ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

テーゲー

2011年01月03日 | 沖縄04行事祭り・生活風習・言葉

 先々週末、アニメーション作りに挑戦する。数日間、延べ30時間を費やしてアニメーション製作に没頭した。そのうち、最も長い46コマ20秒のアニメは、あんまりデータ量が大き過ぎて、HPのディスク容量に収まらない。で、それをまた作り直して、ぐんと小さくしたものを先週のHPにアップした。
 アップしたアニメも出来の良いものとは言えないが、アップできなかった20秒のアニメもまた満足からはほど遠い。「ここをこーすれば、そこをあーすれば」と思う箇所がいくつもある。というわけで、先週末もまた、アニメ作りにのめり込む。

  年末だというのに飲みにも行かず、土曜日の夜、日曜日の昼と夜、月曜日の夜の約10時間、既に作ってある46コマ20秒のアニメのバージョンアップに取り組む。あれこれ試行錯誤して、52コマ25秒のバージョン4が出来上がった。しかし、それでもまだ、不満が多く残る。「ここをこーしなきゃあ、そこをあーしなきゃあ」と思う。
 バージョン5に取り掛かろう、と一瞬思った。月曜日の夜、既に10時を過ぎている。クリスマスイブの夜である。おそらく、恋人達が愛し合っている頃である。一人ぼっちのオジサンはそこで、ふと、我に返ったのであった。
 「俺は偏執狂か?」と自身に問う。「これがオタクへの道の第一歩なのか」と考える。そして、「テーゲー(大概)にしとけよ。」と自身に忠告する。で、止める。

 オタクの定義について、私は正確な知識を持っていないが、ある一つの物事に熱中しているという意味だとすれば、オタクが悪いとは全然思わない。でも、私はおそらく、オタクの道へは進まない。私にはウチナーンチュのテーゲー主義が染み付いている。

 テーゲーとは大概と漢字で書く。文字通り、「だいたい」とか「おおよそ」とかいう意味である。他に、「ほどほど」とか「適当」という意味もあり、そして、悪い方の「いい加減」という意味も持つ。それらを全てひっくるめたテーゲーが私の精神に染み付いている。日常的には「まあ、いいか」という気分にいるのである。
 テーゲーは、真面目な人にとっては眉をしかめるようなことかもしれないが、人のミスに対しても「まあ、いいか」となる。優しい精神なのである。
      

 記:ガジ丸 2007.12.27 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


トートーメー

2011年01月03日 | 沖縄04行事祭り・生活風習・言葉

 母の四十九日が先週の水曜日(12月5日)にあった。死んでから四十九日の間はこの世に魂が残っており、その日にやっと成仏するということになっているらしい。不信心者の私はそういうことを信じているわけでは無いが、儀式である。形である。形を重んじる人がいる以上、そういった儀式を行うのに私は何の不満も無い。できるだけ伝統に則った形でやりたいと思っていた。お坊さんを呼んでお経をあげて貰いたいと思っていた。
 ところが、アメリカ暮らしの長い姉は形だけのものにたいそう不服のようで、母の親戚友人知人たちが、四十九日に線香をたてにくることについては文句無かったが、お坊さんが来ることについては、「そんなの何の意味も無いよ」などとブーブー言う。しかし、このHPにたびたび登場する従姉の助けも借りて、ここは私の意見で押し切った。

 四十九日は、亡くなった魂が成仏する日とされている。お坊さんに読経してもらい、告別式で用いた仮の位牌を本位牌に替える。木製の仮の位牌はその時に燃やされる。本位牌は小さな板で朱漆の下地に金泥で亡くなった人の戒名が書かれてある。それを先祖の位牌が並べられている屏位(へいい)と呼ばれる棚に収める。
 屏位は仏壇の最上段正面に飾られてある。じつは、トートーメーというウチナーグチ(沖縄口)は仏壇のことを指していると私はずっと思っていた。が、今回調べて、それが間違ってることを知った。トートーメーは祖先の位牌のことらしい。その位牌がたくさん並べられてある屏位はトートーメーの家ということになる。
 沖縄では、家を継ぐということはトートーメーを継ぐということになる。その時のトートーメーは一つの位牌を指しているのでは無く、祖先の位牌全てを指す。よって、ここでは全ての位牌が収められている屏位がトートーメーとなる。祖先の家を継ぐのである。

 トートーメー
  沖縄語辞典にトートーメーは、1に「お月様の小児語」とあり、2に「祖先の位牌」とある。トートーメーという発音は、『沖縄大百科』によると「尊いお方を意味する尊御前が訛ったもの」と説明されている。トウトイオマエからトートーメーということ。
 トートーメーは「祖先の位牌」のことであるが、それは別称であり、位牌のことはイフェーと言うのが普通らしい。であるが、私の年代、あるいは、私の周りではイフェーはあまり馴染みが無い。トートーメーという言葉を多く聞く。
 倭国の仏壇に位牌が祭られているのかどうか、また、倭国の位牌がどのような形をしているのか知らないが、沖縄の仏壇には祖先の位牌が常にある。仏壇の上段正面に屏位(へいい)と呼ばれる上下二段の位牌を収める木製の棚のようなものがある。屏位はいろいろ種類があるようだが、実家のものは高さ25センチ、幅25センチほどの漆塗り。それに祖先の位牌が並べられている。上段が男性の位牌、下段が女性の位牌と決まっているとのこと。位牌は縦8センチ、横2センチほどの長方形の薄い板で、朱漆を塗られている。表面に戒名、裏面に俗名、享年などが墨、または金泥で書かれてある。 
 ちなみに、ウチナーグチで仏壇は、ブツダンをそのままウチナー読みしてブチダン、あるいは、御を付けてウブチダンと言う。
     

 記:ガジ丸 2007.12.4 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


美ら海水族館

2011年01月03日 | 沖縄05観光・飲み食い遊び

 ここ数年間はほとんど観ていないが、それまではNHK朝の連続テレビ小説をたびたび観ていた。その数年前の作品に『ちゅらさん』というドラマがあって、それは、ほぼ毎日欠かさず観ていた。沖縄が舞台であり、ウチナーンチュが主人公だからという贔屓もあるが、贔屓目無しでも面白いドラマだったと思う。それが証拠に、その続編を望む声が多くあり、それに応えて、その後いくつかの続編が作られた。
 それほど人気のあった『ちゅらさん』なので、『ちゅら』が、『美ら』というウチナーグチ(沖縄口)であることも全国的に知られるようになった。そんなわけで、国立沖縄海洋博公園内にある、東洋一(世界一だったかも?)と言われる大きな水槽の『美ら海水族館』も、特に振り仮名をつける必要も無く、多くの人がチュラウミと読めるはず。
 『美ら海水族館』という名前は公募だったかもしれない。ドラマ『ちゅらさん』の人気から多くの人が『ちゅら海』、または『美ら海』と応募し、それが採用されたということであろう。ちなみに、ドラマ『ちゅらさん』は2001年の放送で、『美ら海水族館』は2002年11月にその名前に変わり、リニューアルオープンした。

 その『美ら海水族館』に先日出かけた。私は2度目の訪問である。1度目は鹿児島の友人Nが遊びに来た時、彼と一緒に2003年6月に行っている。私は海にあまり興味が無く、また、あまり感激する性質でも無いので、最初の『美ら海水族館』に対しても、「ほう、なるほど、こういうものであるか。」といった程度の感想であった。
 しかし、そんな私でも、マンタとジンベイザメのいる大水槽の前では立ち止まった。日常では無い景色が、圧倒的な大きさでそこに広がっている。その大きさに「すげー」などと感激したわけではない。ただ、そこに良い気を感じ、しばしボーっとしていた。
 『美ら海水族館』は評判が良いようである。特に、マンタとジンベイザメのいる大水槽の前は観客も多く、歓声も沸く。私のような心の乾燥した人は別として、多くの人はその大きさに感激する。それだけでもここに来る価値があるようだ。

  2度目の訪問となった先日、その日は倭国からやってきた伯母、叔父、弟夫婦に、沖縄に住んでいる父と叔父が一緒。年寄りは気が短いせいか、見るのに時間をかけない。彼らはどんどん先に進む。で、私も、水槽の一つ一つに多くの時間をかけることができなかった。マンタやジンベイザメのいる大水槽の前もさっと通り過ぎてしまった。
 その日、私が最も興味を持って、もう少し見ていたいと思ったものが一つあった。それはマンタやジンベイザメのいる大水槽の少し前にある、ごく小さな水槽にいた。その名前を書き留めるのを忘れてしまったが、サメの一種。その目に惹かれた。「だから何」と言っているような目、見ていて飽きなかった。

 最初に鹿児島の友人Nと『美ら海水族館』を訪れた時には、水槽を上から眺めることのできる申し込みの必要なオプションツアーに参加した。これはなかなか楽しかった。
     

 記:ガジ丸 2007.11.4 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


チルダイ

2011年01月03日 | 沖縄04行事祭り・生活風習・言葉

 今月の模合(相互扶助的飲み会)の折、メンバーのAから干しトビイカを貰った。食い物として、以前からHPで紹介したいと思っていたものだ。
  干しトビイカは南城市の奥武島の名産として知られている。旬は6月から10月。その頃奥武島へ行くと、イカの干された風景を見ることができるらしい。「らしい」というのは、私はまだ見たことが無いということ。奥武島は、家から車で1時間ほどの場所にあるので、行こうと思えば行けるのだが、なかなか時間が作れないのだ。なので、Aからのプレゼントはたいへん有り難かった。もちろん、酒の肴としても旨いので、その点でも有り難かった。「明日の肴ができたぜ、明日は日本酒だぜ。」と思ったのである。
 明日になった。夜になった。干しトビイカを肴に酒を飲んだ。旨かった。満足した。そして翌日気付いた。干しトビイカの写真を撮り忘れたことを。チルダイする。
     

 ガジ丸通信「靴下に熱湯」の中で紹介した写真「揚げ物は熱いうちに食え」の説明にも書いたが、A&Wを紹介しようと思って、そこのチャビーチキンをわざわざ買いに行ったのに、写真を撮らずに食ってしまった。その時もチルダイした。

 6月のある日、沖縄島ではごく限られた地域にしかいないイワサキクサゼミを、すぐ目の前で発見した。しかし、ごく近くから6枚も写真を撮ったのに、その全てがピンボケだった。カメラの設定を間違えたせいであった。チルダイした。

 チルダイとはウチナーグチ(沖縄口)である。おそらく、中年以上のウチナーンチュなら多くの人が知っている有名な言葉である。
 『オキナワンチルダイ』という映画もあった。30年ほども前の映画である。沖縄の有能な監督である高嶺剛の作品。ヒットはしなかったみたいだが、チルダイが十分に表現された良い映画であると、若い頃の私は感じた。
 チルダイ、沖縄では有名な言葉なので当然のごとく、『沖縄語辞典』に記載がある。それによると、「失望。落胆。がっかりして体中の筋がだれる意。」とのことである。「がっかりして体中の筋がだれる」、まさしくその通りなのである。

 会社員であり、炊事洗濯掃除などの家事をこなす主夫でもある私は、日常的に大小いろいろなチルダイを経験する。そんないろいろな中でも、上記のようなチルダイは大きなチルダイとなっている。でも、今年のナンバーワンチルダイは別にある。

 6月から8月の間、私は現場仕事に出ていた。現場仕事の際には、弁当と飲み物を私は持参していた。飲み物は家で作った麦茶、または玄米茶であった。麦茶、または玄米茶は市販の飲料ペットボトル(500ミリリットル入りの、緑茶とかサンピン茶とかが入ったもの)を再利用して、それに入れて持っていっていた。
 そんなある日、冷蔵庫の上にお茶の入ったペットボトルが一つポンと置かれてあった。いつもは、中身の入ったペットボトルは冷蔵庫に入れてある。麦茶なら一晩くらい平気だと思うが、玄米茶を真夏の一晩、常温で置いたままでは痛んでいるだろうと思い、すぐにその中味を流し台にこぼした。こぼしながら気付いた。中味が玄米茶で無いことを。
 私は毎年シークヮーサー酒を作っている。今年もそろそろ新しいシークヮーサー酒を作る時期なので、去年作ったシークヮーサー酒を広口瓶から手元にあった500ミリリットル入りペットボトルに移したのであった。こぼした中身はそれであった。
 シークヮーサー酒は、他人の評価はともかく、私はとても旨いものだと思っている。500ミリリットル入りペットボトルの8割方入っていたとても旨いものを全て、私は流し台にこぼしてしまったのである。この時は、非常にチルダイした。

 記:ガジ丸 2007.9.23 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


水納島紀行

2011年01月03日 | 沖縄05観光・飲み食い遊び

 1、三度目のしょうきじ

 「好きだ」と言う男に、それが本心かどうか確かめるためにあれこれ試練を与える女のように、沖縄の天候は、友人Nの心を確かめていたみたいである。
  Nの愛が本物であるということは、三度目にしてやっと認められた。去年の秋と、今年の8月(先月)に計画した水納島観光、二度とも台風のために船が出ず、断念した。が、三度目となった先週土曜日の水納島渡航計画は、天気快晴で、見事成功となった。
 三度の計画の全てに付き合った私は、一度目の挑戦の時から水納島紀行をホームページの記事にしようと決めていた。そして、その前日までに、既に『水納島紀行』という題をつけ、数行の文章を書いて、準備をしていた。二度目の挑戦の際には、その数行の大部分を訂正し、書き直した。そして、三度目の今回、書き直した文章は全て削除し、新たに以下のような文章を書いた。三度目の小記事である。
     
     
     

 2、みんなの島

  20年ほど前に一度、私は水納島を訪れている。誰といつ、何の目的で行ったのか記憶が定かでないが、きれいな浜辺でのんびり過ごしたことを覚えている。・・・確かその時一緒だったはずの従姉に、さっき電話をして確かめた。
 「20年前じゃなく、15、6年前だと思う。一緒だったのはあんたと私と、S一家の4人(姉とその亭主と、その子供二人)だったと思う。S一家がアメリカから帰省したので、遊びに連れて行ったのだと思う。」とのことであった。
 その時の水納島は、小さな港に小さな旅客ターミナルの建物があり、小さな港のすぐ傍にきれいな 海と砂浜が広がる海水浴場があり、道は白いコーラル敷きの田舎道であり、小さな船に客もそう多くは無かったと記憶している。

 今回の水納島、「港のすぐ傍にきれいな海と砂浜が広がる海水浴場があり」だけは以前と変わらなかったが、旅客ターミナルは立派な建物となり、海水浴場の近くには立派なシャワー室とトイレが建てられており、ダイビングショップが2軒ほどあり、立派な高速艇が一日7、8便運行しており、その船には乗客がたくさん乗っていた。
 乗客の9割以上は本土からの観光客。Nの話に よれば、水納島は今、ほとんどのガイドブックに載っているらしい。きれいなビーチがあると紹介されているらしい。で、観光客が増えているのじゃないかということであった。島にはダイビングショップもあった。海もきれいで、ダイビング目当ての客も多いようである。

 15年前は、そこがきれいな島であることを知っているウチナーンチュたちが訪れるだけであったが、今では日本全国に知られる”みんなの島”になったようである。
 観光客が増えたお陰で、島もいくらか裕福になり、よって、新しい旅客ターミナルができ、新しいシャワールームができたのだろう。島のメインストリートも、15年前は白いコーラル敷きの田舎道であったが、アスファルト舗装よりも値段が高い石張り模様入りのコンクリート舗装に変わっていた。裕福の影響は島だけでは無い。島への船便が発着する渡久地港も、発着場の改修工事が行われていた。
     
     

 3、見んなの島

 Nは、ガイドブックで紹介されているきれいなビーチで泳ぐことが目的であったが、私は水納島の散策が目的である。さっそく歩く。
 上空から見ると、水納島はクロワッサンの形になっているらしい。ということから、水納島にはクロワッサンという愛称があるらしい。クロワッサン、「かわいいー!」と、若い女性たちが喜びそうな名前である。一緒の船の観光客、そんな若い女性が半分以上を占めていた。さて、私は港から正面の道を真っ直ぐ行く。5分ほども歩くと反対側の浜に出る。そこは湾状になっていて、なるほどこれがクロワッサンの形かと納得する。

 可愛い名前の由来となっている浜であったが、浜そのものはきれいでは無かった。そこには、沖縄の海岸ではなかなか見ない景色が広がっていた。湾全体が泥をかぶっていたのである。浜のほとんどは岩場であったが、全体が泥に覆われ、同じような色をしているので、岩場と砂地との境目がはっきりしない。汚いという印象を受ける。観光客もここには一人もいない。観光施設も無い。自然にそうなったのか、道路工事による土砂流出でそうなったのか不明だが、島にとっては、見せたくない景色かもしれない。
 その浜の手前に、車一台がやっと通れるような脇道があって、そこを歩く。周囲4.6キロメートルほどの小さな島だ。迷子になる心配は無い。その道を入ってすぐに、木材やプラスティックなどの廃材が積まれている場所があった。ここもまた、観光客には見せたくない光景である。手前に「見んな!」という看板でも立てたら良かろうにと思った。
     
     
     

 4、水納島(みんなじま)

 沖縄島北部、本部町に含まれる小島。周囲4.6キロメートル。最高標高19メートル。
 1983年発行の『沖縄大百科』に「人口55人」とあり、現在の人口は60人余りとのこと。水納小中学校もあり、数人の生徒が通っているとのこと。
  最高標高19メートルという平坦な島なので、水に乏しいそうである。そのことから水を納める島という名前がついたものと想像される。あるいはまた、水の無い島で水無島、無という字が縁起悪いということから納という字が充てられたと想像される。クロワッサンという愛称は若い女性向けのようで、『沖縄大百科』には「馬蹄形」とあった。オジサンの私にクロワッサンの形はなかなか浮かばないが、馬蹄形ならすぐ解る。
 水納島はハブ駆除実験が行われた島としても有名。1977年に始められた実験で、多くのハブが駆除された。よって、おそらく現在、島にハブは生息していないものと思われる。お陰で、私も安心して藪の中に足を踏み入れることができた。
 なお、宮古諸島にも同じ水納島という名前の島がある。そこは面積2.6平方メートルほどあり、0.54平方メートルの本部町水納島よりずっと大きい。
     

 記:ガジ丸 2007.9.9 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行