邪馬台国畿内説の“本命”である纒向遺跡での
大型建物跡の発見は、邪馬台国論争に終止符をうつのか?
「だんだん決着に近づいてきた」と畿内説派は、
強調するが、果たして?
罪作りなのは、魏志倭人伝だ。
邪馬台国 の章
南(行)して、邪馬壹(臺の誤り)国(やまとこく)にいたる。
女王の都とするところである。
水行十日、陸行一月である。
官に伊支馬(いきま)がある。
次(官) を弥馬升(みまと)という。
(その)つぎを弥馬獲支(みまわき)といい、
(その)つぎを奴佳(なかて)という。
七万戸ばかりである。
そのまま、解釈する限り
九州説でも畿内説でもなく、
南海の小島に本当は、
存在していたのではないか?
フィリピンあたり?
晩秋の夜遅くまで、
どこにあったのか、
いろいろな想像を
ふくらませるのも
おもしろい。
私は、九州説派。
魏志倭人伝に出てくる
地名が九州には、
今も各地に
残っていることが
根拠なのだが。
邪馬台国は、
どこにあったのか?
永久の命題だったほうが、
ロマンがあっていいのかも。
本日のトレーニングは、
愛宕浜~壱岐神社~生の松原往復10KM
キロ6分
久しぶりに晴れ上がったものの、
風は冷たい。
生き松原海岸森林公園内の
カエデやポプラの紅葉した葉も
今年は、見頃に見損ない
一昨日からの強風で
すでに散っていた。(涙)
○●○●本日のトレーニング○●○●○
RUN 10KM
BIKE 0KM
SWIM 0KM
○●○●○●○●○●○●○●○●○
大型建物跡の発見は、邪馬台国論争に終止符をうつのか?
「だんだん決着に近づいてきた」と畿内説派は、
強調するが、果たして?
罪作りなのは、魏志倭人伝だ。
邪馬台国 の章
南(行)して、邪馬壹(臺の誤り)国(やまとこく)にいたる。
女王の都とするところである。
水行十日、陸行一月である。
官に伊支馬(いきま)がある。
次(官) を弥馬升(みまと)という。
(その)つぎを弥馬獲支(みまわき)といい、
(その)つぎを奴佳(なかて)という。
七万戸ばかりである。
そのまま、解釈する限り
九州説でも畿内説でもなく、
南海の小島に本当は、
存在していたのではないか?
フィリピンあたり?
晩秋の夜遅くまで、
どこにあったのか、
いろいろな想像を
ふくらませるのも
おもしろい。
私は、九州説派。
魏志倭人伝に出てくる
地名が九州には、
今も各地に
残っていることが
根拠なのだが。
邪馬台国は、
どこにあったのか?
永久の命題だったほうが、
ロマンがあっていいのかも。
本日のトレーニングは、
愛宕浜~壱岐神社~生の松原往復10KM
キロ6分
久しぶりに晴れ上がったものの、
風は冷たい。
生き松原海岸森林公園内の
カエデやポプラの紅葉した葉も
今年は、見頃に見損ない
一昨日からの強風で
すでに散っていた。(涙)
○●○●本日のトレーニング○●○●○
RUN 10KM
BIKE 0KM
SWIM 0KM
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