花浄土鹿児島

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カメラ散歩 薩摩永野駅跡 2023/02/23(鹿児島)

2023-02-24 18:40:20 | 史跡巡り
2月23日(木)天皇誕生日、旧国鉄宮之城線の薩摩永野駅跡を訪ねました。

1987年(昭和62年)1月10日、 宮之城線廃止に伴い廃駅、跡地に永野鉄道記念館が建てられ鉄道施設の一部が残っています。

永野鉄道記念館 以下の画像は2月23日に撮影


1988年(昭和63年)5月、旧駅舎跡地に4770万円をかけて建設された公民館を兼ねた建物です。

ホームと保線車両 バス駐車場と右奥には線路が残る


急勾配でもありませんがスイッチバック方式の珍しい駅です。永野金山近くの大きな集落であり、大口に向かう線路を伸ばして立ち寄る感じです。

永野区観光案内板


将来的に線路を東側に伸ばし、横川辺りで肥薩線につなぐ構想もあったとか。急速な自動車社会への移行で国鉄そのものが衰退・民営化され、不採算路線は次々に廃線となりました。

旧薩摩町の案内図


1954年(昭和29年)永野村・求名村・中津川村が対等合併し、薩摩町が発足。2005(平成17)年に薩摩町は鶴田町、宮之城町と対等合併し、さつま町(2023推計人口19千人)が誕生しました。

昭和40年代には宮之城町の人口が3万人に迫り、広域合併で宮之城市誕生かと思わせるほどの勢いでした。多くの地域と同様に過疎化が急速に進みました。

緩急車(車掌車) 右奥から大口へ 左奥から川内方向へ


ネットで見かけた2004年の駅跡画像では現在と同じ車掌車(緩急車)が残る線路脇に桜の幼木が見えます。

シーサースクロッシングと呼ばれる、隣接する2つの軌道の間に2組の渡り線をX字状に設けた軌道構造が残されています。

廃線直前の記録動画と見比べると、現在は半分程度のスペースで当時を再現しているようです。

大口方向への線路は緩やかな築堤を上っていました。川内方向へはまっすぐ進む感じですが、線路はかなり左の田圃側へ続いていました。

記念館の内部


待合室にはテレビらしきものがあり、見学者が多いときはビデオでも説明するのでしょう。

窓口の奥には鉄道設備も見える


内部にも展示資料が多く見えましたが、施錠されていました。鍵を借りて中に入ると見ることができるようで、連絡先の電話番号が表示されていました。

さよなら列車の様子


今日は天皇誕生日です。時代は昭和から、平成、さらに令和へと移りました。ずいぶん前のことになりました。

降る雪や明治は遠くなりにけり(中村草田男)・・・わが身のこととして実感します。

西側から見た鉄道記念館


左側は大口方向の針持駅から下りてくる線路、右側は川内方向の広橋駅に向かう線路です。

かつての線路脇


白梅が満開で菜の花も咲いてきれいでした。

右は大口、左は川内方向


大口方向に伸びる築堤は撤去され平坦な道路になっています。

鉄道記念館ができてから35年


雨に降られずすみました。祝日でしたが他に見かけたのは、カメラを手にした若い男性が一人だけでした。

今日は各地の梅や早咲きの桜を探して回る中で、かなり奥まで来てしまい・・・いつか訪れようと思っていた永野駅跡を訪ねました。

桜が咲くころはもっと多く人が訪れることでしょう。鹿児島の自宅まで一般道直帰で1時間5分、遠いようでそうでもありませんでした。

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