近松門左衛門300回忌
冥途の飛脚(めいどのひきゃく)
淡路町の段
封印切の段
野澤松之輔=作曲 澤村龍之介=振付
道行相合かご
一番感想が書きやすいので「冥途の飛脚」から。
近松門左衛門300回忌、300年前に書かれた戯曲がいまも上演されているんだからたいしたもんだ。
「冥途の飛脚」は、のちに改作された作品とは違い敵役が出てこず、ただただ若旦那は自分の甘さ弱さで遊女梅川に入れあげてお金を使ってしまう。
最低やないか。
ところで、この日、前から2列目の真ん中が空いていたので常にないことに前で鑑賞。人形が近い。人形遣いも近い。
若旦那の友達八っつあんはええ奴や。話を合わせてくれたり、遊女らにこのままやとえらいことになるから若旦那を入れたらあかんでというてくれるのに、根っから恋にのぼせたこいつは横領の罪を犯してしまう。
梅川よ、どこがよくてこの男を…。
と思うものの繊細な人形の動きにさもありなんとも思ってしまう。
逃げるふたりは若旦那の実の親がいる新口村へ。ここもわたしがいやなのは梅川の親ではないのよね。どこまでも自分か!
このはなしも派生した改作も心中の場面は見せない。でも、ここまで来たらそれしかないよな、と刹那を生きた挙句に破滅の道行にざわざわする。
のだが、
史実では処刑された若旦那に対して梅川は勤め上げ、仏門に入りその後50年供養に生きたそうで、長生きでよかったと胸をなでおろす。
心中をにおわせた方が物語としては美しいのだ。知らんけど。
近松が「たちきれ」を書いたら二人とも死なせてたであろうし、現実は女の方が長生き。
いやはや、前から2列目で見ると恋の魔物という色気に充てられてしまった。