沖縄のサクラはヒカンザクラという種で、寒さを経て花が開くという性質を持つので、サクラの代表であるソメイヨシノとは逆に北から南、山地から平地へとサクラ前線は移動していく。ちなみに、沖縄の主な桜祭りの開催期日を北から記すと、
本部町八重岳、1月19日~2月3日
今帰仁村、1月26日~2月11日
那覇市、2月20日~2月24日
となっている。本部町、今帰仁村はおそらくもう満開と思われる。私の住んでいる宜野湾市(那覇より北へ20キロほど)の開花状況は、2月7日現在で概ね3分咲。
サクラと言えば気になっていたこと1つ。沖縄のヒカンザクラは冬に咲き濃い桃色をしている。冬に咲くので寒桜、花の色が桃色をしているので緋と付いて緋寒桜となる。若い頃に植物に詳しい先輩からそう教わって、その後文献でもそう確認している。であるが、ラジオからはヒカンザクラでは無く、カンヒザクラという名称を多く聞く。
実はヒカンザクラと教わった先輩も、既にその頃に「カンヒザクラとも言う」と仰っていた。「ヒカンザクラだとヒガンザクラ(彼岸桜)と混同するから」とのこと。ところがラジオの説明では「ヒカンザクラだと悲観に聞こえるから」とのこと。緋寒が悲観とは、私はまったく連想しなかった。緋寒桜、言葉としてきれいだと思うが、いかが?
悲観と言えば思い浮かぶこと1つ。70数年前の沖縄戦で悲惨な目にあったウチナーンチュは、子や孫にその悲惨を語り、戦争を知らない子供たちは「戦争はやってはいけないこと」と強く心に刻まれた。そんな1人である私は、やがて爺さんと呼ばれる齢になるのだが、戦争の悲惨を次代に伝えることができるほどの知識をまだまだ得られていない。
私が聞いた悲惨は、大雑把に言うと「命を奪うのは飛んでくる鉄の暴風、だけでなく、味方であるはずの、自分たちを守ってくれるはずの日本軍に赤子を殺されたり、安全な壕を追い出されたり、スパイ扱いされて撃たれた」などということ。戦争という極限状況の中では、兵士の精神状態も異常であり、異常な行為も仕方なかったのかもしれないが、それはそれで「戦争は優しい人間も鬼に変えてしまう」といった大きな教訓になる。
悲惨は戦後も続く。土地を奪われる。それは一過性のものであったが、今もなお続いている悲惨もある。差別意識丸出しの日米地位協定だ。「沖縄で法を犯したアメリカ人を、何で日本の法律で裁くことができないんだ」といったこと。泣き寝入りしたウチナーンチュは多くいると聞いている。それは幸せに暮らしたい生活上の大きなリスクである。
国は新たな基地を沖縄に造ろうとしている。「普天間を返す代わり」と言い、まるで、普天間に基地があることは当然で、「普天間を返すならその代替地は沖縄が提供するというのも当然」であるように言うが、それは本当に当然なのか?国全体の問題だよ。
現在の世界情勢から考えてある程度の軍事基地は必要だと私は思っているので、「沖縄から米軍基地は無くならない」が私の悲観にはならない。「差別的日米地位協定を改善しようという意思が国に無い」、「近所のどこぞの国のような強権的手法で沖縄という1地方を国に従わせる」、そのような国と沖縄の関係に私は未来の沖縄を悲観する。
記:2019.2.8 島乃ガジ丸
参考文献
『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行