☆みなさん覚えていらっしゃるでしょうか?2008年の10月から12月まで、8回にわたってこのブログにエッセイを送ってくださった桑島健太郎さん。大変おもしろかったですし、いろいろと考えさせられました。今日から再び桑島さんのエッセイが始まります。「虹色の皆さん!」と呼びかけてくださっている桑島さんは、ゲイの方を友人にお持ちで、なおかつこの件にまつわるさまざまなご経験もお持ちです(笑)。そのことからカミングアウトのインフラ整備の必要性を訴えてやまない、心強きわれらが友人です!名刺の裏にも「LGBTの家族と友人をつなぐ会」と書いてくださり、「LGBT」という箇所に誰かから反応が来ないものかとせっせと配ってくださっている、そんな方なのです。じつは私は桑島エッセイのファンでして・・(笑)長らく心待ちにしておりました。果たして今回の展開は・・??
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虹色の皆さん!とてもとてもご無沙汰しておりました。『ラブれたーずfrom中野』というエッセイを書いたクワ犬こと桑島健太郎です。
お忘れのことと思いますのでもう一度簡単な自己紹介をしますね。
「僕は左ききではなく女性ではなくまたゲイではありません。」あれっ?何だかおかしいですか?
マイノリティの定義を仮に少数派としておきましょう。すると見えてくることがあります。多数派マジョリティが自分たちを中心優先にして設計した社会では少数派マイノリティは設計図の外側にいます。だから少数派マイノリティは自分たちを考慮もせず歓迎もしてくれないこの社会に対して「不便」「不快」「不満」「不安」「不信」を感じたり覚えたりするはずです。
ところが多数派マジョリティの側にいる例えば僕の様な人間には正直なところよく分からないのです。というのも社会が右ききや男性と女性の2つの性だけが前提で異性愛を中心優先にして設計してあり、僕はその社会にほぼ適応してぬくぬく生きて来たからです。傲慢で鈍感で無知すみません(泣)。だから「左ききではなく女性ではなくゲイではない僕」にはこの〈右ききさんたち〉社会には摩擦や抵抗それに重圧は特に無いのです。
2年前の08年5月17日のIDAHOに僕はこんなメッセージを送りました。虹色の皆さんはいかが思われますか?
「今日は〈左きき〉の人たちが〈右きき〉に直さなくても良いと言われた記念すべき日です。〈右きき〉社会で〈左きき〉は生きづらいけど〈左きき〉が自分です。
今日は〈右きき〉の人たちが〈左きき〉の世界を思ってくれたらうれしいです。」
さて今回のエッセイは僕のある野望が込められています。どうか聞いて下さい。
僕は虹色の皆さんのことを学校で生徒に特に小学生と中学生に伝えたいと常々思っているのです。正攻法に「性教育」で行くのも良いと思うのですが、「性」は〈こころ〉だけでなく〈からだ〉も扱います。〈からだ〉が出てくるとびっくりしたりこわがったりするかもしれません。そう思うのは高校生や高卒生に普段教えていて雑談や冗談でも「性」に関わるお話は難しいなと実感しているからです。またセクハラ禁止の原則の下教室の中の教師の発言が悪意がなくとも一人の生徒が不快に思い異議を申し立てれば教師は反省し注意せねばならないのも現実なのです。
そこでイソップ寓話の様に喩え話で〈左ききのセクシャリティ〉として虹色の皆さんのことを伝えたい訴えたいと考えているのです。そこで〈左ききさんたち〉としてまず左ききの人たちのお話を、次に女性もセクシャルマイノリティとして取り上げます。そして最後に虹色の皆さんに再び戻ります。
さて宿題と言うと緊張するかもしれませんが、これをお読みの右ききの方は一日だけ左ききになったらどんなに人生が変わるのか実際にやっていただくか、シュミレーションしてみて下さい(左ききの方は答えがわかっているのでお休みです)。ただ実際に試してみると結構危険な場合もある(泣)ので無理なさらない様にして下さいね。
それでは虹色の皆さんまたお会いしましょう!
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虹色の皆さん!とてもとてもご無沙汰しておりました。『ラブれたーずfrom中野』というエッセイを書いたクワ犬こと桑島健太郎です。
お忘れのことと思いますのでもう一度簡単な自己紹介をしますね。
「僕は左ききではなく女性ではなくまたゲイではありません。」あれっ?何だかおかしいですか?
マイノリティの定義を仮に少数派としておきましょう。すると見えてくることがあります。多数派マジョリティが自分たちを中心優先にして設計した社会では少数派マイノリティは設計図の外側にいます。だから少数派マイノリティは自分たちを考慮もせず歓迎もしてくれないこの社会に対して「不便」「不快」「不満」「不安」「不信」を感じたり覚えたりするはずです。
ところが多数派マジョリティの側にいる例えば僕の様な人間には正直なところよく分からないのです。というのも社会が右ききや男性と女性の2つの性だけが前提で異性愛を中心優先にして設計してあり、僕はその社会にほぼ適応してぬくぬく生きて来たからです。傲慢で鈍感で無知すみません(泣)。だから「左ききではなく女性ではなくゲイではない僕」にはこの〈右ききさんたち〉社会には摩擦や抵抗それに重圧は特に無いのです。
2年前の08年5月17日のIDAHOに僕はこんなメッセージを送りました。虹色の皆さんはいかが思われますか?
「今日は〈左きき〉の人たちが〈右きき〉に直さなくても良いと言われた記念すべき日です。〈右きき〉社会で〈左きき〉は生きづらいけど〈左きき〉が自分です。
今日は〈右きき〉の人たちが〈左きき〉の世界を思ってくれたらうれしいです。」
さて今回のエッセイは僕のある野望が込められています。どうか聞いて下さい。
僕は虹色の皆さんのことを学校で生徒に特に小学生と中学生に伝えたいと常々思っているのです。正攻法に「性教育」で行くのも良いと思うのですが、「性」は〈こころ〉だけでなく〈からだ〉も扱います。〈からだ〉が出てくるとびっくりしたりこわがったりするかもしれません。そう思うのは高校生や高卒生に普段教えていて雑談や冗談でも「性」に関わるお話は難しいなと実感しているからです。またセクハラ禁止の原則の下教室の中の教師の発言が悪意がなくとも一人の生徒が不快に思い異議を申し立てれば教師は反省し注意せねばならないのも現実なのです。
そこでイソップ寓話の様に喩え話で〈左ききのセクシャリティ〉として虹色の皆さんのことを伝えたい訴えたいと考えているのです。そこで〈左ききさんたち〉としてまず左ききの人たちのお話を、次に女性もセクシャルマイノリティとして取り上げます。そして最後に虹色の皆さんに再び戻ります。
さて宿題と言うと緊張するかもしれませんが、これをお読みの右ききの方は一日だけ左ききになったらどんなに人生が変わるのか実際にやっていただくか、シュミレーションしてみて下さい(左ききの方は答えがわかっているのでお休みです)。ただ実際に試してみると結構危険な場合もある(泣)ので無理なさらない様にして下さいね。
それでは虹色の皆さんまたお会いしましょう!