10月16日(日)、練馬区で2回目の交流会を開きました。親御さん5名当事者6名、セクシュアリティはそれぞれ違うため、各自のSOGI(性的指向、性自認)の感覚がそれぞれ違い、セクシュアルマイノリティと言えども一概には語れない、と実感させられる時間でした。
昔から性別違和に近い子どもはいて、お姉ちゃんと同じピンクの靴と可愛い服が大好きな弟はいたし、スカートが好きで履きたかったと語る男子も結構います。きらきら光る可愛らしいものやディズニーが大好きな男子、男の子に交じってサッカーや野球に興じる女子もいるけれど、皆が皆、トランスジェンダーとは限りません。が、育児中の親は、我が子が男子枠、女子枠にハマらないととても心配になります。昔はそういう時、「大きくなったら男の子(女の子)らしくなるわよ」、と言って親を励ましてみたり、或いは、いわゆる「~らしくせよ」としつける教育で子どもの心を傷つけてしまっていたものです。今はそんなことを言ったら人権侵害ですが。ただ、性別違和の子どもを受容するのはよしとしても、決めてしまうのは早すぎるような気がします。思春期まではかなり揺れる傾向があるし、成人後でもセクシュアリティが揺れる人もいます。かといって、セクシュアリティは矯正できるものでもなく、本人の自覚に即して鷹揚に周りが受け止められれば、子どもは自尊感情を損なうことなく健やかに成長し自ずとセクシュアリティも定まってくるでしょう。
さて、親にとって我が子のセクシュアリティ問題は、悩み苦しむ子どもの姿に心を痛めサポートしようと思いつつも、親自身も情報を持たず孤立せざるを得ない為に狼狽えているケースが多いです。或いは、親自身に世間同様偏見があり、子どものセクシュアリティを受け入れられなくて距離を置いてしまうケースの方が多いかもしれません。前者は、情報を得ようと支援団体に足を向け、後者は問題に向き合おうとしないために子どもの方が悲鳴を上げ、支援団体に居場所を求めるのです。
そんな親と当事者が一堂に会しての交流会は、親達にとっては自身の囚われている常識や世間体といったものに風穴を開ける出会いの時となり、この日から新しい価値観=多様性理解の扉が開いていくのですが、当事者にとっては、自身のケースとは真逆の理解しようとする親の姿を見せつけられる結構きつい時間かもしれません。
交流会に集う30歳以降のセクシュアルマイノリティたちの多感な時期は、今のようなLGBTQ情報は皆無でした。当然、家族の受け入れ態勢はありません。それと比べると、今の子どもたちの置かれている状況の恵まれていること!
地方と都会、成育環境等、様々な要因でセクシュアルマイノリティの生きづらさに濃淡は出てきてしまう、その現実にイラつきながらも、自身の困っている事や葛藤を語り、それを乗り越えて今生きている在り様こそが、交流会に集まる親たちにとっては希望のロールモデルになっているのは確かです。
それぞれの語り合いを続けていくうちに、親は自分たちシスジェンダー、ヘテロセクシュアルとは異なるセクシュアルマイノリティの心の内を知ることになります。子どもと言えどもひとりの人格をもった人間=「他者」として受け止め尊重するようになれば、和やかな親子関係が築かれ、楽しい語らい、何気ない冗談で笑いあえる幸せな時間を長く共有することができるでしょう。
セクシュアリティの偏見の壁を越えて、親子が笑顔で集える交流会になることを願っています。
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