去る7月12日、札幌高裁にて第4回口頭弁論が開かれました。
主な内容は、下記の通りです。
①一審原告の内、遠隔地居住者において先の控訴主旨の変更に伴い、請求原因事実を補充する準備書面を提出した。
②近郊居住の一審原告が、能登半島地震の発生を踏まえた避難計画に関する準備書面を提出予定であることを通告した。
③一審被告は、海底活断層と基準地震動に関する主張に反論する準備書面を提出した。
④一審原告(小寺卓矢さん)による意見陳述。
次回の審理は、2024年11月15日午後2時30分からです。大勢の方の傍聴をお願いいたします。
尚、詳細は、こちらの「廃炉ニュース49号」をご覧下さい。
意見陳述 控訴人 小寺卓矢
自己紹介
原告の小寺卓矢と申します。
私は、大学で遺伝子工学を含む生物科学を専攻し、その後、自然写頁家ならびに自然写頁絵作家として活動してきました。
その中で特に力をいれたのは、子どもたちに自然や生命の尊さを伝えることです。これまで、著作の読み聞かせなどを通じ、全国各地の子どもたちと交流を重ねてきました。
そのような者として今日は「子どもたちへの責任」という観点から意見を申し述べます。
原発事業の「無責任」
まず、2011年のあの東電福島第一原発の事故から今日まで、私が日々ますます確信を強めいる思いを申し上げます。それは、原発事業がなんと「無責任な営み」であるかということです。
システムの暴走を封じ込める決定的な歯止めが無い。漏れ出た毒性物質の拡散を食い止める確実な手段も無い。そこにあるのは「暴走するはずがない、漏れ出るはずがない」という希望的観測ばかり。工学技術への過信と「備えの甘さ」が最悪の形で露呈したのびあの事故でした。
それ以降も備えの甘さと場当たり的な対応は続きます。例えば、事故原子炉の廃炉ロードマップはどうでしょう。あの致死的なデブリがせめて「取り扱い可能な状態」になるのは一体いつですか。すでに環境中に降下してしまった放射性物質も、あれらは、いつ無毒化されますか。汚された森、野原、湖、海に対する「原状回復責任」はいつ果たされるのでしょう。北雷の皆さん、もし仮に皆さんが当事者なら、皆さんはその責任を果たすことができそうですか?
忘れてはならないことがあります。そうした場当たり対応で手をこまねいている間、被災した方々の暮らしはずっと「奪われた」ままです。
今から3年前、私は仕事の一環で、浪江町の帰還困難区域を訪ね、一時帰宅申の被災者から直接お話を伺ったことがあります。
長らく放置されたままの,、し目宅。雑草と雑木に覆い尽くされた先祖伝来の農地。ネズミの糞にまみれた台所、獣に踏み荒らされた子ども部屋、そこにあの日以来置かれたままの赤いランドセル。
そんな風景を前に、被災10年経ってもなお「悔しい」とこぼすその方の表情を、私はいまも思い出します。
しかし、その苦悩の元凶たる毒物を環境中に撒き散らした事業者は、ある事例において「それは無主物だ」と主張し、対応責任を放り出す。また、昨年、漁業者との約束をあっさり反故にした上で、実証的な検証もなく断行された、文字通り前代未聞の「炉心に触れた水の公海への積極投棄」。これもまた、場当たり対応の末の責任放棄の積み重ねに他なりません。
そもそも「数万年に渡るケアが必要な危険ゴミが生じる」という事実が数十年もの昔から想定されていたのに、それをどこで処分するかさえ、21世紀もすでに1/4を経ようかという今になっても一向に定まらない。それどころか「再稼働してゴミを増やします。あとの監視は、後世の皆さんでどうぞよろしく」と、わざわざ厄介の度合いを増しながら、まだこの世に存在もしていない他人にツケを先送りする。道理が通らないにも程があります。
原発をめぐるなんと多くのことが理不尽、不合理なのでしょうか。そうした状態や構造を「無責任」と言わず、ほかに何と表現ができるでしょう。科学論や技術論、経済合理性を云々する以前の、なんと深刻な責任感の欠如、責任倫理の欠如でしょう。
子どもたちの幸せ
最初に述べたように、私はこれまで、写真絵本作家というなりわいを通じ、たくさんの子どもたちと交流してきました。その中で強く確信に至ったことがあります。それは「子どもたちは、生き物の本性として、自分自身の〈生〉をより幸せなものにしたいと願っている。そして、社会や他者との関係において出来る限り正しくかつ誠実であろうとしている」ということです.その傾向は、どうやらより幼い子らほど顕著であるような気がします。蛇足を加えるなら、我々がいまこうして裁判所に集っていること自体が、実はその延長線上のことなのだと私は思っています。
その上で、私は一入の大入として、こう肝に銘じまず。「どの子も理不尽な抑圧に邪魔されず、それぞれに備わった生命の力在存分にまっとうできるようにしてあげること。それは、ヒトが社会的動物である限り、人類史を貫いて果たし続けなければならない責務である。そしてそれは、ヰ子どもたちの誠実さに見合うだけの誠実さを持って4果たされなければならない」という思いです。
しかし、2011年の春以降、私たち大人は彼らに対し何をしてきたでしょう。心安らげる場所から引き剥がし、異常事態にも物言わず順応することを強要し、その一方で「想定外」をいい訳にしながら先に述べたような深刻な理不尽、不誠実をこれでもかと見せつけてきました。また、彼らの心と体に、簡単には拭い去ることのでぎない健康不安をも植え付けました。その中には、言葉にするのも苦しいのですが、将来の生殖や遺伝に関する懸念も含まれていることでしょう。
あの事故の後、テレビで観たある映像の印象が、いまも私の頭にこびりついています。被災地域の10代から20代と思しき男女が、放射能汚染について問う力メラに向かって、目廟した□ぷりで次のようなことを言っていました。
「もういいよ。どうせわたしたち「モルモットだから」。もしかしたら、彼らが口にしたのは「モルモット」ではなく「実験台」という言葉だったかもしれません。いずれにせよ、私たち社会は、この言葉と態度にどう向き合うべきでしよう。
私自身、現在20代と10代の二入の娘の父親です。入の親として、私は、今からでも「ボロボロにされた彼らの〈生命の尊厳〉」を原状回復させてあげたいと思います。でも、どうすればそれが可能なのか、私には分かりません。「しんどいことはもう忘れ、ただ前を向いて生きろ」と愚にもつかない気休めを言い続ける以外ないのでしょうか。
もう責任の取りようが無いではないですか。
だから、せめて私は、今後もう二度と、この北海道においても、子どもたちが決してそんな気持ち在抱かずに済むよう、彼らの暮らしの中から不条理な抑圧の芽を取り除いてゆきたいと思うのです。すなわち、無責任と倫理欠如に依って立つ原発事業を速やかに終わらせる。私は、それこそが、何らのいい訳も、みっともない場当たり対応も無しに、私たちが子どもたちのために「いまここで」遂行できる「責任ある営み」の第一歩だと信じます。
写真家として20年以上自然と向き合ってきて、私は今つくづく実感します。自然の営みは人間の想定通りになどなりません。私たち大入務めは、そうした入智を超えた目然への「畏れの気持ち」を、子どもたちの中で、いま命あることの「奇跡」に対する驚きや感謝へと昇華させてあげることです。決して、目然を呪い、人類の無力に絶望させることではありません。
裁判官の皆さま。どうぞ、何世代先の子どもたちに対しても「ほら、私たち大人はこの時こう決めたんだよ」と胸を張って示し続けることのできる、賢明なご判断をなさって下さい。切にお願いいたします。意見は以上です。