↑ ちょっとわかりにくいのですが、Epifaniaの日に
良い子にお菓子を持ってくる「Befana」の菓子細工です。
2014年 1月6日 撮影 ボローニャにて
そっかあ、今年の1月6日は過ぎてしまったんだ・・・。
・・・と、気が付いたのは1月8日のことでした。
思えば昨年の1月6日、私たち夫婦はボローニャにいたのでした。
年始からのイタリアの旅。
Firenzeに4泊し、そしてボローニャに2泊、
そしてまたFirenzeに3泊という
けっこう近場でのんびりした旅を過ごした私たちでしたが、
ボローニャはまったく初めての滞在だったということもあり、
忘れがたく、「また来たい」、というより、
「また帰りたい」という気になった大好きな街です。
そのボローニャ第1日目が1月6日でした。
旅の計画中、この日の予定は白紙でした。
なぜなら、1997年の初めてのイタリア旅行でも
Firenzeでこの日を過ごしたからです。
1997年1月6日、
その日は朝から土砂降りの雨でした。
過去の記事にも書いたさんざんだったイタリア旅行の中間地点のFirenze。
「またその話かよ」と思っても、まあ辛抱してお付き合いくださいね。
深く考えもしないでリピーターが多い若者向けの安いツアーに参加した私たち、
(今思えば 結構自由時間があったから、よいツアーだったのかも・・・
って、今は立派なリピーターだからね・・・納得。)
チェントロから遠い、不便なホテル、(安いからね)
ツアーの人たちはPisaに出かけたり、離脱してどこかへ行っている様子で
朝から誰にも出会うこともない、完全自由な日だったのです。
ぎっくり腰のダンナと
風邪が悪化して中耳炎になりかけていた私でしたが、
ここまで来たのだからやはり街に出かけてみようと、冷たい雨の降りしきる中、
ポンテ ベッキオ目指したのでした。
ところが・・・
キンキラキンの宝飾がまぶしいはずのお店は1軒も開いておらず、
木製のがっちりとした鎧戸が、盾のように並んでいるだけだったのです。
橋のむこうのピッティー宮殿もクローズ、
わずかに開いているのは革製品のお店や切り売りPizzaのお店だけでした。
もっと探せばよかったかもしれませんが、
足元もどんどん濡れていくし、雨はやまないし、人もいない。
なぜ?
お正月も過ぎたのに、なんでやのん!
あとでわかったのです、
その日が1月6日のEpifaniaで祝日だってこと、
おまけに日曜日だったような・・・
とにかく街はひっそり。
そのときの記事はこちらからどうぞ。
話は戻りますが、
昨年の1月6日、
私たちは、てっきり街が1997年のFirenzeのように静まり返っているのだろうと思い込み、
どうやって過ごすかは、その時次第とボローニャに来てみたのです。
そしたら
まあ、なんということでしょう~
月日がたったからなのか、
街はお祭りのようににぎやか、チェントロの広場は老若男女でごった返し、
パレードもあり、特別料金のTreninoも満員で出発、
お店もすべてではないけど、けっこう開いていて教会も見学できました。
いっぱい写真も撮ったので、またアップするとして、
この日の一番すてきな笑顔を1枚ごらんください。↓
そうそう、
過去のブログにも書いたのですが、
あのFirenzeでのEpifaniaの日、雨の中で一人の親切なお年寄りに会いました。
私たちに近寄ってきて、
「今日はどこも開いてないよ。この近くなら、サン・スピリト教会に
行くといいよ」と、しゃがれた声で教えてくれたのでした。
その当時はイタリア語が全くわからず、
かろうじてわかったのは「サン・スピリト」だけ。
でもなんとなくそう言っていたような気がします。
私たちは言われたように「サン・スピリト教会」を訪ねました。
外も暗い上、中も暗くてよくみえなかったけれど、
ろうそくの光と誰かの祈る声が入り混じった
不思議な空間は、今も思い出すことができます。
ところで、このサン・スピリト教会を教えてくれたお年寄りは
黒くて長いコートを着ていて鼻がやけにとんがっていました。
はたしておばあさんなのか、またはおじいさんなのか・・・。
う~む、実は性別不詳なのです。
我々夫婦で あれはおじいさんだの、いや、おばあさんやった、と
いまだにどちらも譲ることをしません。
ひょっとして「ベファーナ」だったのかも?
だったら「おばあさん」なんですけどね。(笑)