浪漫飛行への誘(いざな)い

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36年前の8月12日悲劇は起こった!

2021年08月14日 00時03分30秒 | 飛行機

36年前の1985年8月12日、あの航空機事故の悲劇は起こった。520人もの犠牲者を出し、史上最悪の飛行機事故となった。あの悪夢の日、自分はフランクフルトに勤務していた。ちょうどお昼時で、近くの日本食レストランで食事をしていたが、支店長に緊急の電話が入り、急遽職場に戻された。日本は大混乱の真っ只中で、状況を把握するのにかなりの時間を要した。すぐに非常待機体制に入ったが、ドイツ人の犠牲者が4人いるという情報が入り、日常業務は放り出し、4人の関係者のお世話をすることに集中した。フランクフルト管内では、事故にあったドイツ人の出迎えを予定していた日本人の方の対応に追われていた。ドイツにいたため、大混乱に巻き込まれることはなかったが、日本では想像を絶する光景が繰り広げられたものと思われる。

事故の原因については、事故調査委員会による公式の報告では、ボーイング社による圧力隔壁の修理ミスと金属疲労とされているが、多くの不審点、疑問点が出されていたものの、1999年にすべての重要記録や資料が廃棄されてしまっている。本当の原因につぃては、いろいろな説が飛び交っており、関連書籍も出版されている。最近では、2017年に出版された元CA、青山透子著の「日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る」で、大変興味深い内容が書かれている。事故当日、相模湾で軍事訓練をしていた海上自衛隊の船からの誤射説が有力で、それを隠すために組織的な証拠隠蔽工作が行われた可能性もあるということであるが、にわかには信じがたい。当時の中曽根内閣は、真実を知りながら、国家の最高機密として墓場までもっていくことにしたとの憶測もある。真偽はわからないが、安倍・菅政権がいろいろ隠蔽工作してきた事実をみるとさもありなんという気もする。真実が何であれ、520人もの犠牲者が出た飛行機事故が発生してしまったのであるから、歴史的教訓とすべきである。毎年、8月12日を迎えるたびに、胸が痛む思いである。

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