☆桑島さんのエッセイ、パート2です。
左ききの人、10%もいらっしゃるのですね・・こんな方々に不便な社会はいまだに変わらないままなんでしょうか??考えたこともありませんでした。「おばあさんに左ききがいない・・」そういえば夫の母は鉛筆などは右ですが、包丁だけ左です。右が使えるように練習した(させられたのかも?)けれど、危険なものはやはり安心できる左になったのかもしれません。「左きき」、マイノリティについて考えるにはいいテーマですね。私もさらに考えてみたいと思います。
次回はいよいよ男女平等なんですね。楽しみです!!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さてようやく友人に会えました。この友人はもちろん〈右きき〉で昨日までの自分と同じです。先ほどまでの数々の苦難を聞いてもらいたくこの友人に訴えたのですが、こうかわされてしまいました。
「だってアメリカに行ったら日本語は通じないだろう?カタコトでも英語を話すしかないじゃないか。社会のマジョリティがライト(右)語ならばマイノリティのレフト(左)語は通用しないんだよ。ライト(右)語を学んで使うしか無いよ。」
言われてみればその通りです。「郷に入れば郷に従え」この場合の「郷」は右ききです。昨日までの自分も「郷」の側つまりマジョリティで〈左きき〉の苦難などこれっぽっちも知らなかったのですから。
友人と昼食を取るべくラーメン屋に入りました。テーブル席はすべて満席で二人は「カウンター席」に向かいました。「吊革」の「不安」が脳裏をよぎりました。自分が右で友人が左だとまた友人の右手と自分の左手がぶつかることになります。そこで友人に「悪いけど右側に座ってくれる?」と事情を話してカウンター席に座ってもらいました。
「悪いけど…」自分で言っておいてちょっと疑問を持ちました。〈左きき〉は悪いのだろうか?だって〈左きき〉は生まれつきで自分で選んだわけでは無いのです。今後「吊革」や「カウンター席」ではマイノリティ少数派の〈左きき〉が遠慮して「ごめんなさい」と言い続けなければならないのでしょうか?社会に対して「不満」どころか「不信」を抱き始めました。
さて〈右きき〉の虹色の皆さんいかがでしたでしょうか?〈右きき〉であることで今までの人生そんなに得はして来なかった(泣)と〈右きき〉の僕も思うのですが、〈左きき〉の様な差別は受けて来なかったのも事実です。
〈左きき〉と〈右きき〉の比率はどの社会でもだいたい1:9だそうです。セクシャルマイノリティとほぼ同じ10%が社会に「存在」しているのです。にもかかわらずその「存在」が社会から尊重されていません。なぜでしょうか?これから虹色の皆さんと一緒に考えて行きたいと思います。
さて最後になりますが、一冊本を紹介しますね。〈左きき〉では無い僕が今回のエッセイを書けたのは渡瀬けんさん『左ききの人々』(中経文庫)があったからです。僕が紹介した話以外にも「学校」や「スポーツ」でも数々の〈左きき〉への軽視や無視があると具体例を挙げて分かりやすく説明してあります。さて次回は「左右対称」から「男女平等」に話を移します。渡瀬けんさんが気になることを書いています。自分が〈左きき〉で苦労して来たので街中で〈左きき〉の人を見ると親近感を覚えるそうです。ところがなぜか「おばあさん」で〈左きき〉の人に出会ったことがないそうです。
なぜでしょうか?次回までに考えてみて下さい。別に宿題ではありませんからご心配なく!
左ききの人、10%もいらっしゃるのですね・・こんな方々に不便な社会はいまだに変わらないままなんでしょうか??考えたこともありませんでした。「おばあさんに左ききがいない・・」そういえば夫の母は鉛筆などは右ですが、包丁だけ左です。右が使えるように練習した(させられたのかも?)けれど、危険なものはやはり安心できる左になったのかもしれません。「左きき」、マイノリティについて考えるにはいいテーマですね。私もさらに考えてみたいと思います。
次回はいよいよ男女平等なんですね。楽しみです!!
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さてようやく友人に会えました。この友人はもちろん〈右きき〉で昨日までの自分と同じです。先ほどまでの数々の苦難を聞いてもらいたくこの友人に訴えたのですが、こうかわされてしまいました。
「だってアメリカに行ったら日本語は通じないだろう?カタコトでも英語を話すしかないじゃないか。社会のマジョリティがライト(右)語ならばマイノリティのレフト(左)語は通用しないんだよ。ライト(右)語を学んで使うしか無いよ。」
言われてみればその通りです。「郷に入れば郷に従え」この場合の「郷」は右ききです。昨日までの自分も「郷」の側つまりマジョリティで〈左きき〉の苦難などこれっぽっちも知らなかったのですから。
友人と昼食を取るべくラーメン屋に入りました。テーブル席はすべて満席で二人は「カウンター席」に向かいました。「吊革」の「不安」が脳裏をよぎりました。自分が右で友人が左だとまた友人の右手と自分の左手がぶつかることになります。そこで友人に「悪いけど右側に座ってくれる?」と事情を話してカウンター席に座ってもらいました。
「悪いけど…」自分で言っておいてちょっと疑問を持ちました。〈左きき〉は悪いのだろうか?だって〈左きき〉は生まれつきで自分で選んだわけでは無いのです。今後「吊革」や「カウンター席」ではマイノリティ少数派の〈左きき〉が遠慮して「ごめんなさい」と言い続けなければならないのでしょうか?社会に対して「不満」どころか「不信」を抱き始めました。
さて〈右きき〉の虹色の皆さんいかがでしたでしょうか?〈右きき〉であることで今までの人生そんなに得はして来なかった(泣)と〈右きき〉の僕も思うのですが、〈左きき〉の様な差別は受けて来なかったのも事実です。
〈左きき〉と〈右きき〉の比率はどの社会でもだいたい1:9だそうです。セクシャルマイノリティとほぼ同じ10%が社会に「存在」しているのです。にもかかわらずその「存在」が社会から尊重されていません。なぜでしょうか?これから虹色の皆さんと一緒に考えて行きたいと思います。
さて最後になりますが、一冊本を紹介しますね。〈左きき〉では無い僕が今回のエッセイを書けたのは渡瀬けんさん『左ききの人々』(中経文庫)があったからです。僕が紹介した話以外にも「学校」や「スポーツ」でも数々の〈左きき〉への軽視や無視があると具体例を挙げて分かりやすく説明してあります。さて次回は「左右対称」から「男女平等」に話を移します。渡瀬けんさんが気になることを書いています。自分が〈左きき〉で苦労して来たので街中で〈左きき〉の人を見ると親近感を覚えるそうです。ところがなぜか「おばあさん」で〈左きき〉の人に出会ったことがないそうです。
なぜでしょうか?次回までに考えてみて下さい。別に宿題ではありませんからご心配なく!