☆12月の神戸ミーティングでご報告をいただいた関西学院大学三田キャンパスでのイベント。お二人の勇気ある当事者の方がキャンパスでポスタープレゼンテ―ションを行われたとのことでした。通行人から集まった40枚のコメントも見せていただきましたが、みなさんがこのプレゼンで“気づく機会”を得られたことがよくわかりました。お二人の勇気を称えるものもありました。素晴らしい活動だと思いました。
話は変わりますが、去る1月19日(木)の朝日新聞2面の「ひと」欄 “同性婚を公表する大阪・神戸アメリカ総領事パトリック・J・リネハンさん(58)” の記事、みなさんは読まれたでしょうか。彼が公務員となった1984年当時はゲイを公言すれば職場を追われたが、クリントン政権下の95年ごろから政府内でも権利が認められ始めたと。昨年9月の赴任時、日本はパートナーのエマーソン・カネグスケさんに「外交官の配偶者」としてビザを出し、今では夫人同伴を請う招待状の多くも彼の名前になっているそうです。「『最初は戸惑う人でもすぐに受け入れてくれる』と日本社会の過ごしやすさを語り、最後には『自分らしく、隠さずに生きる。それがひいては人権全般の向上につながる』と信じる」とありました。お二人にとって日本が過ごしやすい・・という一方で、米国ほど権利の認められていない日本の当事者からは「励みになる」とエールが届いているそうです。
下記は関学で勇気あるプレゼンをされた方からのご報告と、当日配布されたレジュメに掲載されお二人の当事者の方とお一人のアライさんの「声」です。(実名はイニシャルに変えさせていただきました)みなさんの行動からも「励み」をいただきました。この声がどうか社会に広がっていきますように!!
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2011.11.25(土)に、関西学院大学三田キャンパスで行われたリサーチフェア(研究発表会)で発表を行いました。
ポスタープレゼンテーションという形式で、セクシュアルマイノリティについてのポスターを掲示して通行人に対してプレゼンテーションを行いました。
タイトルは「実はあなたもまいのりてぃ??VOL.2~関西学院のセクシュアルマイノリティが本音をつぶやいてみtter~」
内容は、関学のセクシュアルマイノリティの学生・卒業生から、普段言えない本音のメッセージを集め、聴き手の人たちにセクシュアルマイノリティが身近な存在であることを伝えるというものです。
ポスターは、5人の在学生・卒業生から集めたメッセージに、本人のセクシュアリティと学部と学年を添えて掲示しました。
発表の合間に聴き手の人から付箋にコメントを書いてもらい、貼ってもらいました。
最終的に付箋が40枚ほど集まり、用意した100枚のレジュメも全て受け取ってもらうことができました。
聴き手の方からは、「身近にいるということを知って、自分のいままでの言動を振り返った」といった声を聞くことができました。
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~ほんとのこと。~
私は現に大学3年生まで自分のセクシュアリティについて話すことができなかった。でもその中で友だちも冗談で「おかま」とか「れず」といった言葉を使っているのを何度も聞いてきた。一緒に笑っていることもあった。いくら仲のいい友達でも自分が本当の話をしたら友達ではいられないのではないかと、怖くて本当のことが言えなかった。誰かとつながる必要もないと思った。
でも3回生のときに社会で自立して生きていかなければならないということを考えて、いままで諦めてきたけど、仲のいい友達に自分のことを知ってほしいと思った。
初めて関学のゲイサークルに行くまで、セクシュアルマイノリティの人に会ったことがなかった。大学にいるような普通のひとたちばかりだったけど、外の世界では自分のことを隠したり、恋愛に興味がないと言ったりしていた。
パートナーが出来て自分らしく生きることに自信が持てるようになって、同じように自分を隠して生きている関学のひとたちにも幸せになることを諦めてほしくないと思った。
ただセクシュアリティが違うだけで、それは単なる個性だと思う。
伝えたことで、自分に嘘をつかないことで、今まで生きてきた20年より伝えたあとの1年のほうがよっぽど幸せに思えた。ヒロはヒロでいいと思うって言ってくれた。
それまで自分が何者かわからなかったし、パートナーがほしいけど、そう思っていいか確信が持てなかった。自分の中に「自分らしさ」を否定する気持ちがあった。
自分らしさを伝えたら、受け入れてくれて、認めてくれた人がいて、それで初めて自分をちゃんと肯定できるようになった。今は、心から幸せだと思っている。
でも、まだまだ私のような30人に1人の仲間たちが、こんな風に顔も名前も出せない思いを抱えて生きている現実がある。
この関学からそんな空気を変えていきたい。
自分らしくいることを、応援できる場になってほしい。
H.Y
大学4回生のとき、Yさんと同じように、「実はあなたもマイノリティ?」というタイトルでここでポスタープレゼンをやりました。
私は当事者の人に会ったことがなくて、研究のテーマでもあり、必死でインタビューやアンケートを取った。
だけどそこに出てくるのはお互いの『誤解・無理解』という壁。
私がここでプレゼンをしているのに「ホモ・・?」と言いながら通り過ぎる学生もいた。
その後、卒業してからセクシュアルマイノリティの人と接するうちに「本当の自分らしさ」というものを考えることが出来るようになった。
それまでいかに自分が「女性」であり「女性らしく」ということばにとらわれて生きてきたか分かった。
セクシュアルマイノリティのひと、ではなくて、そこで出会った人たちがみんな「友人」になった時、そこにはなんの違いもない、同じように人生を楽しむ権利があるのに、居ないものとされているということに気づいた。
「ふつう」と思っている異性愛の社会が「ふつう」ではないように思えた。
「自分らしく生きたい」そう思っていたら、自分も彼氏が元は女性の体だとカミングアウトされたらどうだろう、自分の好きになる人が女性になることはないのか、考えるようになった。
私はセクシュアルマイノリティという生き方を選択しました。
いま自分らしく生きることを模索するエネルギッシュな仲間たちと、それをサポートしてくれる友人や家族がいて、本当に幸せです。
W.K
~LGBTと社会をつなぐ未来に向けて~
私がLGBTと繋がったのはかれこれ6年前でした。友人からカミングアウトを受け、パレードや様々なコミュニティと関わりあっていく中で、ALLY(LGBTフレンドリーな人)という言葉を知りました。ユニークアーティクルジャパンに入社し、LGBTと社会を繋ぐ架け橋になるべくALLY企業として活動できることも大変うれしく思っています。
ただALLY称号(?)をもらえて嬉しいのですが、人と人が互いに向き合った時果たしてセクシュアルのカテゴリーなんて必要でしょうか?
「友人がレズビアンだから」何かが変わった事はありません。
今は友人のパートナー、友人と友人の繋がりが広がっていく事に幸せを感じています。
社会とのずれを感じる時もあります。特に「カミングアウトしづらい」という声を聞いた時です。その言葉を聞くたびに、悲しくもあり社会自体をALLYにしなければと強く思うのです。その為には一人ひとりが互いに知ることから始め、認め合っていくことが大切なのではないでしょうか?
一番の目的はみんなが日々楽しめる事。
そうすれば必ず明るく活気溢れる日本の未来が待っていると私は確信しています。
ユニークアーティクルジャパン+イラストレーター&グラフィックデザイナー
N.F