですが、今はもうありません。また同年12月11日には、阪急電鉄梅田駅構内の2階にあるJR大阪駅連絡通路にもブックファーストは開店し、お馴染みの店として利用していたものです。

時が建ち2000年代に入り、僕が東京での初日に所用で降り立ったのが渋谷駅。そこで目に留まったのがブックファースト渋谷店でした。

関西の書店が東京にある!と店内に入ると、地下では後に世間をお騒がせした女優の高樹沙耶さんがサイン会を開催していたのを覚えています。目の前で見る女優さんはさすがに綺麗でした。この店舗は1998年6月、東急百貨店本店の斜め向かいにオープン。渋谷駅周辺で最大の6フロア計約920坪の売り場を持つ大型書店として雑誌や専門書など約70万冊を取り扱っていましたが、残念なことに2007年10月14日に、ビルの建て替え工事に伴い閉店となりました。

しかし、驚いたのはその4日後、もともと「旭屋書店渋谷店」(2005年9月閉店)があった渋谷第一勧銀共同ビルの地下1階・地下2階に「渋谷文化村通り店」として電撃・移転オープンしたのです。

地下の為に店舗は地上からは分かりませんが、看板はマツキヨの上に!これは2009年の様子ですが、西村フルーツパーラーの横、マツモトキヨシの上にブックファーストの看板があります。

書店内部も綺麗でしたが2フロアに縮小されたことで在庫数も少なく、かなり物足りなさを感じ、ちょっと新刊を覗く程度の使い方になって、ここで書籍を購入することは明らかに減りました。

渋谷店が閉店してビルの工事が始まった時は、渋谷文化村通り店がオープンしていたのにも関わらず、年末の雰囲気とも相まって、とても寂しい気分になったものです。

その渋谷文化村通り店も、僕が東京を離れて大阪に戻った後の2017年6月に閉店したと友人から聞きました。スクランブル交差点前のスタバのあるビルにも書店はあり、小さくても不自由は感じないと友人も言っていました。

大型書店の撤退・規模縮小は全国どこでも後を絶たず、町の本屋さんも減少する一方です。ネットで購入するのはターゲットが決まっている時は確かに便利ですが、漠然と「何か面白そうな本が無いかな?」と本を探す時は、実店舗に足を運ぶに勝るものはありません。

写真は僕の息子が大学生時代にアルバイトをしていた、大阪・梅田店です。昔、御堂筋を挟んで建っていた旭屋書店のように、随分古い本の在庫もあったし専門書も置いてあったので重宝していたのですが、平成26年(2014年)2月に閉店してしまいました。今はブックファーストは阪急電車の駅周辺に広く展開しているので、雑誌や大手出版社の発行部数の多い新刊を購入するのに使っています。

専門書を探すには大阪茶屋町のジュンク堂。ネットでは「日本の古本屋」を時々。忙しくて大阪や神戸の大きな書店に行く暇も無い場合だけアマゾンを使います。僕は本が大好きで、電子書籍は1冊も購入どころか読んだこともありません。インターネットはPCで。スマホで文字を追うのは目が悪くなるだけではなく、いろんな意味で事故の元だと考えています。歩きスマホに運転しながらスマホ、絶対やめてもらいたい!

 


庄内 ~賑わいのある町でも今は!

2024-05-18 | 昭和・懐かしい北摂の風景

阪急電車宝塚線・庄内駅。あちらこちらの駅前が再開発で激変して行く中、庄内駅西口の姿は、今もほとんど変わりがありません。これは昭和55年(1980年)の風景です。1980年は、若い人には大昔でしょうが、僕にはついこの前という印象。1番多感だった頃だからでしょうか。

カラーの方は昨年の写真。よく見ると白黒では奥に見える関西相互銀行のビルが、今では無くなっています。この町には子供も多いので、駅前には塾が並んでいます。

中央にローソンがありますが、80年代にはここに「アコム」が経営するレンタルビデオ屋があり、他では置いていない作品がレンタルされていました。NHKビデオの1980年全米オープンの上下2巻。青木功が2位に輝いた試合です。その為にわざわざ、ここに足を運びました。(笑)

ここから少し南下すると、そこには「庄内駅西商店街」が今もあります。

これも昭和55年(1980年)の「庄内駅西商店街」の写真です。アーケード内が買い物客で賑わう商店街の様子は、今見ても楽しくなります。歳末大売り出し、庄内えびすの横断幕もあるので、正月の買い物に人々が繰り出しているのでしょう。庄内の市場は値段も安く、広く北摂の人々が年末には押しかけていました。庄内の賑わいを表す昭和の1枚。

ここから庄内ダイエー、キリンドーと梯子するのが年末の我が家でした。小学校に上がる前の僕は、行くたびにダイエーの本屋さんで、「サイボーグ009」の単行本や「怪獣図鑑」などを買ってもらいました。その代わり「早く帰ろう」等とは言わないという約束で。(笑)

年末ではないものの、現在は全盛期を知る者には寂しい光景になっています。