浪漫飛行への誘(いざな)い

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暗黒の高校時代

2018年06月30日 23時07分22秒 | 人生
小中学校は、地元の公立の学校なので、選択肢はなかったが、高校受験から選択戦争が始まった。自分の学区における都立高校受験には失敗したが、地元にある難関校の一つである私立の高校に補欠ながら入学することができた。今考えると、その都立高校より自分の私立高校の方がレベルが高く、当時でも東大入学者は15名以上いて、全国ベスト10内外にもランクされていた。小中高一貫の学校だったので、1年生は、高校からの入学者のみで3クラス編成されていた。残りの5クラス中学から上がってきた生徒だけで構成され、2年時に初めて合流したものである。受験に強い中高一貫校なので、中学3年の時に、すでに高校1年レベルの勉強は終えていたようである。

2年の時に、中学組の連中とも同じクラスになったが、その実力の差は歴然としていた。英語の授業も実力レベル分けされていて、教科書も異なっていた。英語だけは、途中で上のクラスに入れてもらえた。東大受験だけがすべてではないが、現に、同期では、現役で15人位東大に合格したが、その全員が中学からの連中であった。同期には、作家の赤川次郎、さだまさしの「償い」を引用して有名になった裁判官やフォーセインツというフォークグループのメンバーなどがいた。

高校生活は、男子校でクラブ活動にも入っていなかったので、正直言って、あまり楽しい思い出は残っていない。どうしても大学受験が控えていたので、勉強中心にならざるを得ない状況であった。中学時代は、人気の野球部(サッカー部はまだ出来立ての頃)に所属していたので、女子生徒からモテモテという楽しい思い出がいっぱい残っているが、高校時代はその延長線での交流が細々と続いていた程度である。

受験勉強のお蔭か無事、現役で第一志望校に合格できたことに感謝したい。受験の合間にラジオで音楽番組もたくさん聴いたので、印象に残っている音楽はいっぱいあるが、自分史の高校時代を象徴する音楽は、高石ともやの「受験生ブルース」かもしれない。毎晩聴いていた音楽番組にニッポン放送の「ザ・スペイスメンアワー」という番組があり、ゲストによく出ていた「南不二子」という歌手が大好きであった。人生にはこういう時期も必要かもしれない。

画像は、恐らく誰も知らない南不二子さんのレコード

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