先週土曜日、実家へ行った。その前の週にツイタチジュウルクニチの神事(ヒヌカンに水と米を供え、線香を点てる)があったので行っているし、このところ雨が多いので、鉢物に水をやる必要はないし、特に用は無かったのだが、行った。那覇(首里も那覇だが、首里人は首里と那覇を区別して、そう言う)へ出かけるのに、用事一つでは時間の無駄のような気がして、ついでに実家を見回っただけ。用事は別にあった。
新都心にあるタバコ専門店へ行き、刻みタバコを買うことがその日の大きな用事。で、実家を見回った後、その店へ向かう。実家から車で5分程度の大通り沿い、「確かこの辺りだったが・・・」と記憶している場所に着いたのだが、店は見当たらなかった。
二日後の月曜日、映画を観に行った。映画は何かのついでというわけでは無い。私は映画が好きである。映画は日常とは違う世界へ連れて行ってくれる。いつもと違う空気を味わうことによって気分がリフレッシュされる。それが心地良い。(ついでに言うと、同じ理由で私は旅も好きである。)ところが、大好きな映画なのに、昨年の7月以来ご無沙汰となっていた。遺産相続手続き、遅れていた畑仕事、HPの移動などあれやこれや忙しくて、映画を観に行く暇を作れなかったのだ。只券を3枚も無駄にした。
映画館は桜坂劇場、桜坂劇場は那覇にある。大好きな映画だからといって那覇へ出かけるのに用事一つではやはり、時間の無駄のような気がして、ついでの用事を作る。作る用事は当然ながら、二日前に果たせなかったこととなる。
パレット久茂地にあるタバコ専門店へ寄った。以前、煙管をよく使っていた頃、キザミはその店でいつも購入していた。しかし、その店もまた、消えていた。
先週のコラムにも書いたが、2011年、元旦の計は「風流なオジーになることを目指す」とした。風流なオジーになるための一つに、「煙管(きせる)を使い、キザミ(刻みタバコ)を嗜む」ということがある。で、キザミを求めているわけ。
実は、先週金曜日にも別のタバコ専門店へ行っている。そこは酒屋の一角にあり、わざわざでは無く、酒を買いに行くついで寄った。その酒屋は金曜日の職場から家に帰る途中にあるので月に1、2回は訪れている。で、何年か前にタバコのコーナーが規模縮小されたのも知っている。だから、期待はしていなかったが、やはり、キザミは無かった。
「禁煙しろ」気分が何年も前から世間に蔓延って、その圧力で喫煙者が減った、昨年10月にタバコが大幅値上げしてさらに減った、などの理由でタバコ専門店は商売あがったりとなって、店じまいしたり、規模縮小を余儀なくされたということであろうか。「健康のため」という大義名分を掲げられているので、抵抗もし辛いのだが、「これでは、煙管とキザミの文化も途絶えてしまうぜ」と、私は寂しい気分になる。紙巻きタバコは消えてもいいが、煙管とキザミは残して欲しいと、風流オジーを目指す私は思うのだ。
しかしここで、「諦めるなオジー」と私は私自身を励ます。製品が無いのであれば、自分で作ればいいのだ。昔はタバコも塩も酒も自家生産は禁止されていたが、今は自由だ。幸い、沖縄にはタバコ農家があり、葉タバコが生産されている。生産者から葉タバコを購入し、それでタバコを作る。キザミを作る。上手くすりゃあ葉巻だって作れる。
記:2011.1.21 島乃ガジ丸