Carmen Maki & Oz ► 六月の詩 Rokugatsu No Uta [HQ Audio] 1975
カルメン・マキ71才、ギタリスト春日博文68才、いまだに現役。
そして、カルメン・マキ&OZ 未だ続行中。
私の大好きなバンドである。このバンドについて何回かに分けてその魅力を考えてみたい。
日本のロックがいつ始まったか、そして、いつから盛り上がったのか?これは、70年代から、いろいろジャーナリズムで取り上げられた題材である。
いろんな意見があり、ここでは深入りしない。
個人的にはやはり日本のロックの草創期の2大傑作はアルバム「カルメン・マキ&OZ」のファーストアルバム、四人囃子のファーストアルバム「一触即発」である。
当時、日本語でロックをやることに抵抗があった時代において、あえて日本語で取り組み、そして、ロックの持つうねりのようなエネルギーを放ったこの2作は私にとって、全く次元の違う音楽だった。
当時、日本語のロックはほかにもあったが、演奏のダイナミックさではこの2大バンドほど心に響かなかった。スケールが違った。中高生時代、私と私のバンド仲間の何人かは、この二つのバンドにどっぷりはまってしまったのだ。
さて、カルメン・マキである。アラ還である私にとっては、小学生のころからのなじみの歌手である。彼女は1969年に17歳にして「時には母のない子のように」で、ビッグ・ヒットを飛ばし、当時、もの心がついていた日本人なら、誰でも知っている歌手であった。一般大衆には一発屋の歌手みたいなイメージを持たれているかもしれない。ところが、彼女は一般大衆が好む音楽(当時の歌謡曲。テレビの歌番組に出る音楽。)の枠から飛び出していった。
彼女は、あのジャニス・ジョプリンに刺激を受け、紆余曲折の上、日本語のロック・バンド、カルメン・マキ&OZを結成した。
主要メンバーであったギターの春日博文は結成当時は18才だったという。そして、1974年に「午前一時のスケッチ」でシングルデビュー、1975年1月に名作「カルメン・マキ&OZ」でアルバム・デビューする。
話はそれるが、1977年にOZが解散したあと、「カルメン・マキ&LAFF」「5X」というカルメン・マキを主体としたバンドが結成されたが、しっくりこなかった。やはり、曲の出来が全然違った。
日本語の歌詞、劇的なアレンジ、情念のある演奏などにより、すべて「カルメン・マキ&OZ」が上回っているというか、数段高いレベルにあった。カルメン・マキがいれば、すごいものが生まれるというものでもなかったと思う。
あのメンバー、あのプロジェクトだから、達成された奇跡のサウンドだったのだ。ちなみに、OZ結成前にやっていたブルース・クリエイションとのコラボもマジックは感じられなかった。
未だにOZのライブをやると熱狂的な支持を受けるのは理由があると言えよう。
さて、ファースト・アルバムの記念すべき1曲目「六月の詩」をまず取り上げたい。
この曲の最初の部分はピアノの伴奏だけであり静かに始まる。当時、日本の音楽シーンで大きな立ち位置を占めていた「フォーク・ソング」の雰囲気がある。ところが、メロディがサビの部分に入ってくると、ヘヴィなロック・サウンドが押し寄せてくるのだ。そして、「ドス」の効いたカルメン・マキのパワフルの歌唱が圧倒的なパワーを放つ。これは・・・まさにロックだった。まだ曖昧だった「日本語のロック」が見事な存在感、ダイナミックな質感をもってここに降臨した。欧米のロックとは違った湿った日本人の情念を表現する強烈なロック精神の提示がそこにあった。
春日博文のギターはテクニシャンとは言えないけど、実に細やかな表現ができる人で、日本人的なメロディ、リズム感、音色を素晴らしいセンスで、構築した。そしてパワーがあった。彼がいなかったら、OZのサウンドはここまでの完成度にならなかったような気がする。
この曲はアレンジ面ではブレイクするようなリフを多用して、ロックの豪快さを表現しようとしており、その狙いは成功している。
今聴くと、普通のアレンジに聴こえるかもしれないが、当時の日本のバンドで、こんな演奏をしているバンドはなかったと記憶している。
先駆者としての彼らの試行錯誤を感じられる編曲だった。
そして、静と動の対比による印象の強さ。それも曲の魅力を引き上げていて、その魅力にとらわれたものを離さない。
8分を超える曲ではあるが、私は全然長いと思わない。
ドラマティックな構成とマキの歌唱力があまりにも素晴らしいからだ。
ファースト・アルバムの1曲目として、名刺代わりの曲として、見事なパワーを見せつけてくれた名曲だと思うのである。
ドラムにかけたフェイザーや分厚いコーラス、メロトロンの活用など、いろんな要素もこの曲を非凡なものにしている。