痛ましい、そして残念なニュースが、このところ続いている。
http://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/ASH775TCYH77UTIL02V.html
生徒と先生のやりとりをする、日記に、SOSを出していたとされる文書が公開されている。
「死んでいいですか」を「氏んでいいですか」
「もう死ぬ場所もきまっている」を「もう市ぬ場所もきまっている」
と書かれているそう。
以前、ノートに「42た1」と書いたことを思い出した。
「死にたい」をそのままは書かずに暗号風に書いたものだった。
中学2年の子は自殺してしまった後だから、伏字風の文書も「死にたい」メッセージだったと言える。
しかしながら、それを「死」に結び付ける感性が先生側になかったという事だろう。
いじめが、首をしめられたり、なぐられたりとしたら、切羽詰って訴えていると感じて欲しかった気はする。
親には、心配かけまいとわざと何事もないようにふるまう子は多い。
学校の先生は、多忙と聞く。
しかしながら、挫折を味わっていない。順調な人生を歩んできている先生方には、見抜く目は養われない。
学校の成績だけで、物事が決められていくとしたら、こうした悲劇は、たぶん止められない。
せっかくSOSを発していたのに、周りの大人が誰も気づかないとはなんとも人。先生すら、気づかないとは、何とも哀しい。