LGBTの家族と友人をつなぐ会ブログ

レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの家族や友人による会のブログです。

第1回なごや親の会ミーティングレポート

2017年07月29日 | Weblog

第1回 なごや親の会 ミーティングレポート

参加人数  8名  

日時・場所 7月16日㈰13:00~16:00   イーブルなごやにて

 

名古屋では初めての親の会でした。

毎回のミーティング参加者のうち、半数以上をしめる親(主にGIDのお子さんをもつ親が多い)同士の交流の必要性も感じていたところ、メンバーの方からやりましょうという声も上がり今回の開催となりました。

GID当事者の方から、「親としての心がまえ」や「子どもとの接し方」を学ぶ機会になりました。

参加者の中には、もうすぐ子どもが手術を受けることになっていると話す母親や、子どもが手術を受けたばかりという母親、将来的に手術を受けることになるであろうというお子さんの母親、またゲイやレズビアンの子のいる母親などがいました。

 

以下はアンケートに答えてくださった中からの抜粋です。

 

本日の感想

・同じ悩みを共有でき、うれしかった。励まされた。

・きょう来たことでさらに前を向けるようになりました。子どもが反発しても壁にぶつかって立ち止まってしまっても、苦しくて嫌なことではなくチャンスだと受け止めることができました。子どもと夢を探して前進していくことが楽しみになりました。

・親としていろいろ気をもむことよりも、大丈夫だよと受け止めてあげるだけでいいんだということが心に残りました。

社会への要望

・LGBTへの理解が深まり、ゆくゆくはLGBTという言葉がなくなるくらい普及するといいなと思います。

・GIDの医療費の保険適応。本当にそうなってほしい。一生ホルモン投与しないと生きていけません。

・学校教育の中でセクシュアルマイノリティの知識を正しく教えてほしい。

・手術をしてまでの性別変更しなくてはいけないということがなんとかならないのかと思いました。

LGBTの家族と友人をつなぐ会への要望

・いろいろなかたと出会え、自分の気持ちを素直に言える唯一の場所です。こういう会があることで本当に救われています。ありがたいです。

 

アンケートを見ていると、主催する側も毎回緊張感を持ってミーティングに向かい合わなくてはと思ったことでした。

榊原


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「親の会」のお誘い & 親たちへのメッセージ

2017年07月26日 | Weblog

8月6日(日)に、つなぐ会の「親の会」を開催します。
1年に1回の親だけの会です。
詳細はつなぐ会のHPを見てください。
親だけで大いに語らいましょう!!

最近のつなぐ会のミーティングには、小中学生を抱える親御さんの来訪が多い。

当事者の年齢がドンドン下がってきているようだ。

私の子育て中、今から20年近く前になるが、LGBTなんて言葉は巷になかったし、性同一性障害も同性愛も私には無関係だった。
女の子の服が大好きな男児もズボンしかはかない女児もいたけれども子供にありがちなこととして大して問題視しなかった。
ただ、親御さんは他とは違う子どもの様子に困惑し振り回されてる感がありありだったので、周りの親たちは「大きくなったら変わるわよ」と慰めていたものだ。
私の子供はといえば、保育サークルでの運動会で紅組やら青組やらの組別に色分けされた帽子を被るのが絶対に嫌で、仕方なく帽子なしにしたような・・・。
そんなこともあってお仕着せの保育サークルに限界を感じて、どんな子でも自由に好きなことができる保育サークルをつくった・・・。

そんなことを思い出しながら、親御さんたちの話を聞く。
相変わらず大勢に合わせろという学校という組織。
「お宅のようなお子さんは初めてです」というベテラン教師。
20年前と大して変わっていない。

最近は、メディアでLGBTニュースが頻繁に流れる。
渋谷区だけでなく多くの行政機関でセクシャルマイノリティの施策が提示されるような時代になってきた。
多様性が謳われ、個性が尊ばれる時代になっても、学校は別らしい。
何故なんだろう。

思春期前の子どもはそれこそ多様だ。
国籍の違い、家庭環境の違いはもとより、個性が歴然として違う。
おしゃべりな子、緘黙に近い子、聞き分けの良い子もいれば、自分の思いが強すぎて聞き分けられない子、感受性の強い子、読み書きの得意な子もいれば苦手な子もいる。
そして、男の子然とした子も女の子然とした子もいるが、判然としない子もいるのだ。
そのあるがままの子どもの姿を否定することなく受け止めるのが、本来の教育のあるべき姿ではないのか。
受容されたからこそ子ども自身の力で成長していくのではないか。

抑圧、矯正によるストレスは、子どもの自尊感情を貶めるのは知られていることだと思うが、身体的な成長も損なっているようにも見受けられる。
それを理解して子供に向き合っている教師はどれくらいいるのだろう。

そういう四面楚歌の状況の中で、ありのままの子供を受け入れてほしいと訴えている親がいる。
これは困難で孤独な作業だ。孤立無援になりかねない。そこをなんとか支援したいと思う。
それが先達の親の務めだと、私は思った。
(M)

 


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