LGBTの家族と友人をつなぐ会ブログ

レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの家族や友人による会のブログです。

10月東京ミーティング「Sexualityは揺れる」報告

2023年10月31日 | Weblog

 10月15日(日)、今回は都内西部に移り、講演形式の交流会となり、「Sexualityは揺らぐ」をテーマに、当事者の会員さんと親御さんにライフヒストリーをお話しいただきました。

 Sさんは、子どもの頃より、無論無意識なのですが、割り当てられた性別に即する言動をしない子どもだったらしく、周囲の人々から訝しげに見られていたようです。ご本人も自身を「中性なのかな?」と思っていたとのこと。女の子だとは思わないまでも、周りの男の子の振る舞いが荒々しく乱暴なのが嫌だったそうです。けれども枠に嵌っていないと安心できないところもあり、なんとなく周りに合わせながら過ごしていたのでいじめられることはなかった。先生からはもっと男らしくしろと言われたりして、居心地悪いまま高校を卒業。その後、縁があって渡米したところ、アメリカではセクシュアルマイノリティが日本ほどクローズではなく、自由に自分のままで暮らすことができるので楽だった。自身の生き方を探求することに熱心な年頃でもあり、ボランティアに勤しんでいたそうです。当地ではゲイコミュニティに入ってみたりもしたが、何か違う感じで、男性と付き合うと優しくしてもらいたい自分はもしかしたら女の子なのかも?と思ったり。その後十数年セクシュアリティが定まらないまま今に至るそうです。

 この話の後、FTMからXジェンダーにセクシュアリティが揺れ動いた子どもを持つ親御さんの話がありました。社会人男性として10年近く過ごした後のカミングアウトで、そんなことがありうるのか?と驚いたが、ジェンダーの専門家に尋ねると、社会体験を重ねるうち、様々な人との出会いを通してセクシュアリティが揺れたり変わったりする人もいるそうで、欧米では「gender fluid」の呼称で知られているとのこと。十年近い男性化の後の変貌は親でもたじろぐほどだったが、理解のない他人からの視線は容赦ないだろうと思い至り、以降LGBTQ+支援に本腰を入れるようになった。

 質疑応答では、周囲の人への思いを尋ねられ、Sさんは、セクシュアリティがどうであれ、相手をあるがまま受け止めてほしい、と。親御さんも、社会には男と女しかいないのではなく、セクシュアリティは千差万別であるし、揺れ動く人もいることを念頭に置いて、固定観念で人の性別を決めつけないでほしい、と言われました。

 男女二元論が当たり前だと思われている世の中で、セクシュアリティが揺れる人の話を聴くことは稀です。けれども、若者の間でXジェンダーやQ(クィア)、ノンバイナリーを名乗る人は確実に増えてきています。参加者の感想にも、「初めて聞く話だった」「実際に体験されてきた方の話を肉声で聴けて貴重な時間」「親が子どもの変容にショックを受けながらも、あらためて子どもを受け入れる心情に至った経緯を聴けてよかった」等々。実際の体験談は、聴く人の心に響きます。

 性の多様性とは、バラエティーに富んだ彩であると言えるのではないでしょうか。セクシュアリティが男女二色ではなく人の数だけあるということを、これからもさらに伝えていきたいと思いました。                                M

                         


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10月亀山(三重県)ミーティング報告

2023年10月25日 | Weblog

2023年10月22日(土)亀山ミーティング ひのめ(和室)

 

トランスジェンダーの子を持つ親 2名

Xジェンダー当事者 2名

アライ 2名              計 6名

 

今回のミーティングは、新しい参加者も交えて、様々な話題がありました。

 

〈カミングアウト・カミングアウトを受けて〉

・子どもからカミングアウトされて、自分が悪いと思った。子どもも自分が悪いと思っていた。お互い悪いことをしていると思っていた。申し訳ないと思っていた。

・申し訳ないという思いなどから、親に言えない子も多い。

・ありのままでいいという思いが自分の中にないから、親に対して申し訳ないと思ってしまうのだと思う。

・自分は親にカミングアウトをしていない。ここまで育ててくれて、でも「みんなと同じように育たなくてごめん」という気持ちはある。「親のたどってきた結婚とか出産とかができなくてごめん」という気持ちも。でも、「全然間違って育ってないよ」というのは、もしカミングアウトするなら伝えようと思う。

・ごめんなんて思う必要ないよ。

 

〈冠婚葬祭や就職について〉

・冠婚葬祭はすごく困る。(男性と女性で着る服が決められているから。)

・就職は、(自認は女性ではないが、)女性で雇ってもらうと決めて就職活動をした。スカートは履きたくなかったから、リクルートスーツのパンツを履いて、ヒールが低めの靴にした。

・うちの子は最近面接をたくさん受けている。自認の性として就職活動している。「それで落とされたらそれでいい、女性として雇われるのは絶対嫌。」と言っている。

 

〈世間の偏見・決めつけに対して〉

・大人とか、経験がある人はうまくかわせる。でも、大砲のように全部受け止めてしまう人もいる。

・自尊感情が大きいと思う。生まれて生きてくる中で、自尊感情を低められてきた。その土台がなければ、受け止めてしまうし、落ち込むし、とらわれると思う。自分もかつてはそうだった。この(アライで一緒に参加した)人と出会わなければ、ずっと自尊感情は低いままだった。この人にすべてをさらけだせて受け止めてもらって、本当の自分を生きられるようになってやっと。

・この人(当事者)は、以前は、歩くたびに落ち込んで、気にしてとらわれていた。その辺のお店とかで、「お姉さん」とか「お嬢さん」と言われるだけで。

・(トランス女性で)スカートを履いているのに、「息子さんはあちらです」と言われた親子もいる。なんでだろうと思う。「その時『娘です』と言えない自分も悪かった。」と親御さんは言っていたけど。世の中の女性像というのが強くある。

・うちの子どもそれはある。男性自認で戸籍は女性。静岡の家庭裁判所で、手術なしで男性戸籍を勝ち取った人がいる。私は「よし!」と思って、子どもに言ったら、「手術なしで戸籍を変えられたとしても、子宮は絶対に取る」と言った。嫌悪感しかないよう。男性として子宮があるというのが許せないらしい。それも、性別にとらわれているということなのだろうか。

 

〈「縁を切る」という反応〉

・親に対して「恨みしかない」「呪ってやる」「復讐する」と言う子もいる。最近は、親から縁を切った話より、子どもから縁を切られたという方が多い。

・小さい頃から男の子、女の子という中で過ごしている。その頃からずっと足されていく。その自分でいいのに、まわりも決めつけて見るし、自分もそう思い込まされて生きるから苦しむ。そこを変えていくしかないけど、何十年何百年そうやって生きてきているから難しさもある。多様性、多様性と言いながら頭がガチッと固まってしまっている。それをどれだけ壊せるか。

・世の中がこのLGBTQのことを知ったのはこの何年間だと思う。一気に変わるのではないから。地道に変えていくしかない。

 

〈パートナーシップ宣誓制度について〉

・パートナーシップ制度については、三重県のパートナーシップ制度があるから各市町は別にしないでもいいのではという意見もある。でも、その市町に永住してもらうためにも必要だと思う。

・同性パートナーに対して、市の扶養手当、慶弔を付与してほしい。そうしないと誰も働きたいと思わない。県の職員には付与されているけど、市の職員には付与されていない。市で付与されているのは、伊賀市だけ。

 

〈出会いについて〉

・1番はじめに子どもからカミングアウト受けた時に、今の時代ネットを見たら何か出てくるかと思って、調べた。そこで出てきたのがつなぐ会だった。書いてある電話番号に電話して出たのが浦狩さん(つなぐ会理事)だった。そこからのお付き合い。

 

次回12月17日(日)ひのめにて


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10月名古屋ミーティング報告

2023年10月12日 | Weblog

2023年10月2日(月)名古屋ミーティング シビックコア棟

 

トランスジェンダー当事者 1名

トランスジェンダーの子を持つ親 2名

Xジェンダー当事者 1名

同性愛当事者 1名       計 5名

 

今回のミーティングは、少ない人数でしたが様々な話題についてじっくりと話し合うことができました。

 

〈ヘイトについて〉

言っていくこと、活動していくことで批判やヘイトが表れてくる。個人攻撃もある。日本は言ったら叩かれるという文化がある。それによってこれから言わなくなるのか、いや、やっぱり言っていかないといけないと思った。

 

〈親との関係について〉

性転換手術前は親とすごくもめていた。自分はタイに行って終わらせたかった。大学の先生にも、技術は高いし行けるならとすすめてもらった。母は自分がいないと何もできないと思っていたようで、意見が対立していた。途中から、自分は自分でやるということで、予約も自分でとって、タイに行ってからも1人でやるからと伝えた。手術も終え、今はお互いふっきれた。最近は、悩みとかも言えるようになった。前よりはもめることは減った。

 

〈手術の際利用するアテンドについて〉

アテンドはソフィアを利用した。何件か自分で問い合わせて決めた。LINEやメールで予約で終わらせるのが多いけど、ソフィアさんはわからなかったら電話でいつでも聞けるという感じだった。

 

〈手術の際の付き添いについて〉

病院の後に行くホテルでは、いろんな国の人がいた。誰か家族や付き添いがいた方が楽。うちは母の病気等で難しかった。痛い時に話しかけられたくないというのもあるけど、誰かいた方が部屋内は楽だと思う。

 

〈タイでの手術について(現地についてからの動き)〉

・飛行機内でタイの人と仲良くなって飛行機降りてから一緒に行ってくれた。みんなフレンドリー。アテンドさんからもらう説明書もあるけど、日本とは比べ物にならないくらい大きいから分からない。意外とやってみたらできた。空港を出てタクシーで病院に行ってアテンドさんに会う。タクシーの運転手が看板をもって立ってくれている。行く時に降りて集合するスタバを探すのがちょっと大変だった。携帯会社やシムカードの販売の屋台、建物がすごく並んでいたから。電波上の問題か、人が多すぎるからかマップが昨機能しない。分からなかったら電話をかければ大丈夫。初日は時差もあるので寝るだけ。

・次の日はまず検査から。健康上問題がないか調べる。基本的に診断書は2通必要で、英文の診断書がいる場合もある。自分の場合は1年くらい通って診断書が出た。いろんな検査や面談がある。自認がしっかりしていれば、基本的には診断は下りると思う。FTMの方は検査が内容が1つ増える。手術方法を決める検査もする。

・3日目に手術。早朝7時から手術開始。終わってからは寝たきりになる。病室では1週間ぐらい寝たきりの状態。痛い時にナースを呼んで痛み止め流してもらったり、ずっと寝たきりでかゆくなったら、薬をぬってくれたりする。アテンドさんからもらったしおりに、これを言ったらナースさんに分かってもらえるということが書いてあるのでそれを見ながらコミュニケーションをとる。食事は、和食もある。病院が出してもらうのは朝だけ。のどが1番痛かった。基本的にはまわりで買う。最初はナースさんが食べさせてくれる。歩けるようになるのは1~2週間してから。

 

〈声について〉

・今、声で悩んでいる子も多い。コンプレックスがある。だから、声を出さずにうなずくなどで意思表示する。それぐらい嫌悪感が強い。でも、その子は紙で手を切ってもこわい子。絆創膏を見るだけでこわいそう。

→自分の悩みとこわさを天秤にかけたときに、こわさすら悩みの方が勝った時に手術すればいいと思う。本当にこわいならやらなくてもいいし。自分は喉ぼとけ切ったけど、声は変わらない。とにかく発声練習をした。悩んでいた頃に、1年ぐらいしたら出るようになった。他の部分はお金あればなんとかなるし、FTMの人ならホルモンで声が変わるけど。逆の場合だと声自体が高くなることはないし。

 

〈手術をするかしないかの判断について〉

・自分は手術したことを後悔していない。絶対に後悔しないという人なら、手術していいと思う。

・ある方は、10年前に性転換した。その時は、後悔しないと思っていた。その時1回戸籍変更して、してみたら、違うと思うようになったそう。やってみないとわからなかったこと。

・恋愛感情によって、手術して戸籍変えないとと思う場合は、待った方がいいと思う。

 

〈自認等の変化について〉

・うちの子は、子宮卵巣摘出が20歳にならないとできなかった。子宮卵巣は、相手から見えるものではないから落ち着いてしまった。子宮が見えるなら取りたいと言っていた。今の体で落ち着いて6年経っている。恋愛対象はずっと女性だったけど、人を見るようになって、男性のことも魅力的だと思うと言うようになった。好きになった人に合わせて手術をして戸籍を変えたいと18歳の時には言っていた。今は、自認もどっちでもいいと言っているほど。変わってきた。胸を取る時には、絶対変わらないと言っていたし、「本当に大丈夫やね」と念押しした。でも今こんな風に変わってきている。だから変わるものというのを前提に話さないといけないと思う。

 

〈手術後について〉

手術が終わった後に、そんなにまわりは自分のことを見てないなという感覚をもった。友だちに言っても「あっそうなんだ」と言うことが多い。当事者の方、いろんな人に、手術前に「あまり変わらないよ」と。でもその時は、その感覚がなかった。でもやってみたらそうだった。やってみないと分からない。

 

〈カミングアウトについて〉

・性別のこと言えずに抱えてるのはつらい。自分も中学時代に1回母親に言っていて、母に、「自分そうかもしれない」と言った。でも1番最初に、「そんなん気持ち悪いから」と言われて、それがつらかった。1年ぐらい経って、再度言ったら、病院に連れてってくれることになった。名古屋の精神科に行った。でも、すこく否定的、差別的なことを言われた。「自分がそう思ってる人はそんな恰好しない」など。家帰ってずっと泣いていた。その後5年間は何も言わずにいた。車の免許取得のための合宿で、男子寮だったのがすごくつらかったのと、1人になって家族といなくて考え事をしてしまって、電話で母に相談した。そこで自分の気持ちをやっと言えたという感じだった。その後、岡山大学に行った。中学の時に解決していたらもっと楽だったかなと思うけど、それも経験かなと思う。「そうなんだ」と聞き流してくれたり、「自由にすれば」と言ってくれる、それでいいと思う。

・否定的なことを言ってしまう親は、社会から言わされてしまっていると思う。社会のあたり前を守ろうとして。「着たい服着たらいいやん」という社会にしないといけない。がんばって生きていてくれたなと思う。

 

〈不登校経験について〉

・中学校は1日も行ってない。高校は1年しか行ってない。友だちを作るのが1番難しい。小学校時代から高校卒業までいじめ続けられた。小学校時代は石を投げつけられたり。高校時代も自分が1年生の時にがんばってみようと思って、クラスの代表などやった時期があって。その時期にも、すごくぼろくそに言われて。中学校時代の時を知ってる子たちからいじめ受けた。何か言うたびにバカにされて。「昔あんなんだったじゃないか」と。あまり気にしなかった。ネット上の友だちがけっこういたから。対処してくれた先生もいたけど、そういう先生に限ってけがやうつ病でやめてしまっていた。カウンセラーに相談しても自分たちでどうにかするように言われることもあった。

・いじめてきた子が18人。部活の子やクラスの子たち。いじめてくる子たちが謝りたいと言っているから来てと言われて学校に行ったのに、こちらが謝らせられた。

・クラスのいじめてきた子と昔は仲がよかった。中学に入ってまわりの子があれていて、その子たちと仲よくなっていって、自分がいじめの標的になった。

・高校の時はセクシャリティが理由でのいじめだった。仲のいいのが女の子が多かった。休み時間も女の子といて、グループ組むときとかも女の子だった。それを担任から「近づくのを極力やめてくれ」と言われた。理由を聞くと、「そんなんわかるやろ」と言われた。気にせず過ごしていたら何回も何回も言われて。その後、他のクラスの子たちにじゃまをされるようになった。後から、担任の指示だったことが分かった。担任が「あいつどうにかしてくれ」と他の子たちに頼んだそう。その子たちからいじめられるようになって。1回つらくて放心状態になって。何が起こってるのだろう。何もしてないのにと。

 

〈親の気持ち〉

・当時、子どもが起立性になって学校に行けなかったのが1番つらかった。「今日は行って」「今日は行って」と泣いていた。いじめも受けているけど起立性もある。とにかく遅れをとったらだめだと思って、学校にも相談に行ってでも全然力にもなってくれなくて、遅れたからと協力してくれることもなく。それを中学校のときずっと見続けてきたのはきつかった。高校も行けなくて廃人になっていくように感じた。

・なんでうちの子だけがと思っていた。子どもが学校に行けてない間に私が学校に行って、カウンセリングにもいって。今も働いてないし学校に行っているわけでもない。お子さんが働いているのがうらやましい。

・実家を出ている子どもは、「心配せんでいいよ」と言うから心配していない。その子に心配しているそぶりは見せない。「お母さんはこっちで好きなことやるでそっちでやり」という感じ。だめだったらいつでも帰っておいでと言っている。ぎりぎりまで帰ってこないと思う。

 

〈学校でのことについて〉

・うちの子は、高校の英語の先生で、「Miss○○」「Miss○○って言ってくる先生がいて、それが嫌だった。そしたら、まわりの子も一緒になって嫌いになってくれて。先生に対して、「それまちがっとるよ」とまわりの子たちが言ってくれた。こちらの働きかけもあって、ジェンダーの講演などを学校全体でしてもらったら、卒業式にその先生がうちの子に謝ってきた。

 

次回11月6日(月)


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関西レインボーフェスタ!2023にブース出展しました(大阪)

2023年10月09日 | イベント

10月の3連休の内、10月7日(土)、10月8日(日)の2日間、「関西レインボーフェスタ!2023」が大阪市北区の扇町公園にて開催されました。

当会もブース出展で両日とも参加、また2日目のパレードも参加しました。
今年は1日目は日差しが非常に強く、また風もきつく、2日目の午後から始まるパレードも昨年と同じく雨が降り出して、「雨の関西パレード」が恒例になっているなぁ~との声も聞かれました。

それでも、運営委員会より今年は2日間の来場者数が28,000人、パレード参加者数が1,500人と過去最高を記録したとの報告があり大成功のイベントとなりました。

また、つなぐ会ブースでも多くの方が見学に来られ、扇町公園に隣接する大阪北区民センターで9月より始めた大阪ミーティング「カラフルサプリなにわ」についても親近感と興味を示される方も多く、より地元に根差した「つなぐ会・大阪」の地盤作りが出来た様に感じます。

また、ブースに来られた方の中にはこの場で相談したいとの方も居られ、ブース奥で個別相談も行いました。

西日本最大の都市である大阪だからこそ、出来る事がたくさんある。

そんな事を改めて実感した2日間でした。


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