ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

お尻を拭くもの

2011年01月06日 | 沖縄04行事祭り・生活風習・言葉

 今週訂正したが、訂正前のオオバギを紹介している頁で、
 「オオバギの方言名はチビククヤという。オオバギの葉が昔、雲子の後のお尻を拭くのに使われたことからきている名前。」と私は書いたが、今年(2008年)9月に、宜野湾市に住むTさんから「お尻を拭いたのはユーナ」との指摘があった。父や従姉の亭主に確認したところ、「そうである」とのこと。で、オオバギの頁は訂正した。
 お尻を拭くのに使ったものは他に、サトウキビの葉を乾燥させて結び目を作ったものがあり、ウミンチュ(海人=漁師)はロープも使ったとのこと。

  チビククヤの意味についてもTさんから情報があり、「お年寄りから聞いたところ、オオバギの葉でお尻を拭くとお尻の穴が固まるから」とのこと。これについては叔父に訊いてみた。「その通り」とのこと。さらに、『沖縄の都市緑化植物図鑑』に、オオバギの方言名としてチビカタマヤーガサともあった。尻の穴を固める幅の広い葉という意味だ。ということで、オオバギの葉でお尻を拭くとお尻の穴が固まるということから、オオバギの方言名がチビククヤとなった。ということで一件落着。・・・と思ったが、

  オオバギは沖縄のどこでもよく見かける木で、昔から身近にあったはず。その木の名前が、お尻を拭くまで無かったということがどうにも解せない。オオバギはその葉に特徴がある。お尻を拭く前に見た目から名前が付くに違いないと思うのだ。それに、オオバギの葉には何度も触れた経験があるが、それに粘着性があったという記憶も無い。
 で、実験してみた。実際にお尻を拭いてお尻の穴が固まると困るので、手の平で試してみた。手の平をオオバギで数回擦って、強く握ってみた。5分後、何の変化も無かった。オオバギの葉には感じられるほどの粘液は無い。もしかしたら葉の内 部にガジュマルのような粘液があるかもしれないと思って、オオバギの葉を強く絞り、僅かに出てきた液を手の平に塗り、同じく強く握ってみた。5分後、今回も変化は無かった。

 お尻を拭くのに使ったユーナの葉、調べると、乾燥させてから使用したらしい。ということで、オオバギの葉とユーナの葉を乾燥させてみた。オオバギの葉は薄くて、生の時も破れやすかったが、乾燥させるとさらに破れやすくなった。揉むとボロボロになった。一方、ユーナの葉は乾燥させてもしっかりしている。揉んでも、葉脈の辺りで亀裂が入ったが、全体の形はしっかり残って、いかにも尻を拭く役に立ちそうであった。

 以上のことから、私なりの結論。
 オオバギは葉脈の形に特徴があるが、大雑把に見ればユーナの葉に似ている。ユーナの葉が近くに無ければ、オオバギの葉を代用したかもしれない。ところが、オオバギの葉は破れやすい。破れて手が雲子で汚れるということがあったに違いない。
 そこで、オオバギの葉を、お尻を拭くのに使用させないために「オオバギの葉で尻を拭くと尻の穴が固まる」ということにし、チビククヤと名付けたのではなかろうか。「夜爪を切ると何たら」などと同じ、禁じるための方便ということである。
 あるいは、オオバギの特徴ある葉脈の形、「尻の穴を縛ったような模様」から単純にチビククヤなのかもしれない。などと思うが、正確なところは不明。
     
     
     

 記:ガジ丸 2008.11.15 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


ハーギシギシー

2011年01月06日 | 沖縄04行事祭り・生活風習・言葉

 「もう怒ったぞ!」のことをウチナーグチ(沖縄口)では「なーワジタン!」と言う。「もう」が「なー」で、「怒ったぞ」が「ワジタン」となる。「怒る」が「ワジル」で、その完了形が「ワジッタ」、それを強調して「ワジタン」となる。(たぶん)
 5年近く前の2004年の初めに、「会社のホームページを作りましょう。良い宣伝になります。民間の仕事が増えるでしょう。」と、実際にネットで見ることのできるサンプルを作って、社長に提言した。濃い墨構造改革のせいで、公共工事が減り、建設関連の企業は厳しくなると予想された頃だ。「公共工事が減り、建設関連は厳しくなる。」は予想通りとなったのだが、それから半年経っても、社長からはウンともスンとも返事が無かった。で、「なーワジタン!」となり、私は自分のHPを作ることにした。
 同じ頃、パソコンを購入したパソコン初心者の友人Hに、週に一度、彼の店に行ってパソコンを教えていた。ところが、本人に覚えようという情熱がほとんど無く、半年経っても初心者のままだったので、「なーワジタン!」となり、教えるのを止めた。
 「なーワジタン!」は、かような時にピッタリの言葉である。

 「怒る」は、じつは、普通には「クサミチュン」と言う。これは沖縄語辞典にも載っている由緒正しい「怒る」である。「ワジル」は、じつは「沸騰する」という意味で、「沸騰する」を人の感情に喩えて「怒る」となる。これは日本語で考えても容易に想像がつくと思う。最近では、由緒正しい「クサミチュン」はあまり聞かない。私も使ったことが無いので、どの程度の怒りを言うのか正確には知らないが、「怒りで感情が沸騰する」というニュアンスのある「ワジル」の方が、より怒っていると思われる。(たぶん)
 ウチナーグチが廃れてしまった現在でも、「ワジル」、「ワジタン」はよく耳にする言葉である。私もよく使っている。元々は強い怒りを表したかもしれないが、今ではちょっとした怒りでも「ワジル」、「ワジタン」を用いる。
 「とても」を表す言葉は、イッペー(いっぱい)、シニカ(死ぬほど)、シタリカ(したたか)などあり、「シタリカワジッタ」などと使う。それらもよく使う言葉であるが、「ワジル」を重ねて怒りを強調した「ワジワジーする」の方を、最も頻繁に耳にする。とても怒っているが少し余裕がある、というニュアンスがある。(たぶん)

 向かいの家に中型犬が飼われている。大人しい私の好みの犬だ。彼はロープに繋がれていて、それをいっぱいに伸ばしても、門の20センチ手前までしか届かない。
 隣の家には小型犬が飼われている。その家の主人が外に出ていると、彼も外に出ることがある。よく吼える犬である。煩いので私は嫌いである。そして、彼はロープに繋がれていない。自由に動き回ることができる。
  ある日、向かいの犬が激しく吼えていた。しかも、怒っている吼え方だ。見ると、隣の小型犬が、向かいの犬の目の前にいて、その門に小便をかけていた。中型犬がこれ以上前に出てこれないことを知っていて、おちょくっているようだ。
 私は向かいの犬の激しい怒りが理解できた。自分の家の門に縄張りの印をつけられたのだ。すごくバカにした行為である。しかも、相手はすぐ目の前にいるが、それを止めることができない。相手は吼えるしかできない自分を見て、嘲笑っている。このような怒りの際は「ハーギシギシー」という言葉を用いる。ハーギシーは歯軋りのこと。歯軋りがギシギシするほどの怒り。これもまた、よく耳にする言葉である。アメリカや日本政府の強権力による理不尽な行為に、ウチナーンチュは「ハーギシギシー」してきた。
     

 記:ガジ丸 2008.11.8 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


一周忌

2011年01月06日 | 沖縄04行事祭り・生活風習・言葉

 母の一周忌が10月18日にあった。その二週間ほど前に、お坊さんを呼ぶかどうか父にお伺いをたてた。沖縄の慣習、しきたりについては死んだ母が熟知しており、父はほとんど母にまかせっきりであった。なので、私の問いに即答できない。一周忌を仕切るのは姉である。父には「二人で相談して決めてくれ。」と言って、電話を切る。
 姉はお坊さんを呼ぶのを意味の無いことだと思っている。そういう私もまた、不信人者なのでどうしてもとは思っていない。ただ、母は信心深い人だったので、お坊さんが来てくれると嬉しいだろうなと想像はできる。だからまあ、どちらかというと呼んだ方が良かろうって位の気分。後日、父から「お坊さん、頼んでくれ。」との連絡があった。

 お坊さんが供養の儀式を行う前に、家人にはやることがある。女性は供え物の準備、男性は墓参り。姉と従姉が供え物、私と叔父が墓参り。

 墓参りは、墓を掃除して、花、お茶、水、お菓子を備えて、線香を点てる。正式には、その他に酒やウチャワキ(お茶請け:重箱に詰めた料理)も供える。また、私はやらなかったが、線香を点てた後、「一周忌を行いますからおいでください。」などとウチナーグチ(沖縄口)で唱える。一周忌のことをウチナーグチではイヌイ、法事のことはスーコーと言う。なので、「イヌイぬスーコー サビークトゥ(行うので)イメンソーチウタビミソーリ(おいでくださいの最上級尊敬語)」となる。
 それから、供え物の左側(向かって右)の角でウチカビ(あの世のお金を意味する紙)を燃やす。あの世でお金に困らないようにとの心遣いらしい。
 点てた線香が残り三分の一ほどになったところで、ウサンデー(御下がり)する。供えた菓子や料理を下げて、墓参りに来た者が少しずつ頂く。これで墓参りは終了。

 男共が墓参りをやっている頃、女性陣は仏壇へ供えるものの準備をする。
 仏前にはお茶、酒、水、ダーグ(だんご)、ハーガー(軽めのお菓子)、重箱に詰めた餅とウサンミ(料理)、盛った果物、盛ったお菓子、それらをそれぞれ対で供え、ご飯、汁物、おかずなどの膳を一人前添える。それから、お坊さんが経を読み、供養する。
 お坊さんの読経は40分ほど続く。経には疎いので、最初の般若心経だけは何となく判ったが、その後のものは何がなんだかさっぱり。何がなんだかさっぱりを聞きながら、親族初め、そこにいた者が次々と焼香する。全員の焼香が終わったら、再びお坊さんが仏前に座り、短めの経を読んで、供養の儀式は終了。お坊さんは帰る。

  午後からは客が来る。親戚、友人知人らが三々五々やってくる。彼らは香典を供え、線香を点てる。線香は正式には3本、簡略化して1本でも可。客はすぐには帰らない。仏前に供えた重箱の料理と同じ様なものを、お茶やお菓子などと一緒に家人は出し、客に食べていただく。故人の思い出話などを語りながらしばらく過ごす。
 そうこうしながら、やがて日が暮れて、夕食時となって、夕食を仏前に供え、それを御霊が食べ終わったと思われる頃、家人親族も相伴する。以上で一周忌は終わる。

 一周忌(いっしゅうき)
 一回忌(いっかいき)とも一年忌(いちねんき)とも言う。「人が死亡してから満1年後の命日に営む法事」(広辞苑)のこと。
 沖縄では一周忌のことをイヌイ、またはユヌイと言い、年忌法要のことを一般にスーコー(焼香)、またはシューコー(同意)と言う。一年忌の次は来年の三回忌。
     

 記:ガジ丸 2008.10.27 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『スーコーとトートーメー』むぎ社編著、発行


用の美

2011年01月06日 | 沖縄03音楽芸能・美術工芸・文学

  ある日、土瓶、もしくは急須を買いに行った。それまで使っていた土瓶は地産地消の壷屋焼。地産地消だからというだけでなく、壷屋焼は日用の器として役に立つのはもちろんのこと、見た目も私の感性を十分に満足させてくれている。
 私の部屋には土瓶の他、ビールグラス、数個のぐい呑み、湯呑み、どんぶり、コーヒーカップ、からから(泡盛を入れる酒器)などの壷屋焼がある。どれも気に入っている。特にぐい呑みの一つとからからは、その見た目が大好きである。それら2つと並んで土瓶もまた、見た目が大好きなものの一つである。それは今も同じ思いである。

  大好きな土瓶があるのに新しい物を買いに行った。割れてしまったわけでは無い。私が少々せっかちになったからだ。のんびりお茶を注ぐことが嫌になったのだ。
 土瓶は、注ぎ口と接している本体側に小さな穴がいくつも開いている。そこから茶が流れ、そこで茶葉がせき止められる。壷屋焼の、私の大好きな土瓶はその穴が小さすぎて、お茶の出るスピードがとても遅い。満杯にして約500ミリリットル入るが、それを全部注ぎ出すのに2分はかかる。10年以上もの間、その2分を当たり前のように思っていたが、今年の梅雨明け頃から寝坊する日々が続いて、慌しい朝が続いて、お茶がチョロチョロとしか出てこないに土瓶にイライラするようになった。
     
 新しい急須は無印良品のもの。いかにも機械で作った味気ないものだが、お茶を注ぐとサーっと流れ出る。満杯500ミリリットルが10秒位で出切る。大いに満足する。
 お茶を注ぐ2分を楽しめなくなったオジサンは、見た目よりも、また、地産地消よりも機能を選んだというわけだが、少々反省はしている。しかしながら、日用の器は見た目も大事だが、やはり、機能的でなくてはならないと思う。使い勝手が良いということも生活の中の幸せの一つだ。器は使われてこそ美しい。「用の美」である。
  「用の美」とは民芸運動の中で使われた言葉。民芸運動家の柳宗悦は壷屋焼にも「用の美」を見出している。なので、私の愛用していた土瓶は、たまたま穴が小さくて私をイライラさせたが、それによって壷屋焼の価値が下がることは全く無い。

 壷屋焼
 「壷屋(つぼや、方言名チブヤ)は那覇市の町名。古くは沖縄島数箇所に壷屋と呼ばれる場所があった。1682年頃に美里の知花、首里宝口、那覇湧田の三箇所にあった陶窯を牧志村の南に移し合併させた。焼窯の種類は上焼、荒焼、カマグヮー、フースー窯の4種類あった。上焼は釉薬をかけた日用食器、荒焼は水瓶などの大型の容器、カマグヮーは手水鉢など、フースー窯は土瓶などをそれぞれ焼いた。」(沖縄大百科事典より)
     
     
     

 注釈
 「牧志村の南」が現在の壷屋の位置。
 釉薬を施した上焼(ジョウヤチ)に対し、釉薬をかけずに焼き締めたものを荒焼(アラヤチ)と言う。昔は作る製品を分けていたようだが、現在では荒焼の食器も多く見る。

 記:ガジ丸 2008.10.13 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


シュガーローフ

2011年01月06日 | 沖縄02歴史文化・戦跡

 旧盆の最終日、ウークイ(御送り)の日、実家へ行くついでに沖縄の戦跡巡りその3として、シュガーローフを観に行った。実家からは徒歩15分程度の場所にある。
 那覇市の繁華街といえば国際通りが有名だが、地元の人間が遊びに行く場所としては、数年前から既に国際通りよりも人気のある場所がある。那覇新都心、そのメインストリートには県立博物館美術館、大型スーパー、電気店、書店などが建ち並び、その東端には、ブランド品が安く入手できるということで、観光客に大人気の大型免税店がある。その免税店の道向かいに、沖縄戦の激戦地だったシュガーローフがある。

  シュガーローフはアメリカ軍の呼び名、Sugarloafというスペルで、英和辞典を引くと、「円錐形に固めた白砂糖。すりばち山。」といった意味。沖縄では、慶良間諸島が一望できることから「慶良間チージ」という呼び名だったらしい。シュガーローフは現在、那覇市の上下水道局が管理する安里配水池として使われている。
 現在のシュガーローフ、丘の高さは、私の目測で16、7m、最も長いところはメインストリート側で、私の歩測で約100mほど。丘の上に大きな白い水タンクが建っているので、新都心のメインストリートを東向きに歩いて行けば、すぐに目に付く。

 シュガーローフの戦いについては、沖縄戦を記録した本にはたいてい載っており、『沖縄大百科事典』にも記述がある。大変な激戦であったということから一つの歴史として残っているのであろう。アメリカ軍にとってもその激戦は記録に残すべきものであったようで、『沖縄シュガーローフの戦い』という本がアメリカで出版されている。
 その本、邦訳されたものが石嶺図書館にあったので借りる。借りて読む。350ページほどもある厚い本だ。読書慣れしていない私にはきつかった。また、老眼鏡も長時間かけていると肩こりがした。なので、2週間経ってもなお、読み終えていない。

 激しい戦闘が行われた当時の形状が、『沖縄シュガーローフの戦い』に記されている。「高さ15メートルから20メートル、長さ270m、南東約400メートルにはハーフムーン、南180メートルにはホースショア・・・。」とのこと。
 高さはあまり変わらないが、長さが約三分の一になった。削られて道路や宅地になってしまったのであろう。シュガーローフ全体が造成地の予定だったらしいが、激戦地を後世に残そうという運動があって、現在の形で残っているとのことである。

  シュガーローフは、日本軍本体のある首里城の西に位置し、アメリカ軍の侵攻を食い止める前線であった。南東のハーフムーン(half moon)という半月形の丘と、南のホースショア(horseshoe)という馬蹄形の丘の3箇所に日本軍は防御陣地を置き、互いをトンネルで繋いで、強固な防御態勢を敷いた。ために、アメリカ軍は非常に苦戦した。
 1945年5月12日から18日にかけて戦いは続き、その1週間で、「アメリカ軍は2662人の死傷者と1289人の戦闘疲労者を出した。」(沖縄大百科事典)
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     

 旧盆の最終日、実家でウークイ(御送り)の準備をしていると、友人のHから電話があった。「このあいだ話した真嘉比の遺骨収集、今、テレビでやっている。」と言う。真嘉比は地名で、安里の隣に位置する。で、翌日、遺骨収集の場所をネットで調べる。翌週、現場へ出かける。予想通りであった。今なお、多くの遺骨が眠っているという場所は、小さな丘となっていた。ここがハーフムーンであった。
     
     
     
     
     
     

 記:ガジ丸 2008.9.8 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄シュガーローフの戦い』ジェームス・H・ハラス著、猿渡青児訳、光人社発行