2023年10月2日(月)名古屋ミーティング シビックコア棟
トランスジェンダー当事者 1名
トランスジェンダーの子を持つ親 2名
Xジェンダー当事者 1名
同性愛当事者 1名 計 5名
今回のミーティングは、少ない人数でしたが様々な話題についてじっくりと話し合うことができました。
〈ヘイトについて〉
言っていくこと、活動していくことで批判やヘイトが表れてくる。個人攻撃もある。日本は言ったら叩かれるという文化がある。それによってこれから言わなくなるのか、いや、やっぱり言っていかないといけないと思った。
〈親との関係について〉
性転換手術前は親とすごくもめていた。自分はタイに行って終わらせたかった。大学の先生にも、技術は高いし行けるならとすすめてもらった。母は自分がいないと何もできないと思っていたようで、意見が対立していた。途中から、自分は自分でやるということで、予約も自分でとって、タイに行ってからも1人でやるからと伝えた。手術も終え、今はお互いふっきれた。最近は、悩みとかも言えるようになった。前よりはもめることは減った。
〈手術の際利用するアテンドについて〉
アテンドはソフィアを利用した。何件か自分で問い合わせて決めた。LINEやメールで予約で終わらせるのが多いけど、ソフィアさんはわからなかったら電話でいつでも聞けるという感じだった。
〈手術の際の付き添いについて〉
病院の後に行くホテルでは、いろんな国の人がいた。誰か家族や付き添いがいた方が楽。うちは母の病気等で難しかった。痛い時に話しかけられたくないというのもあるけど、誰かいた方が部屋内は楽だと思う。
〈タイでの手術について(現地についてからの動き)〉
・飛行機内でタイの人と仲良くなって飛行機降りてから一緒に行ってくれた。みんなフレンドリー。アテンドさんからもらう説明書もあるけど、日本とは比べ物にならないくらい大きいから分からない。意外とやってみたらできた。空港を出てタクシーで病院に行ってアテンドさんに会う。タクシーの運転手が看板をもって立ってくれている。行く時に降りて集合するスタバを探すのがちょっと大変だった。携帯会社やシムカードの販売の屋台、建物がすごく並んでいたから。電波上の問題か、人が多すぎるからかマップが昨機能しない。分からなかったら電話をかければ大丈夫。初日は時差もあるので寝るだけ。
・次の日はまず検査から。健康上問題がないか調べる。基本的に診断書は2通必要で、英文の診断書がいる場合もある。自分の場合は1年くらい通って診断書が出た。いろんな検査や面談がある。自認がしっかりしていれば、基本的には診断は下りると思う。FTMの方は検査が内容が1つ増える。手術方法を決める検査もする。
・3日目に手術。早朝7時から手術開始。終わってからは寝たきりになる。病室では1週間ぐらい寝たきりの状態。痛い時にナースを呼んで痛み止め流してもらったり、ずっと寝たきりでかゆくなったら、薬をぬってくれたりする。アテンドさんからもらったしおりに、これを言ったらナースさんに分かってもらえるということが書いてあるのでそれを見ながらコミュニケーションをとる。食事は、和食もある。病院が出してもらうのは朝だけ。のどが1番痛かった。基本的にはまわりで買う。最初はナースさんが食べさせてくれる。歩けるようになるのは1~2週間してから。
〈声について〉
・今、声で悩んでいる子も多い。コンプレックスがある。だから、声を出さずにうなずくなどで意思表示する。それぐらい嫌悪感が強い。でも、その子は紙で手を切ってもこわい子。絆創膏を見るだけでこわいそう。
→自分の悩みとこわさを天秤にかけたときに、こわさすら悩みの方が勝った時に手術すればいいと思う。本当にこわいならやらなくてもいいし。自分は喉ぼとけ切ったけど、声は変わらない。とにかく発声練習をした。悩んでいた頃に、1年ぐらいしたら出るようになった。他の部分はお金あればなんとかなるし、FTMの人ならホルモンで声が変わるけど。逆の場合だと声自体が高くなることはないし。
〈手術をするかしないかの判断について〉
・自分は手術したことを後悔していない。絶対に後悔しないという人なら、手術していいと思う。
・ある方は、10年前に性転換した。その時は、後悔しないと思っていた。その時1回戸籍変更して、してみたら、違うと思うようになったそう。やってみないとわからなかったこと。
・恋愛感情によって、手術して戸籍変えないとと思う場合は、待った方がいいと思う。
〈自認等の変化について〉
・うちの子は、子宮卵巣摘出が20歳にならないとできなかった。子宮卵巣は、相手から見えるものではないから落ち着いてしまった。子宮が見えるなら取りたいと言っていた。今の体で落ち着いて6年経っている。恋愛対象はずっと女性だったけど、人を見るようになって、男性のことも魅力的だと思うと言うようになった。好きになった人に合わせて手術をして戸籍を変えたいと18歳の時には言っていた。今は、自認もどっちでもいいと言っているほど。変わってきた。胸を取る時には、絶対変わらないと言っていたし、「本当に大丈夫やね」と念押しした。でも今こんな風に変わってきている。だから変わるものというのを前提に話さないといけないと思う。
〈手術後について〉
手術が終わった後に、そんなにまわりは自分のことを見てないなという感覚をもった。友だちに言っても「あっそうなんだ」と言うことが多い。当事者の方、いろんな人に、手術前に「あまり変わらないよ」と。でもその時は、その感覚がなかった。でもやってみたらそうだった。やってみないと分からない。
〈カミングアウトについて〉
・性別のこと言えずに抱えてるのはつらい。自分も中学時代に1回母親に言っていて、母に、「自分そうかもしれない」と言った。でも1番最初に、「そんなん気持ち悪いから」と言われて、それがつらかった。1年ぐらい経って、再度言ったら、病院に連れてってくれることになった。名古屋の精神科に行った。でも、すこく否定的、差別的なことを言われた。「自分がそう思ってる人はそんな恰好しない」など。家帰ってずっと泣いていた。その後5年間は何も言わずにいた。車の免許取得のための合宿で、男子寮だったのがすごくつらかったのと、1人になって家族といなくて考え事をしてしまって、電話で母に相談した。そこで自分の気持ちをやっと言えたという感じだった。その後、岡山大学に行った。中学の時に解決していたらもっと楽だったかなと思うけど、それも経験かなと思う。「そうなんだ」と聞き流してくれたり、「自由にすれば」と言ってくれる、それでいいと思う。
・否定的なことを言ってしまう親は、社会から言わされてしまっていると思う。社会のあたり前を守ろうとして。「着たい服着たらいいやん」という社会にしないといけない。がんばって生きていてくれたなと思う。
〈不登校経験について〉
・中学校は1日も行ってない。高校は1年しか行ってない。友だちを作るのが1番難しい。小学校時代から高校卒業までいじめ続けられた。小学校時代は石を投げつけられたり。高校時代も自分が1年生の時にがんばってみようと思って、クラスの代表などやった時期があって。その時期にも、すごくぼろくそに言われて。中学校時代の時を知ってる子たちからいじめ受けた。何か言うたびにバカにされて。「昔あんなんだったじゃないか」と。あまり気にしなかった。ネット上の友だちがけっこういたから。対処してくれた先生もいたけど、そういう先生に限ってけがやうつ病でやめてしまっていた。カウンセラーに相談しても自分たちでどうにかするように言われることもあった。
・いじめてきた子が18人。部活の子やクラスの子たち。いじめてくる子たちが謝りたいと言っているから来てと言われて学校に行ったのに、こちらが謝らせられた。
・クラスのいじめてきた子と昔は仲がよかった。中学に入ってまわりの子があれていて、その子たちと仲よくなっていって、自分がいじめの標的になった。
・高校の時はセクシャリティが理由でのいじめだった。仲のいいのが女の子が多かった。休み時間も女の子といて、グループ組むときとかも女の子だった。それを担任から「近づくのを極力やめてくれ」と言われた。理由を聞くと、「そんなんわかるやろ」と言われた。気にせず過ごしていたら何回も何回も言われて。その後、他のクラスの子たちにじゃまをされるようになった。後から、担任の指示だったことが分かった。担任が「あいつどうにかしてくれ」と他の子たちに頼んだそう。その子たちからいじめられるようになって。1回つらくて放心状態になって。何が起こってるのだろう。何もしてないのにと。
〈親の気持ち〉
・当時、子どもが起立性になって学校に行けなかったのが1番つらかった。「今日は行って」「今日は行って」と泣いていた。いじめも受けているけど起立性もある。とにかく遅れをとったらだめだと思って、学校にも相談に行ってでも全然力にもなってくれなくて、遅れたからと協力してくれることもなく。それを中学校のときずっと見続けてきたのはきつかった。高校も行けなくて廃人になっていくように感じた。
・なんでうちの子だけがと思っていた。子どもが学校に行けてない間に私が学校に行って、カウンセリングにもいって。今も働いてないし学校に行っているわけでもない。お子さんが働いているのがうらやましい。
・実家を出ている子どもは、「心配せんでいいよ」と言うから心配していない。その子に心配しているそぶりは見せない。「お母さんはこっちで好きなことやるでそっちでやり」という感じ。だめだったらいつでも帰っておいでと言っている。ぎりぎりまで帰ってこないと思う。
〈学校でのことについて〉
・うちの子は、高校の英語の先生で、「Miss○○」「Miss○○って言ってくる先生がいて、それが嫌だった。そしたら、まわりの子も一緒になって嫌いになってくれて。先生に対して、「それまちがっとるよ」とまわりの子たちが言ってくれた。こちらの働きかけもあって、ジェンダーの講演などを学校全体でしてもらったら、卒業式にその先生がうちの子に謝ってきた。
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